【俳文】札幌便り(16)

著者: 木村洋平 きむらようへい : 翻訳家、作家、アイデア・ライター
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二月四日の立春を迎えるも、円山公園では積雪が腰まで達していた。今年は雪が少ないと言われていたから、「これでやっと真冬だ」とかえってほっとする心地。

初午や白樺枝を天に寄す

今年の初午(はつうま)は二月四日で立春と同じ。いつも円山公園で美しいと思うのは白樺で、夏も譲れないけれど、やはり冬が美しい。裸の枝々。まっしろで細く、雪も乗らない。

雪原の狐の跡を人追えず

狐の足跡は、小さく浅くついているが、ひとが追えないのは膝まで踏み抜いてしまうから。かんじきでもなければ渡れない。

赤い実のひとつもなくて二月尽

赤い実は、ななかまど。カラスにつつかれ、吹雪に吹かれ、姿を消す。以下は夜に詠んだ句。

極寒を逃れて空に春の月
春の望見るに足元おぼつかな

「春の月」以外は、ぽうっとしてやさしいものなどひとつとしてない「極寒」の空と地である。(季重なりはよしとされないかもしれない。北海道の暦のうえの春。)なお、妙に暖かい日があれば夜には道が凍るから、足元に注意がいる。

道南や里に近づく雪景色

旅の句はひとつしかないが、函館へ汽車で向かったときのもの。険しい崖や林、雪原を抜けて人里の所在を感じられるのは道南でこそだろう、と考えた。伊達紋別あたりでの吟。

曲水のルイボスティーに代えにけり

「曲水」(きょくすい)は、奈良や平安の昔に宮中で行われた宴。上流から流れる盃が自分の前を通りすぎるまでに歌を詠み、杯を空にする。さて、わけあって東京へ帰った。

残雪にあちらの家を思いけり
梅の香やこちらの家も懐かしき

ふるさとを歩く。

春風や小川の道をゆっくりと
スプリングコートもなしに春の風

ちょうどよい春の上着がなかった。ところで、東京は家のなかが寒い。札幌では温かかったのに。

東京の家屋を抜ける余寒かな

祖父に会う。

鳥曇声枯れてのちうなずきぬ

妹に会う。

わらびもちおさきにどうぞ召し上がれ

雑多な句をふたつ。

ちりめんを透かして誰か微笑まん
北国は干鱈に文字を書くそうな

アンデルセンの「雪の女王」は好きな作品だが、干鱈に文字を書くシーンがある。

夜にはオフィス街をそぞろ歩き、見覚えのある四ッ谷駅に出る。上智大学に隣り合うイグナチオ教会のステンドグラスも情緒があり。浅煎りの珈琲がおいしいカフェに二年ぶりに立ち寄った。

絵踏せる四ッ谷のホーム幅狭し
春灯やカフェの英字がぽつぽつと

初出:ブログ【珈琲ブレイク】http://idea-writer.blogspot.jp/2014/03/blog-post.htmlより許可を得て転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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