今年の中国の政治を占おうと始めたこの連載の第1回(1月17日)に、私は「五輪を踏み石にゴールの党大会へ?それともコロナが?」というタイトルをつけた。差し迫った北京冬季五輪をうまく成功させることで、習近平の勢威をますます大きなものにして、秋の共産党大会へうまくつなげられるか、それともしぶといコロナ禍がその目論見を妨げるか、が当面の見どころと睨んだからである。
ところが、新年気分がおさまるや否や(と言っても、中国の本当の新年は「春節」、旧暦元旦だから今年は2月1日だが)、突如、耳慣れない言葉が習近平の口から飛び出した。それが「歴史周期率」と「自我革命」である。
もっともこの2つの言葉はじつは昨年11月に開かれた中国共産党の11期6中全会で、すでに習近平が言及したのだそうだが、当時は報道されず(と思う)、1月18日に開かれた共産党で腐敗退治の大元締めである中央規律検査委員会の第6次総会という会議で、改めて習近平によって取り上げられ、広く注目を集めることになった。
なにはともあれ、習発言のその部分を聞いてみよう。
(建党百年になる中国共産党は)「以前より以上の勇気と力で党風の浄化と反腐敗闘争を推進しなければならない。多年抑えつけられなかった歪風邪気を抑えつけ、多年解決できなかった頑固な病いを解決し、党と国家と軍隊の内部に存在する重大な隠れ欠陥を取り除いて、党の管理、統治におけるたるんだ状況を根本から転換して、党の自我革命によって歴史周期率から抜け出す成功の道を探し出さなければならない」
読みにくい日本語で申し訳ないが、原文をなるべく忠実に翻訳するとこうなる。要するに、中国共産党にはまだまだ不正の土壌が残っているから、管理、統治を厳格にし、「自我革命」によって「歴史周期率」から抜け出さなければならない、というのである。
それにしても、「歴史周期率」とは何のこと?という疑問が湧くはずだ。習近平は昨年11月の6中全会ではこう言っていた。
「わが党の歴史はこれほど長く、規模もこれほど大きい。政権を取ってこれほど長期になった。とすれば、いかにして治乱輿衰の歴史周期率から抜け出すか?」
なんのことはない。「歴史周期率」とは党内の「治乱興衰」、つまり政党にはつきものの内部闘争、権力闘争などの騒ぎの連鎖を指しているのだ。確かに中国共産党にも昔から「治乱興衰」の歴史がある。
しかし、それなら「権力争い」とか「内部闘争」とか言えばすむ話だ。なぜわかりやすくそう言わずに「歴史周期率」などという妙なことばを持ちだしてきたのか。そこからすでになにか意味があるはずだ。
私がとりあえず思い当たったのはつぎのようなことだ。「歴史周期率」といえば、誰かが悪い、あるいは誰かが仕掛けた、というより、歴史にはつきもののように一定の期間が経過すると矛盾、対立が生まれ、肥大して激しい争いが起こる、というふうに聞こえる。自然現象といえば言い過ぎかもしれないが、なにか避けがたい、どうしても起こりがちな現象というふうに。
習近平が内規とされてきた「2期10年」という党総書記、国家主席の在任期間を越えて、トップの椅子に座り続けようとすれば、党内から反発が起こるのは自然だろう。彼はそれを予期して、反発は習近平のルール破りが原因だと言われる前に、これから起こる対立は誰が悪いではなくて、歴史周期率によって必然的におこるものだという予防線を張り、対立はやめるべきだという党内世論を起こして、「居座り問題」をすり抜けようとしているのではないか。
習近平の発言をもう少し聞いてみよう。先ほどの6中全会の発言はこう続く。
「毛沢東同志はこの問いに延安の洞窟で最初の答えを出した。それは『人民に政府を監督させよう。そうすれば、そうすることでこそ政府はだらけていられなくなる』というものだ。しかし、奮闘の百年、とくに18回党大会(習近平時代の始まりー筆者注)以降の新たな実践を経て、わが党は2番目の答えを出した。それが『自我革命』である」
毛沢東の「最初の答え」というのは、香港の報道の受け売りをすれば、1945年7月、毛沢東が延安で当時の教育者、黄炎培と対談した際に、黄炎培が「執政党においては治乱興衰の歴史周期率がある。総じてそれから逃れられない」と述べたのに対して、毛沢東が次のように答えたのを言う。
「われわれはすでに新しい道を探し当てた。その周期率から抜け出す新しい道はすなわち民主である。人民に政府を監督させることによってのみ、政府はだらけていられなくなる。人民が立ち上がって責任をとることで、『人なく政(まつりごと)止む』は存在しなくなる」
毛沢東の答えはすばらしい。後の文化大革命などの政治運動においても、この考えは現れてくる。残念ながら結果としては、中国共産党の「治乱興衰」の歴史周期率は止まらなかったが。
ともあれこういう毛沢東の言葉を下敷きにしたうえで、習近平は毛沢東の真似でない自らの方策として「自我革命」を持ち出した。私は原文通りに「自我革命」と書いているが、日本語としては「自己革命」のほうが分かりやすいかも知れない。いずれにしろ、人民による「民主」ではなく、共産党自身による「革命」として党内対立をなくすというのが習近平の結論らしい。
内部対立を防ぐことは共産党自らの革命であって、人民の手など借りずに、それで共産党の宿痾を解決するのだ、というのは、誰の知恵だかわからないが、ずいぶん頭を絞って思いついた論理であろう。これから秋まで、さらにはその先、来春まで、習近平はあらゆる手段を使って党内の習近平の居座り反対の動きをつぶしにかかるのだろう、共産党の「自我革命」として。
そしてすでに、この線に沿ったと思える動きも見られるが、それは次回で。
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