いきいきと立ちのぼってくる漱石の全体像 ―書評:森まゆみ著『千駄木の漱石』―

 夏目漱石が駒込千駄木町57番地の借家に引っ越したのは、明治36年のこと。英国留学から帰国した年であった。漱石はこの地で「吾輩は猫である」を書き作家デビューする。やっと、嫌でたまらなかった講師業から足を洗ったという。

 著者の森まゆみ氏は、この近辺に住み地誌研究に勤しんできた。その成果は、当地を舞台にした「吾輩は猫である」の読解によく生かされている。登場する地名や人名に注釈を加えながら読解は進行する。漱石の作品に興味と想像を募らせているうちに、著者はさらに、知識人一家の暮らしの些事やその感情ドラマを知りたくなった。漱石の私人と公人の両面を探求した本書からはおのずと、その全体像がいきいきと立ちのぼってくる。

 57番地の借家には以前に森鷗外も住んでいた。地方から上京し立身出世にまっしぐらだった鷗外にくらべ、江戸に生まれた漱石は、迷い迷い歩を進めた。博士号や名声や金持ちには関心がなく、懐手して世の中を小さく暮らしたいと願うのであった。

 漱石は留学後に神経衰弱がひどくて、妻の髪の毛をひっぱったり枕を投げたりしては困らせた。胃弱なのに正月の雑煮のもちを6つも7つも食うたそうな。こんなわがままや横暴は家庭内だけのことであって、外面は一変してやさしく、他人には懇切であった。自宅で食牛会や文章会をひらく。寺田寅彦や森田草平など若い仲間たちといっしょに研鑽をつむ。作品を批評しあったり朗読しあったり、食事をしたりして楽しんだというのである。

 本書が、筆まめな漱石の手紙を引用しながら進行しているのも、おもしろい。語彙が豊かで表現が多彩で、ユーモアに満ちているという手紙たち。なるほど、気取らずじつにのびやかなのだ。

 そして著者はさいごに、漱石の人生哲学を導きだしている。漱石の人生はおろかなる世間との永続する闘いである、と。創作をして読者に影響を与えること、若者たちと作品を批評しあうこと、出版社の商業主義に異を唱えることなど。これら社会的実践はみな、漱石の生きる意味の確認なのであったと、著者は明かす。

 漱石の大勢に順応しないで闘う姿と、個人としての毅然たる自負の心を、本書は充分に伝えている。(森まゆみ著『千駄木の漱石』筑摩書房刊、定価:本体価格1700円+税)

2013年1月13日付『信濃毎日新聞』より許可を得て転載。原題「毅然とした自負の心描き出す」

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion4624:130929〕