2022.1.1 新年がきても、相変わらず新型コロナウィルスに覆われた世界です。地球の感染者数は3億人に、死者数は600万人に近づいています。新しい変異株オミクロン型は、ワクチン接種の進んだ欧米諸国でも、軒並み新規感染者数最高を記録しています。日本はワクチン接種の時期が遅かっただけ、オミクロン型の市中感染を抑えて年末年始の移動期を迎えましたが、第6波の襲来は避けられないでしょう。あのオリンピック最盛期の医療崩壊と「自宅療養」という名の棄民策の再来だけは、避けたいものです。ようやく始まった、大きな都道府県での無症状者へのPCR無料検査が、 相変わらず厚労省技官・国立感染研・地方衛生研・保健所ルートに独占された公式データ収集と感染対策に活かされ、3回目ワクチン接種や治療薬による世界水準に近づくよう期待します。これまでの問題点については、2020年に出した『パンデミックの政治学』(花伝社)のほか、3月の講演をもとにした.「「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影」、それに年末に出た最新の『戦争と医学』誌第22号への寄稿「戦前の防疫政策・優生思想と現代ーーパンデミックの中で考える」にまとめてあります。
また、夏から始めた月2回の市民向け連続講座のいくつかが you tube 映像になっていますので、ヒマな時にご笑覧ください。
●東京オリンピック・パラリンピックとの関係、https://www.youtube.com/watch?v=01gt8vWDJ1A&t=7s
●映画「スパイの妻」から見たパンデミック、https://www.youtube.com/watch?v=smgAbMjmfRM
●731部隊・100部隊から「ワクチン村」へ。https://www.youtube.com/watch?v=cJhMbXRZ7G4&t=3236s
「無知学」agnotology という学問があるそうです。Wikipediaにも立項された「社会文化的に引き起こされる無知または疑念についての研究」であり、「特に社会に発表・流布される不正確または誤解を導く様な科学的データについての研究」で、「科学史のもう一つの見方」なそうです。もともとPCR検査を抑制して「濃厚接触者からクラスター発見」に集中する日本の特異な手法で集められた感染データが、果たしてドラッグストアでもドライブスルーでも広く無料のPCR検査で集められたアメリカや韓国の感染者数と同一平面で比較可能なのだろうか、という個人的疑問から辿りついた学問領域ですが、国際的・国内的データ不正からフェイクニュースの見きわめ、歴史における記録と記憶の照合にいたる、さまざまな場面で応用できそうです。「社会文化的に引き起こされる無知の能動的な原因」として「メディア、企業・団体、政府機関による情報の隠蔽や抑制、関連文書の破棄、記録に残す物の恣意的な選択」を挙げ、「気候変動の影響を矮小化するために石油会社が科学者に金銭を出し幾つもの研究を行った気候変動否定論」を実例とし、「非能動的な原因としては人種や社会階級などによる社会構造的な情報隔離・格差・差別」まで挙げていますから、21世紀パンデミックの世界は、「無知」と「未知(故意に作り出された社会的な無知)」に溢れています。ワクチン・副反応やマスクの効果ばかりでなく、たとえばロシアでは、スターリン粛清犠牲者の記録を発掘し遺族に寄り添ってきた歴史研究者中心の組織「メモリアル」が最高裁判決で解散させられました。ミャンマーの軍事クーデタの犠牲者は、現地の人権団体のまとめで1000人を超えます。しかし正確な数字はわかりません。日本軍による南京事件の中国人犠牲者、中国文化大革命や天安門事件の犠牲者数と同じように、将来の無知学の対象になります。
そんな「無知学」agnotology の視点にたつと、現代日本、とりわけ安倍晋三・菅義偉政権時代のこの国は、「不正確または誤解を導く様な科学的データ」で覆われた、作られた「無知・未知」の時代でした。原爆や原発事故の残留放射能隠蔽は歴史的事例ですが、厚生労働省の毎月勤労統計に続いて、国交省の建設工事受注動態統計も改竄されてきたことが明るみに出ました。いずれも「アベノミクスの成功」を演出するための政治的データ改竄で、国際的なGDP統計さえ信頼性が揺らぎました。安倍首相のもとでは森友学園問題での財務省公文書偽造、桜を見る会の招待者名簿シュレッダー廃棄など、民主政治の根幹を揺るがすデータ改竄・事実隠蔽が続き、「無知」が蓄積されました。それを科学の側から正そうとする動きに対しては、菅内閣の学術会議会員任命拒否がありました。だからこそ、新型コロナウィルスについての政府発表の統計も、その政府に使われる「科学者」たちの提言やウィルス推奨発言の科学性も、疑いの眼で吟味せざるをえないのです。その上、森友問題の真相解明のために、公文書改竄に抗議して自殺した赤木俊夫さんの妻が起こした民事訴訟に対する政府の司法的対応、なんと財務省の決裁文書や「赤木ファイル」、証人訊問に進むのを拒否するために、民事訴訟の賠償請求をそっくり認める代わりに裁判そのものを終わらせる、「認諾」という禁じ手の行使。「また夫は見捨てられ、殺された」という赤木夫人の怒りの悲鳴は、至極もっともです。裁判官すらもあきれたという行政権力の横暴ですが、その裁判所でも、生活保護に関わる地裁の判決がコピペされ、しかもNHK「受信料」とすべきところを「受診料」と同じ誤字までペイストして判例とされ、「最高裁判所判例集」には120箇所も誤記・誤字がみつかるという醜態です。
現代世界のコロナ下の政治体制は、民主主義と権威主義にわかれるとか、経済体制の資本主義も、政治権力の主導する「政治的資本主義」と「リベラル能力資本主義」に分かれるとか(ミラノヴィッチ)。ただし、権威主義を専制主義とか全体主義とかいいかえたとしても、純粋のイズム・システムなどありえません。権力分立とか法の支配といっても、それぞれの国・地域で民主化の程度は違いますし、経済体制での政府財政や中央銀行の役割も、相対的な程度の違いになります。デジタル・コミュニケーションが普及したこんな時代には、むしろ経済権力と政治権力が何らかの程度で結びついた「監視資本主義」ととらえ(ショシャナ・ズボフ)、基本的人権や社会的弱者の尊重、貧困・格差・差別の度合いと結びつけて「デジタル・ファシズム」まで見通す視角の方が、有効と思われます。この国の「国権の最高機関」=国会の立法権力が十分に機能せず、行政権力はこの10年で著しく専制度を強め、司法権力の独立も危ういとすれば、むしろ戦前「1940年体制」を「デジタル・ファシズム」の原型として批判的俎上にあげ、歴史に学ぶべきでしょう。よく知られた経済史上の戦時統制経済ばかりでなく、紀元2600年建国祭で「日本法理」が跋扈し治安維持法体制が確立された政治的「1940年体制」を含むものとして。オミクロン株の日本での拡大は、検疫どころか日本の主権の及ばない米軍基地から沖縄市内への感染が一つのルートとなりました。安保法制で日本の軍事化を推進した安倍元首相が、対中戦争の危機を煽っています。2022年がどのようになるかは、私たちが「無知学」がいう意味での「無知・未知」からどのように脱却できるかに、かかっています。「無知を知る」ことこそ、その確かな一歩です。
初出:加藤哲郎の「ネチズン・カレッジ』より許可を得て転載 http://netizen.html.xdomain.jp/home.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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