読めばすぐにわかることだが、「先週の新聞から」としているものの、話題は国際金融に限定している。それが精いっぱいで、他の事には手が回らないというが理由である。
だから、本当はここで書くようなことではないのだが、12月9日の朝日に報じられた、ウィキリークスの公電暴露の背景を巡る話には少し考えされられた。朝日によれば、暴露はウィキリークスが、ガーディアン(イギリス)と一緒に、シュピーゲル(ドイツ)、ニューヨーク・タイムス(アメリカ)に声をかけて共闘し、後にさらにル・モンド(フランス)とエル・パイス(スペインの最有力紙)が加わったものだという。スペインの新聞が入っていて、イタリアとカナダが抜けているのは解せない気もするが、もっと気になるのは、いわゆる西側諸国では最大の発行部数を持つ日本の読売(日本におけるガーディアンの提携紙だったはず)にも「日本のクォリティー・ペーパー」を自称する朝日にも声がかからなかったことだ。上述の新聞との共闘は「他の有力メディアとも情報を共有すれば、機密文書公開がより効果的になる」という判断からだったというから、朝日も読売も「共闘すればより効果的になる」ような有力メディアではないと判断されたのであろう。自分をコケにした話を載せた朝日の蛮勇は評価したいが、朝日は「何故自分には声がかからなかったのか」と少しは考えた方がいい(読売も朝日の記事を追っかけて12月10日にこのことを報じた。しかし、ル・モンドとエル・パイスも「共闘」に加わったことは書かれていない。さすがに自分に声がかからなかったことが気恥しかったのであろうか)。
「共闘」に参加した新聞・週刊誌のうち、ル・モンドだけはフランス語がよめないので目を通すことが出来ないが、残りの新聞・週刊誌はおぼつかない知識で「斜め読み」を心がけている。その経験からすると、たしかに朝日や読売が外れたのも分かる気がする。時の権力に対する姿勢が違うのである。ガーディアンからエル・パイスまで「中立」を振りかざす新聞など一紙もない。自分の立場を明らかにし、──当然のことながら、その結果、時の権力と対峙することになっても──その立場からの「報告」と「解釈」を行う新聞ばかりだ。上述の新聞との共闘のもう一つの狙いは、それによって「政治的圧力や逮捕される危険性も減らせるだろう」ということだったというが、毎日の西山太吉喜記者を見殺しにした読売や朝日と組んだところで、このことはまったく期待できそうもない。
最近この報告でも日本の新聞に記事に触れることがほとんどなくなっているが(決して読んでいないわけではない)、それは決してウィキリークスとガーディアンの判断を先取りしたわけではない。素人が読んでいて、何となくそうなってしまっただけのことである。しかしある意味では、素人にもその差が分かるということだともいえる。
余計な話が長くなってしまった。おまけに本当は、12月6日からの新聞・週刊誌が対象なのだが、今回の報告はWirtschaft Woche(以下wiwo) の11月27日号から話を始めることになる。wiwo はEconomistのドイツ語版のような週刊誌である。それもあって、ふだんこの週刊誌に目を通すことはない。先週のある日、ある研究機関の図書室でブラブラしていたら、wiwoが目についた。若かった頃、短期間ではあるがこの週刊誌を定期的に読んだことがある。懐かしくなって最新号(それが11月27日号だった)を手に取りパラパラと頁をめくった。そうしたら、Der Euro hat keine Chance – nutzen wir sie! という文字が目に飛び込んできた。「ユーロにチャンスはない。われわれはそれを利用する!」という意味になる。驚いた。前々回の報告(12月1日)で「ドイツは火事場泥棒になるのか」と書いたが、私がそう書く前に、既にwiwoは「われわれはユーロの危機を利用するのだ」と公言していたのである。
内容を詳細に紹介する必要はないであろうが、ドイツ人以外の読み手にとっては決して楽しい記事ではない。経済的危機等の中から、かつて唱えられた「ヨーロッパ合衆国」の構想が復帰してきたとするのはまだいい。wiwoはドイツ以外のヨーロッパ諸国の経済運営のふがいなさとドイツの優秀さを指摘したうえで、「ヨーロッパ合衆国」ではドイツを手本とすることになると言わんばかりである。
スペインの経済政策の失敗が事例として挙げられた後、「経済政策での包括的な協調がないならば、ユーロはもはや維持できない」とする元ドイツ外相の発言が紹介される。記事の前後を読めば「包括的な協調」とはドイツの経済政策への協調に他ならない。これだけ侮辱されても今のスペインにはドイツに逆らえる力はない。wiwoはそれを知っているからここまで書くのであろう。
ラテンの陽気さのなかで楽天的に生きているスペイン人は、「アリ」のように働くドイツ人から見れば、確かに「キリギリス」のようなものであろう。スペインでもとりわけ貧しいアンダルシア地方の人々は、だが、比較的勤勉な北部スペインの人々を、「彼らは働くだけで、人生の楽しさを知らない」と憐れんでいるともいう。どちらの生き方がいいのかは一律には決められない。それなのに、経済に係る様々な指標(国民所得や失業率)を振りかざして、「俺に従え」というのでは、ドイツは再び「恐るべきドイツ」になる。
久しぶりに読んだwiwoだが、「こんなものは読まなければよかった」という気分になった。もっとも、そういう気分を起こさせるのも、ジャーナリズムの役割の一つであるともいえる。読んでいて気分の悪くなる記事があるということは、それ以上のひどい現実が既に存在しているということを意味するのであろうからである。
こういうことを察してかどうか、シュミット・元ドイツ首相(もう91歳だそうだ)は、Spiegel-online(12月7日)で、メルケル現首相やショイベル財務相を厳しく批判している。ユーロの導入自体が問題だったのではないかという批判があるなかで、その導入の道筋をつけたシュミットとしては現在のシステムを正当化する必要があったのであろうが、「恐るべきドイツ」を身に沁みて実感した社会民主主義者たるシュミットには保守主義者メルケルの「やり方」は我慢できないのかもしれない。
イギリスの保守派がアイルランドの経済危機をユーロ解体の方向へ利用しようとしていることは前々回の報告で伝えたが、そのイギリスで発行されているEconomist(12月4日号)は、なんとしてもユーロの解体は回避すべきだとしている。Economistはアイルランドや地中海諸国がユーロから離脱する場合とドイツ自身が(オランダとオーストリアと共に)ユーロから脱退する可能性を指摘したうえで、どちらにしてもユーロの解体のコストは恐ろしく高くつくとし、この回避を呼び掛ける。そして「ユーロ解体は考えられない事態ではなく、ただ単に、非常に高くつくだけだ。欧州の首脳たちは、解体の可能性を直視することを頑なに拒んでいるために、その回避に必要な対策を取れずにいるのだ」と結ぶ。報道もここまで来ると、「報告と解釈」ではなく、「警鐘」を鳴らし、政策提言を行うに近い。
同じイギリスの新聞Guardianは12月8日の紙面でダブリンの市民の表情を伝えている。オフィスは空き室となり、ホームレスが増え、路上には物乞いする人々がいる。Wiwoとは別の意味で、読んでいて楽しい記事ではない。しかし、これもまた現実である。そして、ベルリンの権力者の豪奢な執務室よりも、ずっと緊迫した現実なのである。
「お前の報告のほうがよほど読んでいて楽しくない」と言われそうだが、今週ばかりは反論できない。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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