『動かぬが勝』佐江衆一・著 新潮社・刊   

 江戸を舞台に展開する人生ドラマがおもしろい。著者佐江衆一氏の7つの短編は、読みながしては、そのすばらしさは味わえないだろう。
 表題作「動かぬが勝」には、商人だった隠居が身をもって気づいていくプロセスが描かれる。60歳の彼は、神社の奉納試合にでて町人や武士と剣術を競う。勝ちたい、勝たねばならぬ。だが惨敗した。相手に惑わされず本質をみること、彼は負けてわかる。翌年の試合にも負け。世の中がそうであるように、ひと握りの者が勝者となるのだ。その勝者が優れた者とはかぎらない。自分の心の修業が足りないことに彼は気づく。驚きや恐れなどに執着すれば、気持ちが動じてしまうと、道場の師匠がアドバイスする。
 3年目の試合には、勝ち負けを思わず静かな心境で竹刀を構える。大局を見きわめて無欲となれば、かならず利を得る。この極意は、商いにおいて会得していたことだと、彼は気づくのだった。こうして彼は内面の充実をも実感したのではないか。
 さらに注目すべきは、他人との出会いやかかわりが、気分を変えたり、生きかたを導いたり、福をもたらしたりするきっかけとなる、その感応の自覚である。侍の師匠がいう。隠居の弟子から、老いたからこそ好きな道をきわめて楽しむことができることを教わった、と。この人と人との感応については、「永代橋春景色」にも指摘できる。自宅に転がりこんできた幼い迷子が、やくざ暮らしの潮時を教えてくれたのだと、独身男は自覚する。「水の匂い」にもそれは認められ、身寄りのない、料理人の少年と軽業師の少女が、心と目と笑顔を交流させる。少年が少女のつとめる小屋へむかうその弾む足どりが、なんともせつないのである。
 ミステリアスな「木更津余話」も傑作だ。日暮れの空をバックに橋の欄干に身を寄せてたたずむ女の、いや男の姿も、ひとつの鮮やかな絵になっている。その風情には、彼らの人生のものがなしさが想像されよう。ショートストーリーの「江戸四話」も、聴覚、触覚、嗅覚、視覚が細やかにゆきわたり、感銘ふかい。じっくり味読していくにつれ、読み手の胸に、人へのいとおしさが沁みてくるにちがいない、そんな時代小説である。
(「信濃毎日新聞」2009年3月15日付より転載)     

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