春秋時代の宋にサルを飼う人がいた。朝夕四粒ずつのトチの実をサルたちに給餌していたが、手元不如意になって、コストカットを迫られた。そこでサルたちに「朝は三粒、夕に四粒ではどうか」(朝三暮四)と提案した。するとサルたちは激怒した。「では、朝は四粒、夕に三粒ではどうか」と提案するとサルたちは大喜びした。
このサルたちは、未来の自分が抱え込むことになる損失やリスクは「他人ごと」だと思っている。――内田 樹『サル化する世界』(I 時間と知性-ポピュリズムと民主主義について、文藝春秋社、2020年)より
現代人は限りなく「サル化」している。内田によれば、それは現在の自分と将来の自分を同一視することができない「自己同一性」の欠如によるという。自己同一性という難解な用語を使わなくても、「人は目先の利益は分かるが、将来の損失が自分に降りかかるものとは認識できない」ということだ。単純な思いつきで「消費税を5%に下げることができる」と騙され、近い将来に15%に上げなければならないとしたら、「朝三暮四」の「サル」と変わらない。もっとも、将来の消費税が15%で打ち止めされることはなく、EU諸国のように20~25%に上げたとしても、日本の財政赤字の抜本的な解決が難しいほどに、日本の公的累積債務は増え続けている。
債務が累積するとはどういうことか。それは現世代の国民が身の丈以上に社会的給付を受けていることを意味する。赤字を積み上げた分だけ現世代が浪費し、その付けを将来世代に回しているのだ。その積み上がった浪費額はGDPの2倍以上、20年分の税収に達する。この巨額の「累積債務」=「現世代の浪費」は、すべて次世代の国民につけ回しされる。今さえ良ければ、将来の災禍は野となれ山となれというのは「サル」と同じ。自分たちの子供や孫が苦しむことを実感できないのだ。国の借金などどうにでもなると思っているのだろうか。軍国主義国家の戦時国債に騙され、政治主導の経済管理が社会主義下の国民経済を崩壊させたことから何も学ばない人類は、「サル化」の道を歩んでいる。
現代の日本の財務状況のなかで、増税なしに、社会保障給付水準も下げないという「虫の良い話」はあり得ない。増税しなければ、社会保障給付を減らすしかない。ところが、「サル化」した人間は、目先の消費税引上げに抵抗するが、断続的に実行される給付削減に抵抗することはない。仕組みが良く分からないものには抵抗しない。増税は嫌だが、給付削減は仕方が無いと直感的に思うのだろう。
政治家の無責任なポピュリスト政策によって積み上げられた債務は、戦争や大きな自然災害に見舞われた時に、必ず国民を大きな苦境に陥らせる。自業自得と言ってしまえばそれまでだが、現代人はもっと賢いはずではないのか。
人類は文字を獲得することによって、過去と現在を時間的に繋げることに成功し、時間意識を持ったはずだが、経済的な利益や国家社会の話になると、時間意識を持てなくなる。目先の甘い誘惑に負け、それが将来の大きな損失を招くことを実感することができない。歴史を辿れば、それを実感できるはずだが、如何せん、それは自らが体験したことではないから、身につく時間意識(歴史意識)にはならない。つまり、内田の用語を借りれば、自己同一性を我が物にすることができないから、人類は何度も同じ過ちを犯す。
政治や政治家は無責任だ。彼らは絶対に責任を取らないし、取れるはずもない。安倍晋三であれ山本太郎であれ、自らの政策の結末に責任を持つことはない。有権者の票を得るための甘言に、人々は簡単に騙される。「サル」にならないために、どうすれば良いのだろうか。少なくとも、目先の利得が、将来にどのような災禍をもたらすのかを考える思考力を身につける必要がある。
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〔study1109:200313〕