【俳文】札幌便り(15)

著者: 木村洋平 きむらようへい : 翻訳家、作家、アイデア・ライター
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汽車に乗って旭川へ来た。大晦日の暮れた街にイルミネーションが灯っている。たしか去年まではクリスマスで消灯されていたことを思うと、なんとなく明るい気分になる。とはいえ、人影はなく商店街も閉めきった店ばかりだ。

除夜の鐘どこで鳴らすや旅の宿

ゲストハウスに宿泊したが、なかは閑散としている。小さな居酒屋のようなところで新年を祝うべく、みな出払っている。日付が変わる頃、旭川のメインストリートをぶらついていた。

去年今年(こぞことし)音ひとつせぬ路上にて
初旅と言うもよけれや年またぎ
注連飾(しめかざり)ひとりで祝う夜更けかな

ガラスの扉にちょこんと飾られた注連飾を一瞥して、「小さな居酒屋」へ向かう。オーナーのご一家がおせち料理を用意してくれた。北海道では、元旦ではなく大晦日の夜におせち料理を食べると言うが、初めて知った。

飾海老(かざりえび)三本並ぶ皿二つ
集まれば名は知らねども賀詞(よごと)かな

10人ほどで祝える新年もめでたい。海老のお皿は三枚あったかもしれない。

いずこからいずこへゆくや年賀状

ここには届かないが、おそらく実家にも札幌の家にも届くだろう。こちらもあちこちで投函するから、落ち着きのない年賀状となる。翌日は、駅の立ち食い蕎麦屋で朝食を済ませて、とあるカフェを目指した。また珈琲か、と思われそうだが、富良野線の美馬牛駅にあるゴーシュというカフェの珈琲は、いっとう美味しい。数年前から「僕が知るなかで最高の珈琲」を出すお店、と友達にも触れ回っている。

乗初(のりそめ)やローカル線でカフェ詣で
初晴(はつばれ)や雪に埋もれしホームより

小さな美馬牛駅のホームは雪に埋もれて、単線の車両がゆくと、霧に消える一本の線路だけが残る。踏切もなし、そこを渡って猛吹雪のなかをカフェへゆき、着けば晴れるといった具合に天候は変わりやすい。帰りにホームから見上げた空は、まっさおで忘れられない。

如月の青さ白さをなんと言ふ
凍てて来る川も映さな空の色

「映さな」は「映す」の未然形に上代古語の「な」。「〜しよう」という勧誘、ないし「〜してほしい」の願いを表す。富良野線に見る風景は、厳しい自然の美しさをたたえ、ほかでは知らない。

さて、三が日のうちに札幌へ戻り、都会の生活に戻る。中島公園にKITARA(キタラ)というすぐれた音楽ホールがあるが、朝早く散歩するとまだ開館していない。

枯蔓(かれづる)をくぐりて閉じたKITARAかな

「法隆寺」や「伊勢神宮」ではなくて、横文字の固有名詞を詠み込んでみたかった。

すれちがう折に転びぬ深雪に
袋より根深(ねぶか)飛び出る寒さかな

細く雪掻きされた道は、少し寄ると足を取られる。「根深」は「葱」のこと。買い物袋から葱が飛び出るのは、べつだん寒さのためともかぎらないのだが。ところで、芭蕉の句に「干鮭(からざけ)も空也の痩せも寒の内(かんのうち)」という変わった句がある。これは実景ではなく、乾物にした鮭と、空也上人の痩せと、寒の内(小寒から節分まで)という三つを「取り合わせ」したところに妙味のある名句とされる。真似て、

エゾリスの痩せも小枝も寒の内

北海道風に興じて結びたい。

初出:ブログ【珈琲ブレイク】http://idea-writer.blogspot.jp/2014/01/blog-post_30.html
より許可を得て転載。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
〔culture0006:140131〕