「日韓併合100年」にあたっての菅首相の談話が、10日に閣議決定され、発表された。事前に予想されたとおり1995年の村山首相(当時)の談話を踏襲する内容であって、しいて新味を探せば、在サハリン韓国人支援、朝鮮半島出身者の遺骨返還といった過去から今に残る懸案の解決に前向きの姿勢を示したことと、朝鮮王室儀軌などの歴史的図書の引渡しを明言したことである。
村山談話が敗戦50年と同時に日清戦争100年の節目に出されたことを考えれば、日韓併合100年に際して、日本の首相があらためて歴史認識を確認する談話を出すことは当然のことと言える。
しかし、この談話発表にいたる過程において、またまた日本の政界に伏流する奇妙な国家主義が姿を現した。談話の内容には取り立てて論ずべきものはないが、その国家主義にはいろいろ考えさせられる要素が見える。
首相談話の予定が伝えられると、右よりの超党派議員団体「創生日本」(最高顧問・平沼赳夫、会長・安倍晋三)が5日、反対声明を出した。声明は7月7日に仙谷官房長官が「法律的に正当性があると言って、それだけで物事は済むのか」と発言したことを、新たな個人補償を政府として検討する動きとしてとらえ、日韓請求権協定で解決済みの問題を蒸し返すことにつながりかねないと攻撃する内容である。
この「請求権問題蒸し返し説」が今回の首相談話反対論の中心にあることが、村山談話当時と比べて新しい特徴である。自民党の谷垣総裁も5日の記者会見で「出す必要があるのかどうか、大きな疑問だ」とのべ、その理由として新たな補償問題が生じる恐れがあることを挙げた。「昭和40年締結の日韓基本条約とそれに伴う合意で解決された問題のはずだ。それを不用意に蒸し返すことは間違っている」と。
そしてもう一つの特徴は反対論が与党・民主党の内部からも堂々と出てきたことだ。6日、民主党の笠浩史国対筆頭副幹事長、松原仁副委員長らが仙谷官房長官に「慎重に運んで欲しい。与党の政策調査会できちんと議論するべきだ」と申し入れた。笠氏らの「慎重論」の根拠は明らかでないが、同日、玄葉光一郎政調会長(行政刷新担当相)も「文字通り慎重に検討してほしい。補償の話が蒸し返されてはならない」と記者会見で語っているところを見ると、民主党内の慎重論(=反対論)も請求権問題蒸し返し説であろうと想像がつく。
10日の閣議で談話が決定、発表された後でも、玄葉氏は「もっと党に相談して欲しかった。決定には自分は積極的ではなかった」と不満を漏らし、野田財務相も「私の意見は官房長官に伝えてある」と、言葉を濁した。
注目されたのは原口総務相で「(談話は)国際法上、新たな義務を日本に課すものではない。もしそこを一歩でも踏み出すものであれば、私は身体をはってでもそれを阻止しなければならないと考えていた」と、大げさな表現で談話への自身の態度を説明した。
つまり与野党を通じて、今回の首相談話が日本の植民地支配に対する韓国(いずれ北朝鮮も)人の個人的賠償請求を触発することになる恐れがあるから、というのが反対論の根拠である。
率直に言って、日本の国家主義も落ちたものだと思う。歴史の節目に、その歴史が自らにとって不名誉なものであればなお一層、きちんとそれに目を向けて態度を表明することは、近隣諸国の信頼をかちとる上で必須なことであるはずなのに、「勘定書を突きつけられては困るからだんまりを決め込むにしくはない」というのが、「国益」を表に掲げての、現在の国家主義の正体である。
「創生日本」には前記の名誉顧問、会長以下の多数の国会議員が名前を連ねている。この人たちは後生大事に財布を抱えて、聞かざる言わざるに逃げ込む日本を「創生」しようとしているのだ。民主党の一部議員ももとより同列である。
しかし、黙っていても、過去の歴史に対する補償請求は終らない。勿論、韓国にしろ、中国にしろ、その他戦後に国交を正常化した国々との間では法的には請求権問題はケリがついている。したがって、日本という国が被害を受けた外国の個人に補償をしたことはないし、日本の裁判所もそれを支持している。
同時に2007年4月27日、最高裁は戦時中、中国から強制連行された人たちが西松建設に対して起した補償請求裁判の判決で、法的には請求を斥けながらも、裁判長はあえて次のように付言した。「西松建設を含む関係者において、本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待されるところである」と。
ことは法律の問題ではない、道義の問題である、というのが裁判長の付言である。これを受けて、当初は補償に真剣に取り組むことを避けていた西松建設も昨09年10月23日、原告たちとの和解に応じ、責任を認めて謝罪すると同時に、2億5000万円を信託して補償などのための基金を設けることになった。
西松にはそれなりの計算があったろうが、結局は責任を認めることが同社のためになるという判断であろう。どこまで出来るかは別として、誠意を感じさせることが、歴史問題を処理する際には肝要である。
周知のように第二次大戦後のドイツはナチスの責任を自らの責任として、VWなど民間企業が中心になって基金を作り、ナチスの被害を申し出た外国人に補償してきた。第二次大戦の交戦国と国境を接するドイツとしては、それなくして戦後のヨーロッパで名誉ある国家として存立しえなかったであろう。
四方を海に囲まれた日本は、東西冷戦中米国の庇護のもとにあったこともあって、近隣諸国との国交調整にあたっても安上がりを第一に考え、それなりの成果をあげてきた。中国に対して「一銭も払わずに」国交を回復したことはその最たるものである。しかし、それで万々歳とばかりに、昔の話となると財布を抱えて逃げ出すような、そんな見え透いた態度が尊敬を受けるとはとても思えない。
口を開けば「日本、日本」と叫ぶ国家主義者、国益主義者たちの短慮浅見が見事に姿を現した談話騒動であった。