目次(クリックでその項目に飛びます)
(1)スペイン国家に拒絶された住民投票
(2)カタルーニャに独立してもらっては困るスペイン
(3)カタルーニャを挑発し反発をかきたてるのはなぜか?
(4)カタルーニャ州政府と独立派のあまりにも非現実的な現実
(5)スペインは「欧州連邦」創設の急先鋒!?
(1)スペイン国家に拒絶された住民投票 【目次に戻る】
2014年9月18日に行われたスコットランドの英国(連合王国)からの独立を問う住民投票の結果は反対が賛成を大きく上回り(55.3%vs44.7%)、独立の夢はついえた。しかし欧州はカタルーニャのスペインからの独立要求という次なる難問を抱える。
この9月19日にカタルーニャ州議会は「住民投票条例」を圧倒的多数で成立させた。ここで「条例」と書いたが、スペイン語では「ley」つまり「法」である。しかし一応日本での自治体の法的決定の名称に従って「条例」と記しておく。これはあくまでも一般的な住民投票の仕組みと手順を取り決めたものであり、これ自体は特に「独立問題」とは無関係である。しかしその目的が独立の可否を問う住民投票の実施であることは誰の目にも明白だ。この「住民投票」には”referémdum”という法的にも拘束力を持つ形ではなく”consulta”というあくまで「住民の意思を問う」という拘束力を持たない形の用語が用いられるが、一つの地方の住民の意志を公式な形で国内外に示す、政治的には重大な意味を持つものになるだろう。また法律上の解釈も難しく、まともに審査すれば国法に照らして違法かどうかの判断には相当に時間を要するかもしれない。これはこの条例制定を頭ごなしに「違法」と唱える中央政府に対するけん制の一つだったはずだ。
【写真:アルトゥール・マス http://bcndoujimaru.web.fc2.com/spain-2/photo_Spain-2/Artur-Mas.jpg
マリアノ・ラホイ http://bcndoujimaru.web.fc2.com/spain-2/photo_Spain-2/Rajoy.jpg 】
続いて9月27日(土曜日)に州政府知事のアルトゥール・マスが、この住民投票条例に基づいて、カタルーニャ州のスペインからの独立を問う住民投票を行うという正式な手続きを行った。その投票はこの11月9日に実施とされた。折からスペイン首相のマリアノ・ラホイは中国を訪問中であったが、彼は帰国後の28日(月曜日)にこれを「憲法と国民全員の権利を攻撃するもの」と激しく非難し、即刻、憲法裁判所に告発した。そして憲法裁判所は審査の過程を省略して、同日の日の明るいうちに、独立の可否を問う住民投票はもとより「住民投票条例」そのものを「憲法違反である」と断定した。そして11月9日の投票の中止を命じ、投票に関する全ての準備を違法とする スペイン政府の方針を、11人の判事の全員一致で支持した。あくまでこの住民投票を実施すればその責任者に重い懲役刑を科することが可能になる。また従来認められていた一定程度の自治権すら剥奪される可能性もある 。
そもそもどの国の憲法にも「国家分裂」を前提とする「住民投票」について言及する条項などあるはずもない。関係あるとすれば自治体とその権限に関する条項の解釈だけである。この「住民投票条例」自体を「違憲」とすることには5人の判事が反対の挙手をしたが、いずれにせよ審査の過程が無かったわけだから、「違憲」判断の根拠や法的な解釈は明らかにされなかった、というよりは存在しなかったということになるだろう。元々から政府与党のPP(国民党)やPSOE(スペイン社会労働党)など、カタルーニャ独立を敵視する政党は法的解釈の議論抜きで「違法」「違憲」を大声で繰り返し、独立運動そのものを「犯罪」として位置付けている。さらに検察庁など法務官僚のOBを中心にして、住民投票を強行するならマスを15年の懲役に服させるべきだ、住民投票への協力者には公民権停止を科すべきだなどの露骨な脅迫の声も挙がっている。この憲法裁判所の判断は法的な判断というよりはむしろ政治的な判断という様相が強い。
カタルーニャ州政府知事のマスはこのラホイ政権と憲法裁判所による即断即決を「超音速の判断」と皮肉った。しかしカタルーニャ州政府は、現実に投票準備に携わる公務員を危険にさらすわけにはいかないとして、11月9日に予定されていた投票の準備を「一時的に」中断するが、独立へ向けた動きは継続させるという発表を行った。議会内の強行独立派は違憲を承知で実施することを要求し、また独立そのものには消極的な左翼陣営の一部からも住民の意思を問うための投票自体を禁止するのは民主主義の否定であるという反発が出ている。しかしスペイン政府はあくまで憲法裁判所の判定を盾にとって、住民投票は違法である、法を無視した民主主義は存在しない、という主張を繰り返し、スペイン議会の圧倒的多数がこの政府の姿勢を支持している。これに対して独立推進派の政党とカタルーニャ民族会議(ANC)などの民間組織はいっそう反発を強め、今後カタルーニャの各都市で抗議活動が激化するものと思える。結局11月9日の住民投票はできないかもしれないが、州政府と独立派諸党は代替の運動を推進させると発表している。今後スペインが収拾のつかない混乱に向かっていくことは間違いあるまい。
またこのスペインでのニュースは外国の報道機関でも大きく取り扱われた。米国ニューヨーク・タイムズ紙(欧州版)はほぼ1面を割いてこれを紹介し、もし中央政府の反対にもかかわらずカタルーニャ人が住民投票を推し進めるならば、民族問題を抱える他の国々に深刻な影響を与えるとともに、ラホイ政権はその政治的な弱体化に曝されるだろうという内容を述べている。また米国の経済紙ブルームバーグはその社説で 、ラホイPP(国民党)政権がただでさえ独立意識の強いカタルーニャを教育問題や文化問題などで挑発してきたうえに今回の住民投票の禁止という即断では、一層の離反とより大きな混乱をスペインにもたらすだろうという、スペイン政府に対して厳しい内容の指摘を行っている。【ここでブルームバーグ紙が取り上げている教育と文化の問題については、こちらの拙文を参照のこと 】
(2)カタルーニャに「独立」してもらっては困るスペイン 【目次に戻る】
ところでこの「住民投票」はどんなものなのか。その「有権者」を見ると、年齢は16歳以上で、カタルーニャに住むスペイン国籍の者、外国に在住するカタルーニャ出身者、外国籍でも合法的な形でカタルーニャに住民登録(EU内出身なら1年以上、EU外出身なら3年以上)されている者となっている。(筆者にも投票権が与えられる!)
独立を問う住民投票の質問事項はすでに昨年12月に作成され公表されていた。これは単に「独立に賛成か、反対か」ではなく、2段階の質問になっている。第1問は「あなたはカタルーニャがEstatに変わることを望みますか」というものである。このカタルーニャ語の「Estat」(スペイン語ではEstado)は英語のStateに当たる言葉だが、日本語では「国家」あるいはアメリカ合衆国の「州」に相当する。あるいはロシア連邦などの「自治共和国」がイメージされていると思われるが、2問目との関連を考えると「より完全な自治権を持つ地域」となるのだろう。そして第2問目は「(第1問で『はい』の場合)あなたはそのEstatが独立していることを望みますか」というものだ。つまり今のマドリッド政府から完全に切り離された本来の意味での独立国、ということになる。もちろんだが第1問で「いいえ」の場合には第2問に答える必要はない。
州政府はどうしてスコットランドのように単純な「○×」ではなくこんな面倒な質問を作ったのだろうか。本当の理由ははっきりしないが、州政府与党のCiU(集中と統一)は「○×」式を望む強行独立派の野党を説得してこの2段階の方式にした。この方が頭から独立に反対する勢力を黙らせるのに少しでも都合が良いだろうと判断したのかもしれないし、仮に「独立」に失敗してもより拡大された自治を手に入れることができるという計算もあるだろう。
カタルーニャ世論統計センター(CEO)が今年3月18日に発表した調査結果によると、約60%のカタルーニャ人が独立に賛成している。これは昨年の11月に行った調査結果(54.7%)を大きく上回るものだった。そして、もし独立の可否を問う住民投票が実施された場合、その結果に従うと考える人の割合は87%に上っている。細かく言えば、「賛成」が40.2%、「どちらかというと賛成」が19.5%で、合計は59.7%である。一方「どちらかというと反対」は10.8%、「反対」は6.8%で、その合計は17.6%。そして「分からない」が18.8%、また無回答が3.9%だった。いずれにせよスコットランドとは大きく異なり、賛否の差は明らかである。
続く4月30日に公表されたCEOの統計はこの住民投票に対する回答を調査したものだが、第1問に「はい」と答える人が57.6%、「いいえ」は19.3%、そして23.1%が未定あるいは無回答である。第1問で「はい」と答えたうちの81.8%、つまり全体の47.1%が第2問にも「はい」と答えると回答している。この質問の仕方にある「Estat」と「独立」との関係があいまいで分かりにくいのだが、独立を含めて現状よりも強力な自治権の確立を望む声が60%に近いことは確認できる。さらにこの10月3日に発表されたCEOの調査結果では住民投票実施を求める割合が71%に達している。この状態で実際に投票が行われた場合、「独立賛成」が過半数に達するかどうかは微妙にしても、少なくとも第1問への賛成が反対を圧倒することは目に見えている。
英国でロンドン政府がスコットランドの住民投票を認めた理由には、スコットランドがイングランドの経済に頼っている状態で、スコットランド人がいかに民族的情熱に溢れていても英国からの分離を選ぶはずがないという十全な自信もあったと思われる。人々は「情熱」や「誇り」を食べて生きるわけにはいかないのだ。しかしスペインでは逆である。
スペインの中でカタルーニャは、人口比では16%だがGDP(国内総生産)が占める割合はスペイン最大の19%であり、スペイン経済の牽引車の役割を担っている。スペイン国家にとってカタルーニャはいわば「金づる」であり、もしここがスペインから離れるなら一番困るのはマドリッド政府だろう。中央政府とスペイン国家を支える法務官僚にとって、いかなる手を使ってでもカタルーニャの独立を阻もうとするのは当然と言える。また、たとえ完全な独立ではないにせよ、カタルーニャの経済活動が自立に近づくようなことになれば、つまり同州からマドリッド政府に集められる資金が減ってしまうならば、ただでさえ借金だらけのマドリッドの金庫はたちまち干上がってしまうだろう。独立はもちろん、現状よりも強力な自治権を渡すことすらスペイン国家としては許すことができない。だから住民投票自体の実施を認めることは断じてあり得ないのだ。
(3)カタルーニャを挑発し反発をかきたてるのはなぜか? 【目次に戻る】
スペインには各地域自治体と税金を分け合っているのだが、国庫に収まる資金の中からそれぞれの自治体に下りる交付金の制度がある。交付金全体に対してのカタルーニャに配分される金額の割合は、国全体のGDPに対して同州のGDPが占める割合よりも常に小さい。これが長年カタルーニャ人にとって不満の種の一つだったのだが、特に経済破たんの中で2011年にPPが政権を取って以降、独立運動の進展に合わせて交付金の割合が縮小し続けた。一方で2014年第2上4半期にはカタルーニャの公的債務は600億ユーロを越しており GDPの32%(過去最高)に達している。州知事のマスはこの不均衡な状態を無くし「取り分」を増やすための税制改革を中央政府に提案したが、ラホイ政権はマスの提案を一顧だにすることなく拒絶した。これが「独立」の声が一気に激化するきっかけの一つとなったことは間違いない。そのうえに、教育や文化の面での「カタルーニャのスペイン化」が強引に推し進められた。
さらに、憲法裁判所の「違憲判断」が下された翌日の9月30日に発表された2015年度予算では、交付金の割合は過去17年間で最低の9.5%となった。この数字はスペインのGDPでカタルーニャの占める割合(19%)の半分にすぎない。交付金全体の金額は2014年度予算よりも8.4%増えているにもかかわらず、カタルーニャに対しては前年より9.6%減っている(その2014年度予算でもその前年より25.5%も減額していた)のである。予算発表のタイミングから考えても、これがカタルーニャに対する「制裁措置」と受け取られても無理からぬところがある。当然のことだが、この中央政府の措置は、住民投票潰しの即断即決と並んで、「自分たちのカネがマドリッドに盗まれている」と信じる多くのカタルーニャ人をいっそう激怒させている。しかし奇妙な話だ。
普通の国ならば、ある地方が独立を求めるほどに中央政府に反発する場合、その不満の原因を取り除いて、あるいは不満を減少させてつなぎとめようとするだろう。スペインではアンダルシアがその好例で、ここはカタルーニャやバスクと並んで常に反マドリッドの急先鋒である。原因は圧倒的な貧困率、非効率で貧弱な経済活動と、その中で中央政府と結びついた一握りの貴族と大地主が栄耀栄華する旧態依然とした社会が維持されていることだ。そこでマドリッド政府は常にアンダルシアを交付金支給の筆頭にするのである。
またカタルーニャと同じく以前から独立のチャンスをうかがってきたバスクは、住民一人あたりのGDPがスペインの中で最も高い。ここは近年まで過激な武装闘争を続けてきたETAで有名なのだが、言語も文化もそもそもラテン系ですらない。その象徴的な都市であるゲルニカはスペイン内戦の過程でフランコの要請を受けたナチス・ドイツによる激しい空爆を受けた。大きな経済力を持つと同時に歴史的・文化的理由でマドリッドに対する強い反感を抱くバスクは、他の自治体には無い高いレベルで自治権を与えられ、少なくとも財政面ではカタルーニャのような不満は盛り上がらない。
しかしブルームバーグ紙が指摘するように、ラホイ国民党政権がカタルーニャに取っている政策は、燃える火の中に油を放り込み続けるようなものである。見え透いた口先だけの「カタルーニャへの親しみ」を語って神経を逆なでしながら、実際には頭の上から「法」を振りかざして1mmの妥協もしない国民党政府と、独立運動に対する嫌悪感をむき出しにする前政権党の社会労働党の姿勢は、カタルーニャ人をますます反マドリッドに駆り立てている。10月1日現在ニューヨーク訪問中のバルセロナ市長のシャビエル・トリアスは、ニューヨーク市長ビル・デブラシオと会談した際に「こん棒で我々の頭をなぐるために我々が違法なことをしていると言いたがる人々がいる」と語ったが、これが多数派のカタルーニャ人の気持ちを代表しているだろう。
こういったマドリッド中央政府のやり方は、単に「稚拙」や「無神経」といった言葉では表現が難しい。ひょっとして意図的ではないかと勘繰りたくなるほどに露骨で強引である。この国では昨年から急激に警察国家化を強めているが、民族主義運動に対してもフランコ独裁時代を超えるかもしれない規模の強権が振るわれるだろう。民族問題を抱える州だけではなく、出口の見えない経済問題を抱え続けているうえに、ブルボン王家もその腐敗と不品行が暴露され、6月にフアン・カルロス1世が健康を理由に退位する羽目になった。「偉大なスペイン」の求心力は急激に低下しているように思える。【スペインの急激な警察国家化についてはこちらの拙文を参照のこと 】 【スペイン王家の腐敗や不品行についてはこちらの拙文を参照のこと】
そしてそんなときに国家を危機に曝しかねないような馬鹿げた政策がどうしてとれるのだろうか。しょせんスペインの政治はそんなものだ、伝統的にまともな政治などあったためしが無い、と言ってしまえばそこまでだが、それにしても何かが引っかかる。
(4)カタルーニャ州政府と独立派のあまりにも非現実的な現実 【目次に戻る】
一方のCiU(集中と統一)のアルトゥール・マス率いるカタルーニャ州政府と、野党の立場から独立問題に関しては州政府を支持するERC(カタルーニャ左翼共和党)やCUP(人民統一候補)などの、独立推進派の方はどうだろうか。民主主義を推進する立場から住民投票に賛成するICV(カタルーニャ緑のイニシアチブ:環境左翼)はともかく、彼らの独立に対する取り組み方もまた奇妙としか言いようがない。【近年の独立運動については拙文『特集:「カタルーニャ独立」を追う』の①、②、③、④ を参照のこと】
最初に述べたような中央政府の対応は明らかに予測できたもので、政府と法務官僚がそれ以外の対応をするだろうなどと考える理由は全く見当たらない。ところがマスは独立を問う住民投票の実施を決定した翌日の9月28日に放映されたラ・セクスタTVの番組で、憲法裁判所が住民投票を容認することを確信すると述べた。もちろんこれはこの住民投票の合法性をアピールするための発言だったのだが、もしこの「確信」が本当にマスの考えていたことなら、この人は政治などに手を出さなければよかったのだ。一つの既成の国家を分裂させることは、正邪善悪の問題でも筋道の問題でもない。それは単純に権力の問題である。マドリッド政府の権力を黙らせるに足る強大な権力を握るか少なくともその後ろ盾が必要となるだろう。しかも憲法裁判所が自治体で行う住民投票を「違憲」としたのは初めてではない。
2008年にバスク州議会がやはり同様の「住民投票条例」を採択していた。カタルーニャと同様に”consulta”という用語を用い、それ自体は「独立」というよりは自治体の在り方について住民の意思を問うという穏やかな性格のものだった。当時のバスク州知事はPNV(バスク民族党)を率いるフアン・ホセ・イバレチェだったのだが、もちろん彼も現在のマス同様にバスクの将来的な独立に向けて動いていた。そしてもし中央政府との交渉がまとまれば2008年の10月25日に実施される予定だった。しかし当時のPSOE中央政府はイバレチェの話を受け入れず、現在のPP政府と同様に憲法裁判所に訴え出た。そして同年9月11日に憲法裁判所はこの「住民投票条例」が違憲であるとの判決を、判事の全員一致で決定した。そして結局この住民投票が実施されることはなく、翌年に行われたバスク地方選挙でPNVは第一党の座を失い、バスクの政権は独立運動を嫌うPSOE(社会労働党)に握られることとなった。
マスにしても他の独立推進派にしても、このバスクの失敗例を知っているはずである。中央の政権党がPSOEであろうがPPであろうが、スペインの中央政府が少数民族の離反を決して許さず、また国家の中心である法務官僚が独立に近づくわずかな動きすら拒絶するものであることは、最初から分かり切っていたはずだ。彼は一昨年(2012年)あたりから事あるごとにやけに自信たっぷりに「カタルーニャの独立!」を叫び、元から独立熱の高い民衆と諸団体をさかんに煽り立てているのだが、バスク同様の失敗に導くためにそうしているのだろうか。「アラブの春」だの「マイダン革命」だのといった悪質な政治神話の中でならともかく、民衆の怒りや情熱でひっくりかえせるほど国家の権力は甘くない。あまりにも非現実的だろう。
ひょっとすると、スペインの経済破たんと同時に進行する州財政の破たんの実態を民衆の目から遠ざけるために、中央政府との阿吽の呼吸で「独立劇場」を演出しているのだろうか。それはありうるかもしれない。中央政府にとっても同様で、2000年代の不動産バブルとその崩壊の過程で何が起こっていたのかの実態はいまだに明確にされていない。内部の破たんを覆い隠すために外部に敵を作るやり方は権力を握る者にとって通常のものである。【スペインの経済破綻、国家破産については拙文『シリーズ:「スペイン経済危機」の正体』の各記事を お読みいただきたい。】
しかしもう一つ奇妙なことがある。ANC(カタルーニャ民族会議)が盛んに米国とEU大国の首脳を引き合いに出しているのだ。この7月12日にバルセロナ近郊のバダロナ市で開かれたANCの集会で、オバマ米国大統領の顔を描いた一枚の巨大な布が広げられ、オバマだけではなく、欧州議会議長のマーチン・シュルツ、ドイツ首相のアンゲラ・メルケル、ローマ教皇フランシスコ、国連事務総長バン・キ・ムンなどの世界の指導者に向けてカタルーニャ独立運動を支持するように要請するメッセージを送ったことが発表された。その後も、同様にメルケル、フランス大統領オランデ、英国首相キャメロンの顔を巨大に描いた布が次々と作られてカタルーニャの各都市で披露され、世界の大国指導者がカタルーニャの後ろに付いてくれることを祈願した。
しかし彼らは米国やEUの大国指導者が本当に独立の後ろ盾になってくれると信じているのだろうか。確かに、敗北が確実な血みどろの闘争を避けて国家権力を跳ね返すためには、より強大な勢力のバックアップが必要不可欠だろう。ANCの人々は、中央政府と官僚機構が確実に全力で住民投票を潰すことは理解している。しかし米国やEU、バチカン、国連などといった、マドリッド政府が逆らうことのできない上級の権力がカタルーニャ独立を後押しすると、本気で考えているのだろうか。そうだとしたらあまりにも非現実的、あまりにも子供じみた空想だろう。独立派はよくコソボの例を出すのだが、カタルーニャがコソボのように、米帝国にとって重要なNATO軍事基地を提供できたり、麻薬密輸でしっかりと裏経済を支えたりする存在になりたいということなのか?
独立派の政治家や集団をこういった空想が支えているとすれば、カタルーニャの独立など、たんなる大がかりな「ごっこ」にすぎまい。もっとも知事のマス自身が、自分の書いたカタルーニャの未来に関する本を昨年オバマやメルケルやビル・ゲイツなどに送ったそうだから(その反応に関する情報は無いが)、その暴走する空想家ぶりは手の施しようがない。そしてまた、それを上手にあしらうのではなく、意図的かと疑うほどにそれを刺激し挑発してますます暴走させるマドリッド中央政府と国家機構もまた、精神年齢を疑われるほどのものということになる。真相は意外とそんな他愛も無いものなのかもしれない。しかしやはり何かが気にかかる。スペインとカタルーニャをここまで追いこんできたのが、ユーロ導入以降の欧州と世界の経済の動きだからだ。
(5)スペインは「欧州連邦」創設の急先鋒!? 【目次に戻る】
そのカタルーニャ住民投票を巡ってのてんやわんやの大騒動が続いている9月25日のこと、スペイン最大手日刊紙エル・パイス(電子版)は、比較的目立たぬ場所に、しかし衝撃的な内容を持つ、次のような見出しの記事を載せた。
Espana propugna una “Europa federal” y no una mera “union de Estados”
(スペインは、単なる「国家連合」ではなく「欧州連邦」を擁護する )
この記事には、スペイン外務省が、シンクタンクであるエルカノ(Elcano)研究所の200人の専門家の協力を得て作成した外交活動基本方針にある外交計画書の内容が紹介されている。この作成には現外務大臣のホセ・マニュエル・ガルシア‐マルガジョも加わっているのだが、エル・パイスは次の部分を引用する。
《欧州建設の最終的な目標は政治的な統合である。欧州は真の統合された連邦として形成されなければならず、単に主権国家の連合としてではない。この過程は段階を追って作られるが、しかしその目的はできうる限り早く明瞭な形を持って完遂されねばならない。》
またその維持について、この外交計画書は、現在の欧州中銀がその中央銀行として機能し、また預金保証基金と欧州通貨基金の存在が必要だとし、さらにユーログループ議長と欧州委員会(経済・通貨担当)議長を同一人物とし、また欧州委員会の委員長と欧州理事会の議長も統一する必要があると主張している。エル・パイス紙は欧州の政治統一に関しては比較的少なめに扱い、ロシア、ラテンアメリカなど、世界の他地域に対する政策について紙面を割いている。
もう一つの大手日刊紙エル・ムンドは、エル・パイス紙と同じ外交計画を取り上げているのだが、紙面の大半を欧州の政治統一に割き、計画書のもう少し詳しい内容を掲げる。
Espana apuesta por una union federal europea ‘cuanto antes’
(スペインは統一欧州連邦を断言 「できる限り早く」と )
動詞apuesta(不定詞apostar)は「賭ける」の意味だが、「断言する(賭けてもいいと言う)」の意味でも使う。いくつかの重要な個所を引用しよう。《 》は計画からの引用箇所。また文中のEstadoは英語のStateだが、ここでは欧州連邦が想定されているので「自治国」と訳しておく。また訳文中のリンクは原文の通りにしている。
『《超国家的な》欧州、真の政治的統一についての断言は、この方針の中核をなすものである。』
『改革の提案は次の諸点に渡る。中央銀行の権限の拡大と強化;一般的な預金保証基金および金融問題解決のための欧州基金の創設;欧州安定メカニズムを欧州通貨基金へと作り替えること;そしてさらに、《実質的な競争力を備えた一つの経済管理機構による税制と経済の真の堅固な統一を確立させる》ために条約を改正すること。提案にはさらに次の点が含まれる。ユーログループの議長と経済担当の欧州委員会責任者を同一人物とすることである。
しかしスペインはその方針案の中でさらに先に進んでいる。制度的な面において同様に、《欧州理事会委員長の責任と欧州委員会議長の責任を一人の人物にまとめること》を主張するが、当然ながらその人物は投票によって《直接に選ばれる》ことになり、その委員会委員の任命には完全に自立した権限を持つものとなる。委員会は、記述によれば《すでに2019人の規模》だが、その数は減らされなければならないだろう。
欧州はスペインがその努力を開始しようとする方向に向けて、《二つの議会》を持つことになろう;《各自治国の代表者からなる理事会、そして国民の代表者からなる欧州議会である》。
欧州議会が立法の手段であることは、スペインの計画によれば、《唯一の解釈》となるだろう。そして《欧州選挙は連合のメンバーである全ての自治国で同じ日に実施されるのだが、その選挙人名簿》もまた《統一されたもの》となる。理事会については、《有資格者の多数派によって決定を得ることのできるような事項の数的な拡大が重要な前進となるだろう》と本文に書かれる。
ラホイ政府の欧州主義的な本性はエネルギー、商業あるいは雇用の市場に溢れている。しかし(計画書は)特に移民をコントロールするための《国境用の一つの欧州警察》創設を書いている。』
『《欧州は再創設されねばならない》のだが、それは《政治的そして制度的に》新たなスペインの外交政策を隠すところなく確立させる。《それは為されなければならない。まずい計画を為されたユーロというマーストリヒトの重大な欠陥が、欧州連合を前例の無い政治危機に陥れているからである。いかなる地域的な傾向も、欧州連合の進化ほどにスペインの諸利益とその戦略的な位置に対して直接に影響を与えるものでない。》
二つの新聞記事とスペイン外務省によって明らかにされた外交の計画の引用がどこまで正確に翻訳できたのか、正直言って自信がないが、しかし根本的な誤りや取り違えは無いと思う。現在のところこの外交計画が英訳されたという情報は無く、そもそもこのような公表をスペイン外務省が行ったこと自体が、まだ英語で紹介されていないだろう。これもまた不思議な点だが、英米のマスコミはこれを問題にしたくないのかもしれない。しかしこれはEUを構成する主要国政府の一つが公式な形で公開した文書なのだ。
このエル・ムンド紙の記事の中で「ラホイ政府の欧州主義的な本性」とあるのだが、「主義」も何も、この国はもはや欧州のてのひらの上でしか存在できない。その経済はすでにIMF、欧州中銀、EUのトロイカによる延命策で何とか形を保っているにすぎず、「国家の主権」など実質的に形骸化しているのだ。失業者はいまだに450万人近く、この夏に失業率が若干減ったとはいうものの、好調だった観光業のおかげでレストランやホテルなどの臨時雇いが増えて何とか格好を付けているだけである。特に若年層の失業率はごまかしだらけの公式発表ですら54%にのぼり、有能な若者が国内から大量に姿を消し、国の未来は投げ捨てられている。膨らみ続ける公的債務は2015年にはついにGDPと同額となりその利子の返済だけでも1日につき1億ユーロに上るだろう。ラホイは中国でスペインの「掛け値なしの景気回復」を豪語したが、中国政府と財界の要人たちは鼻でせせら笑っていたのではないか。加えて、頼みのドイツとフランスの景気が傾きかけている。再びユーロ危機が訪れたら、唯一の「自助努力」である緊縮財政はもはやこれ以上は困難であり、頼みの延命装置すら外されることになれば、スペインの財政は最終的に破滅するのではないかと思う。
そんな中でこの数年やけに活発なのが、汚職や脱税・不正蓄財などの腐敗を摘発する法曹界の動きである。この数年、スペインの中央政界を牛耳ってきた国民党や社会労働党、地方ボスとして君臨してきたCiUなど中央・地方の政界、その政界と結託し利用してきた企業や金融機関などの財界、さらに国家統合の象徴である王室を含め、様々な種類の腐敗と不正が暴かれ続けている。王室についていえば、新国王フェリーペ6世の姉夫婦が公金横領と脱税の容疑で裁判中であるのに加えて、王妃の親族すら不正な借金踏み倒しの容疑で取り調べを受けているのだ。従来のスペインを形作り支えてきた権威と信用が次々と崩れ落ちていく。長引く不況に疲れた人々の心が「偉大なるスペイン」に戻ることはもはやあるまい。脳死状態で延命措置を施してもこうして体中のあちこちで既に腐乱と分解が始まっているのだが、法曹界と法務当局がそれを促進させているようにすら感じる。
こんなときに、カタルーニャやバスクなどの地域で盛り上がる独立熱は、スペインという国家の「解体」を決定的なものにするかもしれない。私はユーロ導入以降の2000年代にバブルの熱病に浮かれたスペインこそ、米欧巨大資本によって欧州各国の経済に仕掛けられた「対欧州戦争」の最大の戦場だったのではないかと疑っている【この点に関しては拙文『「銀行統合」「国営化」「救済」の茶番劇』および『狂い死にしゾンビ化する国家』を参照のこと】。もちろんギリシャ、ポルトガル、アイルランドなども「戦場」だったが、スペインが欧州の国家と社会の中で最も大規模に徹底的に破壊されていたのだ。そしてこの地域独立の動きは、PP中央政府が説明抜きに最後のよりどころとする1978年憲法(フランコ独裁政権を牛耳って来た守旧派と欧州進歩派との妥協の産物)の権威をも切り崩していくことだろう。こうしてスペインは一つの主権国家としての内実を急速に失いつつある。
そのスペインが欧州の政治・経済の統合と単一の連邦国家の創設を公然と唱え、その「青写真」を提示する国になった。隗より始めよ、である。まるで怒り狂う牛の目の前で赤い布を振る闘牛士のようなマドリッド中央政府のカタルーニャへの挑発ぶり、そして夢想的に暴走するカタルーニャ独立派の背後に、米欧巨大資本と欧州連邦主義者の冷徹な視線と指先を感じるのは、少々陰謀論に過ぎるのだろうか。しかし長年バルセロナに住む外国人として醒めた目でこの国とこの地域を見つけてきた私にとって、昨今のスペインとカタルーニャの動きはあまりにも不自然に映る。
カタルーニャは18世紀初頭のスペイン王位継承戦争の際に、ブルボン王朝のフランスと対立するハブスブルグ・オーストリア、英国とオランダに「独立」を餌に利用され、惨めに打ち捨てられた。そしていま、このままカタルーニャとマドリッドの対立が激化していくのなら、スペインという国は解体され、それが「欧州統合」の引き金になるのかもしれない。そして結局は今回も、「カタルーニャ独立」は、米欧列強に対する独立派の思い入れにもかかわらず、その「欧州連邦」創設の捨て石にされるだけなのかもしれない。
私個人としては、カタルーニャには経済的にも文化的にも政治的にもより大きな自立性を持ってほしいが、やはりスペインであってほしいと思っている。スペインには様々に異なる要素が有機的につながり共存する社会のモデルになってもらいたいと願っている。しかし現実の歴史は、そんなちっぽけな個人の願いなど、小さな雑草の芽を押しつぶすブルドーザーのようにかき消してしまうのだろう。
2014年10月5日 バルセロナにて 童子丸開
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5011:141006〕