――八ヶ岳山麓から(329)――
高名なジャーナリスト池上彰氏とマルクス主義研究者として知られる的場昭弘氏の対談による、『いまこそ「社会主義」 混迷する世界を読み解く補助線』という題名の本を読んだ(朝日新聞出版 2020・12)。
私はついこの間、本ブログに「社会主義は未来像にはなりえない」と書いたばかりだったから、この碩学らが、なぜ「いまこそ『社会主義』」というのか強い関心があった。一読して、この本の魅力は鋭い現代資本主義批判にあると感じた。マックス・ウェーバーから新型コロナウイルスやアビガンまで、豊富な話題、該博な知識、しかも語り口がたいへん面白い。
ところが、この本の表紙には「コロナ禍後で待ったなしの『新しい社会主義』を考える」といううたい文句があるのだが、来るべき「社会主義」とはどんなものかは、最終章に行くまでわからなかった。それで途中を飛ばして、的場氏による「おわりに――幸福を感じながら暮らせる社会」について考える。
的場氏は、ここでいう「社会主義」という言葉には一般に流布しているような「社会主義」以上の意味を込めたという。なるほど、いまどき「社会主義」の意味は様々である。一般にはソ連や中国のような一党独裁・中央集権型の社会主義をさすのだが、この頃はアメリカ・オバマ大統領時代の医療保険の拡充政策を社会主義と呼んで非難する人もいるし、左派バーニー・サンダース氏やエリザベス・ウォーレン氏のような弱者救済を主張するのも社会主義者と呼ぶようになった。また北欧諸国の高度の社会保障制度を社会主義と呼ぶ人もある。
では「いまこそ社会主義」をと呼びかけた的場氏は社会主義をどう考えているのか。
「私が思い描く地方分権的社会主義は、いわば民主主義的な合意によって成り立っていく社会を想定しています」「社会主義を国家主義、全体主義と思っている人にすれば、独裁国も社会主義ということになりますが、実際にはそれは社会主義でも何でもありません」
ならば社会主義を自称する独裁国家はもちろん、旧ソ連や中国、ベトナム、キューバなど既成の社会主義国はみな社会主義ではないということだ。
また的場氏は「かつてマルクスは、資本主義の発展により企業の独占が進み、それがそのまま国家所有に移行するのではという発想にとらわれたことがあります。そのような発想がソ連のような国家主義的社会主義を生み出したともいえます。しかしどうやら、資本主義の発展に伴い、企業はむしろ国家を超えた世界的大企業へと変貌を遂げており、国家が企業を国有化するようなソ連型社会主義では立ち行かなくなっています」という。
これだけだと、中央集権国家や生産手段の国有化は、マルクスの思想によるものと誤解されそうだが、マルクスは後年(少なくてもパリコミューンの1870年以降)社会主義像を変えている。その構想は大まかなレベルにとどまったが、生産手段は国有化ではなく協同組合所有、計画経済の主体は国家ではなく協同組合の連合体であった。また国家の在り方は中央集権ではなく地域自治・分権の連邦制国家である。ソ連風の中央集権と国有化は、エンゲルスからレーニンに受けつがれて形成された社会主義である(たとえば大藪龍介氏の論文「過渡期」『マルクス・カテゴリー事典』青木書店 1998)。
さらに的場氏は、気候変動や民族間の不和など国際的な課題の解決を図るためには、「NGOのような活動的組織が資本主義社会の企業の資本をゆっくりと取り込み、地域集団が所有する公共的な資本へと変えていくのではないか」ともいっている。
思うに、氏が構想する社会主義は後年のマルクスの考えを下敷きにしたもので、簡単にいうと中央集権ではなく地方分権国家であり、また生産手段の地域集団所有というものである。では的場氏の「社会主義」は、放っておけば社会格差を生む市場経済をどうするのだろうか。
だが私は、こういった抽象的で高邁な議論で「いまこそ『社会主義』」といわれても、これに共鳴する青年がはたしてどれだけいるのかと、強い疑問を持つ。池上氏は、新自由主義・グローバリズムによってアメリカでは社会格差が拡大し、このことがサンダース氏のような民主社会主義者の大統領選での善戦をもたらした。特に「大学の学費無償化」は多額の借金に苦しむ学生に支持され、それによって社会主義を口にする学生が増えている、と述べている。
経済上の格差が広がったのは、日本もアメリカ同様である。ところが日本には、拡大しつつある格差と戦おうとする青年・学生がいない。不正規雇用・臨時雇いの労働者が全体の3分の1を占め、コロナ禍の中で失業し食うに困る人が出るというのに、正規雇用を求める労働運動は拡大しない。人々は変革を望まないようであり、「社会主義」を期待する声など聞くべくもない。どうしてだろうか。
また野党は、コロナ禍対策の遅れを取り上げて菅政権を攻撃するけれども、「学費無償化」のような、簡単で分かりやすく人の心をとらえるスローガンを提唱できない。そのため立憲民主党や共産党の支持率は低迷を続けている。なぜ政党にその能力がないのだろうか。
私は、池上・的場両氏に、こうしたことをこそ分析し、世に警鐘を鳴らしてほしかった。「いまこそ『社会主義』」は、そのあとに来るスローガンではなかろうか。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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