2021.10.1 8月のオリンピックとコロナ・デルタ株第5波感染爆発のあとは、自民党総裁選挙という擬似政権交代イベントでした。それも結果は世代交代でも人心一新でもなく、安倍・麻生が背後から支えコントロールする、岸田新総裁の誕生です。「新しい日本型資本主義」なそうですが、金権疑惑の幹事長以下の布陣からして、「新自由主義の見直し」「アベノミクスからの脱却」はなさそうです。アメリカ大統領選予備選やドイツの首相候補選びの予備選に似ていないこともありませんが、日本では野党党首がまともな選挙なしで選ばれたり、その党首たちが詰めた政策協議なしで野合したりで、選挙制度と政治的意味が違います。現首相がコロナ対策で失敗した辞意表明ですから、これまでの感染対策の問題点析出と対抗策が争点になるかと思えば、すべてはワクチンと新薬開発頼みで、オリンピック・パラリンピック強行と感染爆発の併行は、問題にもなりませんでした。13万食の弁当廃棄や3兆円ともいわれる費用の赤字補填も、まるでなかったかの如くです。そして原発再稼働に反対したり、モリ・カケ・桜問題を追及しようとすると、すぐにつぶされます。この9月の自民党内権力闘争に、日本の大手メディアは、コロナ感染の治療なき自宅死や、アフガン、ミャンマーも、ドイツ総選挙も米仏対立も、核廃絶・気候変動を含む国連総会政治などすべてがかすんでしまうような大報道、総選挙日程は目前ですから、広告費無しで膨大な政府与党の「やってる感」宣伝、コマーシャルができた計算です。新政権にはご祝儀相場の支持率高騰がこの国のならいです。第5波の鎮静化と全国の緊急事態宣言解除、飲食店・旅行再開と相まって、野党には厳しい世論の反転があるでしょう。
とはいえ、第6波は冬を迎える季節に、確実にやってきます。世界は20世紀の「スペイン風邪」と似た、パンデミック3年目に入ります。先進国にはワクチンが相当ゆきわたったのに、感染者2億2千万人、死者500万人と、勢いは衰えていません。感染源をめぐる米中情報戦も、巨大製薬資本のワクチン・新薬開発競争も、それらに関連する科学技術や文化宗教をも利用した「大国の援助」覇権合戦も、21世紀の今後の有り様を大きく変えようとしています。日本も「大国」ではないか、と思う人は、例えば隣国韓国と比べてみましょう。一人当たりGDPでも、労働生産性でも、労働者の平均賃金でも、外国人への開放度でも、いまや日本は韓国以下です。外国人労働者や難民を制限し、コロナで観光客も激減したもとで、アジアや中南米の出稼ぎ労働者にとっては、魅力のない閉鎖的ナショナリズムの国になりつつあります。自民党の中核に、日本会議やネトウヨに支えられた、安倍晋三・麻生太郎・高市早苗ら靖国参拝、嫌中・嫌韓、「大東亜戦争」もナチスさえも容認しかねない強固な反共国家主義者が3分の1はいることが明らかになったのは、自民党総裁選劇の副産物でした。菅義偉首相は、後手後手の感染対策が国民に理解されず、感染拡大を招いて退陣せざるをえませんでした。記者会見にいつも同席していた「専門家」尾身茂会長はどう責任をとるのでしょうか。自身が理事長の独立行政法人・地域医療機能推進機構(JCHO)が、コロナ対策などで給付された300億円以上の補助金を受け取りながら、コロナの重症患者を率先して受け入れることなく、専用病棟設営を長くネグレクトしてきたことが、第5波の医療崩壊を経て、ようやく問題にされています。
この間、上昌広さんの「世界は『医療』、だが日本は『防疫』」(サンデー毎日2021年9月5日)という、日本の感染症対策における「明治以来の旧内務省・衛生警察の基本思想」について考えてきました。上医師の発言は、厚労省医系技官・感染症研究所ー地方衛生研究所ー保健所によるPCR「法定検査」独占・データ独占体制、政府の専門家委員会・分科会への一部感染症「専門家」動員・研究費内輪配分について、戦前731部隊=関東軍防疫給水部からの歴史的影を見出したもので、私も本サイトや『パンデミックの政治学』(花伝社)等で主張してきたものです。上さんの「衛生警察」をヒントにこれを追及していくと、日本陸軍と内務省の創成にかかわった山縣有朋の「社会破壊主義論」に行き着きました。1910年、大逆事件に際しての明治天皇への建白書で、「社会主義は〈天賦神聖ノ国体〉と〈民族道徳ノ根本〉に〈爆弾〉を投げつけるものだから〈全力ヲ尽クシテ其ノ根絶〉を計らなければならない。そのためには〈言論学問ノ自由〉を犠牲にしても〈集会結社演説著作〉を取り締まるべきである」「不穏な思想は〈萌芽ノ間ニ摘去〉しなければ、国家の大患となる恐れがある」、要するに、「天皇絶対の国家主義思想に反するものはすべて排除し、改悛の見込みのない者は殺してしまえ」という、社会主義など急進主義思想を「伝染病」にたとえ、伝染病罹患者を調査・摘発・隔離して言論思想を取り締まる、という考え方です。端的には、戦前内務省の「防疫」のための感染症対策としての「検疫」と、外来思想流入による天皇制国家主義の揺らぎにたいする「検閲」が、同一の発想にもとづくものではないかという、日本の感染症対策と治安維持政策の類似性・相同性の問題です。
この延長上で、治安維持法下での「転向」や「思想更生」を含む戦時国防保安法・軍機保護法体制と、徴兵検査・伝染病予防法から1940年国民優生法・国民体力法、内務省から厚生省を分離し結核やハンセン氏病、精神病患者を隔離した「民族衛生」運動と1942年国民医療法=「医療新体制」を比較し、経済学の「1940年体制論」とはやや異なる意味で、「1940年防疫・治安維持体制論」を戦前・戦時・戦後への断絶・継続の問題として、考えてみたいと思います。ポイントは、戦前日本の中核官庁であった内務省の敗戦による解体、すでに1938年に分離されていた厚生省の戦後への継承、旧内務省の柱であった警察組織の再編と1980年代中曽根首相・後藤田官房長官時代以降の「新・内務官僚の復活」、安倍内閣の下での「国家安全保障会議(日本版NSC)」発足と警察官僚の官邸への浸透、そこに2020年パンデミックの到来で、国家安全保障を優先し人権・生存権保障をないがしろにした感染症対策と、コロナ禍に便乗した日本学術会議会員任命拒否やデジタル庁設置の動き、等々の歴史を総ざらいしてみたい誘惑にかられます。もちろん、現在の動きは、「1940年体制」の単純な復活ではありえません。国家主義・ナショナリズムといっても、戦後は日米安保体制に組み込まれた歴史修正主義です。むしろ、中曽根内閣以降明確になった新自由主義とグローバリズム、冷戦崩壊と軌を一にしたIT革命とインターネット普及といった世界史的環境変化が重要です。気候変動は目に見える災害・生態系変化をもたらし、戦争のかたちさえ、宇宙戦争・サイバー戦争から無人機・ドローン爆撃・AIロボット兵士が生まれています。日本のパンデミック下の感染症対策と情報統制・メディア操作・国家安全保障体制の一体化は、世界史的な「監視資本主義」(ショシャナ・ズボフ)、「デジタル・ファシズム」(堤未果)の一環ではないのか? 総選挙は11月になりそうです。私たちの「個人情報保全」が基本的人権の一部になり、「人間の安全保障」からの感染症対策が争点になるような国政選挙を期待します。
東京も緊急事態宣言が解除されて、徐々にですが、政治活動や文化活動の制限が弱まってきます。大学の新学期のオンライン講義はまだ圧倒的なようですが、自治体の公共図書館利用や、公共施設での市民活動、研究会、講演会などが可能になってきました。私も「ヒロシマ連続講座」の竹内良男さんと組んで、「パンデミックと731部隊」という連続市民講座を対面で開始しました。9月25日から月1回で、来年3月までの予定です。会場定員を30人にしぼった第一回の模様は、すでにyou tube で公開されています。こちらは徐々に定員が増えるかたちでかまわないのですが、直近の総選挙における選挙運動と政治活動は、SNSばかりでなく、国会前や街頭でも自由に展開されてほしいものです。
初出:加藤哲郎の「ネチズン・カレッジ』より許可を得て転載 http://netizen.html.xdomain.jp/home.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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