4月から、「東京都立大学」が9年ぶりに復活した。おめでとう!
1949年に戦後日本を象徴する民主的、開放的な首都の大学を目指して開学した同校は、特に文科系学部の教授陣には、リベラルな、あるいは左派的な著名学者もかなりいて、さまざまな場での発言も多かった。また、国立大学に比べ、より自由、民主的な大学の運営を目指していた。90年代後半、政府、地方自治体は経済不況や少子高齢化による財政難に対処すべく、国公立大学を独立法人化し、政府、地方自治体の保護から離す政策を実施し始めた。東京都立大学も他の都立の大学(都立科学技術大学、都立保険科学大学、都立短期大学)と共に整理、統合されることとなった。
しかし、2003年4月の都知事二期目の選挙で、前期から都立大学の教授陣に敵意を抱いていた石原慎太郎知事は、「まったく新しい大学を作る」を公約にした。当選後、石原知事は新大学の学部構成や履修形態などを大幅に変えさせるべく、露骨に圧力をかけた。
そのなかで、多数の教員が、他大学などに流出した。2005年4月1日、石原知事の主張に沿って、「首都大学東京」が開学。「東京都立大学」は募集を停止、法的には11年3月に閉校した。石原知事は2012年10月まで4期在任したが、退任後、「東京都立大学」の復活を求める要求が大学内外に次第に広がった。
今回再出発した東京都立大学は、11年に閉校した東京都立大学とは法人格が異なり、「首都大学東京」の大学名を変えたものだと、上野学長は表明している。しかし、かつての民主的、開放的な大学の良き伝統が復活する可能性に期待する元教官たち、同窓生たちは多い。
▼石原都政の都立大学支配と戦った教職員たち
(「ウイキぺデイア 東京都立大学」から抜粋引用。事実関係のチェックを、当時の教授、助手1人ずつに確認してもらった。退職した教授、助教授名に異議はなかったが、講義を持っていた助手たちの退職者氏名が記載されてないとの指摘があった)(坂井)
· 2003年
o 8月1日、東京都大学管理本部(2002年に大学改革推進に資するため設置。(以下、管理本部とする)それまで大学関係者を交え議論、合意してきた「東京都大学改革大綱」を一方的に破棄した上で「都立の新しい大学の構想について」を発表した。
o 9月25日、都立大人文学部が抗議声明を出した。
o 10月7日、都立大総長茂木俊彦が「新大学設立準備体制の速やかな再構築を求める」という声明を出した。
o 11月1日、法政大学社会学部の荒井容子を中心に「都立の大学を考える都民の会」が発足した。
o 12月11日、法学部4教授のうち、2名の抗議辞職、2名の体調不良による退職で都立大法科大学院の入試が延期された(2004年2月末実施)。家族法の石井美智子、行政法の磯部力がそれぞれ、明治大学、立教大学に移籍した。
o 12月26日、都立大理学、工学部、都立科技大教官110名が「一方的な新大学設立準備の見直しと開かれた大学改革を求める」という声明を出した。
· 2004年
o 1月14日、文部科学省「21世紀COEプログラム」事業推進者、都立大学経済学部「近代経済学」グループが「管理本部の新大学構想と設立準備体制の見直しを」という声明を出した。
o 1月26日、筑波大学の哲学者鬼界彰夫が研究者1280名を代表して「都立大に関する文科大臣への要望書」を文部科学大臣に提出した。
o 2月6日、「東京都立大学」が名称公募では最多だったが、管理本部は新大学名として首都大学東京を発表。
o 2月28日、日比谷公会堂で「東京都の大学改革を考えるシンポジウム」が金子勝等を招き開催され、約1800人が参加した。
o 3月19日、都文教委員会で「現大学の評議会、教授会と協議し妥協することは構造的にありえない」と管理本部が発言した。
o 3月31日付で、国際文化コースへの統合が決定された人文学部文学科英文学専攻では英語学会会長(当時)の中島平三が学習院大学に、仏文学専攻ではレヴィナス論の合田正人が明治大学に移籍した。経済学部では労働経済学の神林龍が一橋大学に、応用ミクロ経済学の大瀬戸真次、畳谷整克がそれぞれ東北大学、神戸大学に移籍した。
o 4月7日、就任意思確認書(就任承諾書)未提出だったCOEグループに見切りをつけた管理本部が、経済学コース設置見送りを発表。既に移籍が決定した者を含めた近代経済学グループ16名中15名が新大学への就任承諾書提出を拒否した。
o 7月3日、文科省大学設置審が新大学早期認可を見送った。これは、就任承諾書非提出者が25名にのぼったことにより、4月の設置申請提出内容と7月の設置申請提出内容との間に大きな変更があったため。
o 8月3日、4大学教員声明呼びかけ人会より「新大学を巡る危機的状況に対し,全ての関係責任者に緊急対応を求める」との声明が出された。
o 9月30日、文科省大学設置審が5つの留意事項をつけて新大学開設を認可した。このとき申請内容から経済学コースは完全に消滅した。
o 10月7日、東京都立大学総長茂木俊彦が「新大学設置認可答申を受けて」と題した声明文の中で「東京都は留意事項と大学の意見を真摯に受け止め改善の努力を行うべき」 という主旨の意見表明をした。
o 10月13日、近代経済学グループ16名中15名が新大学への就任承諾書提出を拒否した結果、21世紀COEプログラム「金融市場のミクロ構造と制度設計」を返上する事態となったことが発表された。
o 10月19日、東京都庁大会議室で開かれた首都大学東京をサポートする組織の設立総会の祝辞の中で、石原慎太郎東京都知事が「フランス語は数を勘定できない言葉だから国際語として失格しているのも、むべなるかなという気がする。そういうものにしがみついている手合いが反対のための反対をしている。笑止千万だ。」と発言。
· 2005年
· 3月31日付で、東京都立大学総長の茂木俊彦は任期を満了し、歴代総長最後の職を終えた。人文学部では、文学科英文学専攻では折島正司、末廣幹、高見健一がそれぞれ青山学院大学、専修大学、学習院大学に移籍した。文学科独文学専攻では岡本順治が学習院大学に移籍した。文学科国文学専攻では荻野綱男、小林賢次がそれぞれ日本大学、京都女子大学に移籍した。心理教育学科では総長の茂木俊彦が桜美林大学に移籍した。社会学科社会人類学専攻では、大塚和夫が東京外国語大学に移籍した。法学部では法哲学の名和田是彦が法政大学に、行政法の人見剛が北海道大学に、日本法制史の水林彪が一橋大学に移籍した。経済学部では、計量経済学の浅野皙が筑波大学に、経済成長論の戸堂康之が青山学院大学に、金融論の日向野幹也が立教大学に、21世紀COEプロジェクトリーダーの渡部敏明が日本銀行金融研究所を経て2006年4月より一橋大学に、労働経済学の中村二郎、ゲーム理論の丸田利昌、産業組織論の村上直樹、空間経済学の村田安寧が日本大学に移籍した。経営学グループでは会計学の川本淳が学習院大学に、経営組織論の松嶋登が神戸大学に移籍した。経済史グループでは経済思想史の深貝保則が横浜国立大学に移籍した。
o 東京都大学管理本部は解散し、総務局首都大学支援部となる。また、東京都立大学条例の廃止に伴い公立大学法人首都大学東京が設置され、東京都立大学は同法人の所管下となった。
· 2011年
o 3月31日付で、公立大学法人首都大学東京所管の東京都立大学が廃止された。
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〔opinion9665:200421〕