あるチベット人僧侶の物語

――八ヶ岳山麓から(251)――

中国青海省チベット人地域の学校で日本語を教えたとき、学生から「アジャ・ゲゲンの消息を知っているか」とよく聞かれた。「知らない」と答えると誰もがひどくがっかりした。
学生の話では、アジャ・ゲゲンはチベット人地域にある6大寺院のひとつクンブム・ゴンパ(漢語で塔爾寺)の寺主で、しかもチベット・モンゴル・漢三つの言語に通じ、仏教学の権威であった。中国仏教協会副会長・全国政治協商会議常務委員などの要職(といっても有職無権だが)についていたが、1998年にアメリカに亡命した。学生らはその後の彼の消息を知りたがったのである。

2013年彼は台北で回想録を出版した。出生から寺での幼児期、政治運動と強制労働とで学問がままならない少年時代、パンチェン・ラマ10世による仏教学指導、彼没後の化身ラマ11世選出、出国の決意と実行、アメリカでの修行と布教活動の48年にわたる記録である。その日本語版が『アジャ・リンポチェ回想録』(馬場裕之翻訳、三浦順子監訳、集広舎)である。
(以下、チベット語でラマもゲゲンも師僧、リンポチェは至宝すなわち高僧の尊称。したがってアジャ・ゲゲンとアジャ・リンポチェは同一人物である)

この大徳は、いったいいつごろから、どんな理由で中国からの逃亡を考えたのだろうか。
文中に、「……父の獄中での真相不明の死、兄ウェンマの受けた非人間的な扱い、オーセルおじさんが労働改造農場(監獄)に送られたこと、(恩師でおじの)ギャヤ・リンポチェが『四類分子』のレッテルを貼られたこと、パンチェン大師(10世)が突然入寂したこと、夜中の『金瓶掣籤(抽選)』、そしてクンブム寺で『パンチェン11世』の即位記念法会をおこなうよう強要されたこと」とある。
彼は、「これを怨みには思っていないが、亡命は熟れた果実が自然に落ちるのに似ていた」「この数十年の経験の一つ一つが、不可欠の触媒、あるいは積み重なった『因』だった」という。

アジャ・ゲゲンはチベット人地域のモンゴル人である。1950年ココノール(青海湖)湖畔の(「草原情歌」がうまれた)オロンノール草原(海晏県金銀灘)に牧民の子として生まれた。2歳の時クンブム寺寺主の化身アジャ・リンポチェ8世とされ、西寧郊外の同寺に住むことになった。
1958から61年にかけて、中国ではチベットだけでなく内モンゴル・新疆など少数民族地域で土地改革と集団化、宗教改革が進められた。これに対する叛乱が各地に起きた。その鎮圧方法はきわめて残酷で、チベット人地域寺院の90%以上が破壊された。成人男子が皆殺しにされて寡婦村になり、さらには集落が消滅したところもある。
彼によると、生地海晏県は「反革命県」とされ、多くの男子が殺され投獄された。捕まらなかったものも飢餓状態のなか、出身階層の「良い」ものは隣県へ、アジャ・ゲゲンの家族など「悪い」ものは数百キロ離れた祁連山脈の荒野に強制移住させられた。彼の父は多くの「悪者」とともに逮捕、行方不明になった。牧民が一掃された草原に機械工場の名で原爆工場が建った。中国最初の原爆はここで製造された。

本書には絶えず「お上」ということばが登場する。「上面」の訳語で、党の上級機関を意味する。「お上」は下は下なり上は上なりに強い権力をもっている。中国人は日常的に「お上」の「指導」を受けている。それはチベット人とっては強制である。
1989年2月チベット第二の権威パンチェン・ラマ10世が急逝した。95年5月タシルンポ寺寺主のチャデル・リンポチェらがその化身ラマの探索を受け持った。その結果としてゲンドゥン・チューキ・ニマを捜しあて、インドにいるダライ・ラマが11世として承認した。
ダライ・ラマが出てきたのに激怒した江沢民主席は、この幼児を隔離幽閉してチャデル・リンポチェを投獄し、あらためて化身ラマの捜索を命じた。「お上」は、自分らが捜した3人の候補者の中から11世を選ぶ抽選(「金瓶掣籤」)の際に細工をして、ギェルツェン・ノルブを当選させた。アジャ・ゲゲンは大胆にもこれら一連の措置に不満を表明した。

この過程を記録した部分は本書のヤマのひとつである。これからすれば、近い将来ダライ・ラマ14世の後継化身が中共によってどのように選ばれ、チベット人にどう見られるか想像に難くない。
というのは、中共が選んだパンチェン・ラマ11世は、いまチベット人からは「ギャ・パンチェン(漢人のパンチェン)」と呼ばれている。「ギャ」は漢語の「假(ジァ・偽物)」との掛詞である。強制なしには、チベット人は誰も「11世」を拝まない。
「お上」は当時、アジャ・ゲゲンを使いものになると思っていたらしく、彼を「ギャ・パンチェン」の教師になるよう指示し、さらに次期中国仏教協会会長に内定した。彼は自らを窮地に追い込むのを承知で、これら「お上」の一連の意向を拒んだ。
1998年2月、彼は3人の身内とともに北京国際空港からの脱出という冒険を試み、成功した。その後彼はアメリカ、ヨーロッパ各地で仏教学講義に従い、現在はアメリカのチベット・モンゴル文化センターを中心に活動している。
2011年4月アメリカで東日本大震災の犠牲者のために宗教を越えた祈祷式典を営み、6月仙台と東京を訪問し慰霊の誦経をした。

亡命者の手記には、たいてい過去をことさらにおとしめ亡命後を持上げる特有の誇張がある。アジャ・ゲゲンはこれを抑えつつ、歪曲された歴史の真相を淡々と述べている。私自身は今までチベット民族の現代を資料にもとづいて記録してきたのだが、本書によりそれが確認できある種の感慨を覚えた。
本書は若いチベット人にとって、初めて知る自民族の現代史である。だが、これを中国国内で見ることはできない。アジャ・ゲゲンは中共にとって反革命・「祖国」の裏切者だから。かりにそうでないにしても、あまりにも多くの真実を語っているからである。

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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