1 総裁選で安倍総理が訴えておられたのが「戦後レジームからの脱却」と「美しい国」でした。「戦後レジームからの脱却」とは、日本が敗戦後六年八カ月もの間、連合軍に占領されていた時代にできた憲法を含む体制から脱却して、名実ともに日本が主権国家に生まれ変わるということです。
2 安倍政権下で「美しい国」を旗印としたとき、正直いってそれほどピンと来ませんでした。しかし、自民党が下野して民主党政権による不道徳極まりない政治を見せつけられると、いま一度「美しい国」という旗を立てるべきではないか、そして道徳的政治とは何か、有道、有徳の国のかたちを具体的に国民に示すべきではないかと思っています。
上記の1・2の文章は稲田朋美著『私は日本を守りたい』(PHP研究所・2010・7・7刊)からの引用である。続いて、かなり長くなるが、櫻井よしこ著『気高く、強く、美しくあれ』(小学館・2006・8・20刊)から著者個人による日本国憲法改正案の一部、「憲法前文」を引用する。
日本国は緑深い山々と豊かな海に抱かれた美しい国土に、国民統合の象徴である天皇を戴き幾十世紀もの悠久の歴史を積み重ねてきた。
自然を畏敬し、命あるもの全てを慈しみ、穏やかな精神文明を育んできた日本民族は、ひとりひとりの国民を大切にし、人の和を尊んできた。上も下も睦びて人の和を以て国柄の基本となしてきた。
遍く行きわたる教育によって国民は自らを律する倫理観を身につけ、秀れた文化を生み出し、産業を興し、比類なく豊かな社会を築いてきた。現在の日本国は、幾百世代もの昔からこの祖国を築き守ってきた先人たちの心の結実であり、日本国民は、日本を日本たらしめてきた日本文明を、未来世代にたしかに伝えていくものである。
また日本国と日本国民はこの独立を自らの手で守るものである。正義と平和を実現し、それらを支える勇気と責任の醸成を以て、責任ある国家及び国民の使命と位置づける。日本国と日本国民は、自然を尊び人の和を基調とする日本文明を以て、二十一世紀の国際社会と人類のために貢献するものである。
日本国民の至高の意志により、日本国の未来への決意を、ここに新しい憲法をもって宣言する。
いまこの二人の文章を読んでみると、いわゆる右派の論陣を張る人たちが標榜する「美しい国」のイメージがある程度想像できる。そしておそらくそのイメージは稲田氏や安倍総理大臣をはじめとする「日本会議」のメンバーが共有している国家像なのであろう。ただ、櫻井氏の文章には戦争という悲惨な事実がすっぽり抜けているので、歴史のリアリティー感が薄い。特に沖縄で戦火をかいくぐって生き延びてきた私としては「それってどこの国の歴史なの?」と問いたくなる。そもそも「美しい国」造りを目指すにはその国造りの担い手(為政者)がまず美しく凛としていなければなるまい。さもなければ自分の倫理的な低さを棚にあげて上から目線で高圧的に強要してくる、つまり人間として最も恥ずかしく、「美しくない」姿を国民の前に露呈させることになるからだ。そうなれば主権者である国民はそういう為政者には政権の座から降りてもらうという行動に出る。当然のことだ。
それにしても日本を「美しくしたい」人たちの美しくない言動には辟易する。教育勅語を暗唱し「安倍総理大臣がんばれ」と声をそろえる子供たちに感動の涙を流し、系列学園の名誉校長にまでなった昭恵夫人は自分の身に批判の目が向けられるようになってからずっと沈黙を守り続けている。櫻井よしこ氏はじめ、学園の講師に招かれた右派の論客たち(百田尚樹氏、青山繁晴氏、田母神俊雄氏、曽野綾子氏、渡部昇一氏、八木秀次氏ら)の誰一人として籠池氏夫妻を弁護しない。もちろん、詐欺罪で逮捕された籠池氏夫妻をかばうのはリスクが大きすぎるかもしれない。しかし、たとえ夫妻が罪を犯しているとしても、森友学園の建学の精神に賭けて何らかのコメントを発することはできないものなのだろうか。森友学園は今後経営困難に陥り廃校に追いやられるかもしれない。「そんなこと私には関係ない」という対応は果たして美しいのか? 稲田朋美氏は弁護士なのだから籠池夫妻の弁護を引き受けてはどうだろう。そうすれば彼女を凛とした美しさを備えた人間として認めよう。
東京都議選の結果が出る前までの安倍総理の言動には目に余るものがあった。傲慢で、強権的で、野党のみならず国民を見下し欺く。その姿は美しい国のリーダーとしては最もふさわしくない、むしろ美しさとは真逆なものであった。私はテレビの画面でその姿を見るにつけ、ストレスがたまり、何か決定的な鉄槌を下す者はいないかと期待し続けていたものだ。その思いは私だけではなかったことが間もなく証明された。国民・都民はバカではないのである。
日本が美しい国であることを望まない国民は一人もいない。櫻井よしこ氏の「憲法前文試案」を私は全否定するつもりはない。だが、氏が提唱する「美しい日本」を実現するにはその実現を担おうとする人たちに、人間的な力、倫理、モラルが恐ろしく欠けており、そういう人たちに将来の国づくりを任せるわけにはいかないと思う。あるいはそう思う私のほうこそ愛国者なのかもしれないではないか。(2017.8.2記す)
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