――八ヶ岳山麓から(264)――
7月24日習近平独裁体制と政治路線を真正面から批判する論文が現れた
(https://www.boxun.com/news/gb/pubvp/2018/07/201807260816.shtml)。
論文は中国清華大学教授許章潤先生のもので、中国国内の民間ネット上に発表されたが、当局によっていち早く抹消された。だが日本でも産経(7月26日)や時事(8月3日)が同論文の内容を伝えているくらいだから、中国国内では拡散しているに違いない。内容はちかごろ散発的にあらわれた習近平政権に対する批判の集大成というにひとしい(以下( )内は阿部)。
結論からいうと許先生は、(習近平主席)個人崇拝の停止、国家主席の最大10年の任期制度の回復、「六四(1989年の天安門事件)」の再評価、官僚の財産公表、退職幹部の特権廃止、過大な対外経済援助の中止などを要求し、文化大革命的行政とイデオロギー支配に警鐘を鳴らし、米中貿易戦争激化責任の所在を問うなど、習近平政権に対する鋭角、全面の批判を行なった。
まず前文では「いま中国国民は、官僚集団も含めて国家の発展方向と自分の身の安全についてかなり心配している。それは近年の中国政治が改革開放30年来の政治上の基本原則に逆行しているからだ」という。
許先生のいう基本原則とは、習近平以前の「改革開放」の30年間に形成され、中国社会全体が受入れてきたものである。
第一は基本的な生活の安全。
「(文化大革命時代の階級闘争)運動」と「毛沢東のやりたい放題(原語:和尚打傘無髪無天)」が終ると、かわって「改革開放」が登場し、これによって庶民はようやく毎日の生活の安全がはかれるようになった。そして全国民がこの「改革開放」を擁護したことによって、(中国共産党の一党支配という)現有政治体制は基本的合法性を得ることができた。
文革時代苦難の歴史を歩んだ庶民にしてみれば、支配者は誰でもよい、世の中が安定し毎日を無事すごせればそれでよい、という気持になったのは当然である。
第二は、たとえわずかであろうと国民の財産私有権が認められ、豊かさの追求が許されること。
これによって国家経済は空前の成長を見た。これで科学教育文化衛生と軍事費、とりわけ党と政府の膨大な経費がまかなえたし、一般国民の生活水準もある程度向上したのである。既存の政治制度は経済の急速な発展によって担保された。
第三は、わずかながらも市民生活の自由が認められること。
数十年来、中国の市民社会は発展しなかったし、庶民は少しでも頭をあげると叩かれた。国民の政治の知識と、(権利意識を持った)公民としての人格の発展は阻止され、中国人の政治的成熟はいまも困難を極めている。だが市場経済が比較的発展した地方では、私的生活の自由はとりあえず形成されたのである。
第四は、政治指導者の任期制度が実施されること。
憲法には国家主席と国務院総理の任期制が規定され、最長2期10年が「憲法上の慣例」になり、任期が終わると党内で平和的に権力の禅譲がおこなわれるようになった。とはいえ、「改革開放」の30年余社会の多元化と政治的容認の程度は明らかに増大した。だが政治体制全体はいまだいかなる進歩も見いだせない。実質は昔ながらの陳腐で残忍な敵味方の闘争と独裁政治理念のままで、それに「天下を争う」醜態が加わっているのだ。
習近平政権によって政治上の基本的原則がないがしろにされた結果、そこに生まれた憂うべき問題として、許先生は次の8項目を挙げている。
第一は財産権侵害についての恐れ。
数十年来ため込んだ財産は多少にかかわらず持ち続けられるのか。今までの生活の仕方は安定を保てるか。財産権は法定どおりの保障が得られるのか。社会の実力者(村党委員会主任などもふくめて)が失脚した時、その関連企業が破産したり、一家離散して肉親を失うようなことはないのか(重慶党書記時代の薄熙来は金持ちを陥れて財産を没収し、一家離散に追込んだ)。
第二は政治主導が突出して経済建設中心の基本政策を放棄すること。
この数年来、イデオロギー上の火薬の臭気がだんだん濃くなって、公権力が権力づくで人々の発言権を圧迫するため、知識界はひとしく恐惶をきたしている。子供が親を摘発し、学生が教授の言動を密告する文革的状況が生れるおそれがある。
第三はふたたび階級闘争をやること。
数年前メディアのイデオロギー主管の官僚が何度も階級闘争を提起し、みんなをパニックに陥らせた。この数年の行政傾向は、スターリン=毛沢東流の階級闘争を疑わせるものだ。反腐敗闘争の展開が進むに従い、新設の国家監察委員会がその権力を無限に拡大したとき、KGB式の取締や残酷な党内闘争がおこる可能性を思わずにはいられない。
第四は、ふたたび鎖国状態におちいり、中国がアメリカをはじめ西側世界と疎遠になり、北朝鮮のような悪政国家とくっつくこと。
中国の経済成長と社会進歩は中国文化の独自発展であり、また現代世界体系が中国に根を生やしたのち成長したものだが、具体的な局面を見ると改革開放は西側世界との関係を改善したのち、グローバル経済の特急列車に乗って実現したものだ。鎖国しては進歩は疑わしい。
第五は対外援助が大きすぎること。
国内には前近代的な状態の地方が多くあり、国民は生活費節約を強いられているというのに、中国はすでに世界最大の援助国となり、毎年数十億数百億元を費やしている。見栄を張って実利、実力をともなわない外交はすべきでない(「一帯一路」政策への批判)。
第六は知識分子を思想改造するために、左傾のイデオロギー政策を実行すること。
むかしから知識分子は労働人民の一部であるといわれてきたが、わずかでも異変があると彼らは枠外に弾き飛ばされ、敵にされてしまう。国家政治の潜在的動向はまず知識人政策に明瞭に表れる(近年の民主人権派人士への弾圧)。
第七、軍備増強競争と戦争の爆発、新冷戦となること。
この10年という短期間に東アジアはすでに軍拡競争に入っている。戦争の可能性はまだ低いが、問題はこれによって中国の正常な発展が中断せざるをえなくなることだ(台湾海峡の緊張、南シナ海紛争などを指している)。
第八の問題は、改革開放が終り強権政治に全面的に回帰すること。
改革は空転し、後退し始めている。これはこの数年のことではなく、習近平政権第一期から続いている。「開放が改革を迫る」ことがなかったら、今日の中国の経済も社会と文化もあり得なかったのに。
さらに許先生は、陝西省梁家河村は40戸だか50戸、110人くらいの村だが、意外にも上海に連絡所と農副産物展示館を建てたことなどをあげ、村人ではなく権力にへつらう官僚らがやったことして、口を極めて罵倒している。梁家村は習近平主席が文革中下放された村である。
また、彼が住んだボロ窑洞は300万元を使って改修されて立派な建物となり、ゆくゆくは記念館になる予定である(矢板明夫著『習近平』文春文庫)。
この論文は、「これでは許先生の身が危ない!」と思わせる内容だ。いやすでに身柄を拘束されているかもしれない。彼自身も論文の末尾で「生死はときの運、興亡は天にゆだねよう」と覚悟のほどを示している。権力者にとってはまことに扱いにくい、伝統的な骨のある中国知識人の面目躍如たるものがある。
しかしうがった見方をすれば、この論文は注意深く中共一党支配の是非をとりあげていないうえに、8月の北戴河会議を控えて発表されたものだ。北戴河会議は毎年開かれる現旧中共最高級幹部合同の人事や政策の検討会である。許先生の背後には守護神すなわち最高級有力者の支持があるか、あるいはそうした人物の示唆によってこの論文が書かれた可能性がある。
そうだとすれば、北戴河会議の次第では、この秋、個人崇拝の停止、独裁体制の修正など何らかの政治的変化が現れるかもしれない。習近平がやり過ぎているのは、中国人の誰でも感じるところだから。(2018・08・08記)
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