この焦燥ぶりが恐ろしい ― 正念場の習近平(5)

著者: 田畑光永 たばたみつなが : ジャーナリスト
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新・管見中国(30)

 この秋の中国共産党第19回全国代表大会(略して「19全大会」)が10月18日から開かれることが、8月31日に発表された。大会は5年に1度で、そこでは次期最高指導者を含めて、同党の重要人事が決まるので、内外の関心はだいぶ前から高まっている。
すでに読売新聞が大会で決まる(正式には大会で選ばれた中央委員による第1回会議で決まる)政治局常務委員7人(トップの7人)のリストを報じたり(8月24日付)、毎日新聞が「習近平の後継者は子飼いの子分で、つい7月に重慶のトップになったばかりの陳敏爾だ」と決め打ちしたり(8月28日付)したりしているが、これらは当たるも八卦の観測記事で、大会のムードの盛り上げ役である。
しかし、日程が決まったということは、ああいう体制の国柄では、大会で決まることの内容もほぼ決まったと解釈されるから、ようやく前哨戦が終わってここからが大会前の最後の一か月半、伝わる動きはさまざまな想像をかき立てることになる。
 その直前のことではあるが、8月末にエッと驚くようなニュースが3本あいついで伝えられた。
まず英国の名門、ケンブリッジ大学が昔から出している「チャイナ・クォータリー」という中国研究の専門雑誌のウェブサイトに出ているおよそ300本の論文を中国では読めないようにすると公表したこと。大学によれば中国当局から天安門事件やチベットなどいわゆる「敏感な問題」についての論文を読めなくするよう要求され、断った場合の影響を恐れて、それに従ったということであった。
 しかし、これは内外の多くの学者・研究者の批判に押されて、ケンブリッジ大学が決定を取り消したので、今度はそれに対して中国側がどんな報復に出るかに注目が集まっている。それにしても「チャイナ・クォータリー」という雑誌はまず普通の人の手にも目にも止まらない地味な論文集である。読者はきわめて限られている。中国の「老百姓」と呼ばれる庶民とはまず無縁の存在である。
 それを中国で読めないようにするとは、中國の研究者に読ませないということである。研究者の視野を政府が狭くするのは秦の始皇帝の焚書坑儒の発想である。中国の言論空間が政府によって制限されていることは今に始まったことではないが、それでも一昔前には大学の教員たちはわれわれのそうした批判に対して、「でも我々仲間内ではインターネットで自由な議論をしていますよ。政府も我々のことは大目に見てくれます」と言っていたものだ。今度のことはその大目に見られてきた限られた空間さえ閉ざされようとしていることを物語る。
 次は流行歌の問題である。ある広東省の歌手が「情定揚州」(揚州に心を奪われた、といった意味)という歌を作った。江蘇省揚州は先々代の党総書記、江沢民の出身地である。そしてこの歌の歌詞には恋人とおぼしき女性の描写に「彼女は大きな眼鏡をかけ・・・3つの授業では代表をつとめた」といった言葉が出てくる。江沢民は大きな眼鏡をかけていたし、「3つの代表」とは党規約にも書き込まれた江沢民の「重要思想」の代名詞である。
 その江沢民は8月17日に91歳の誕生日を迎えた。その翌日、18日の地元夕刊紙「揚州晩報」がこの歌の特集記事を掲載した。ところがその後、同紙はこの特集について、「不真面目だった」と自己批判して記事を撤回した、というのである。
 江沢民は概して人気のあった指導者とは言えない。それを恋人役に見立てるのはある種ブラック・ユーモアのような気もするが、本人の地元となれば、それとて好意的に受け取るであろうから、「揚州晩報」の自己批判は江沢民が怒っての結果とは考えられない。まず9分9厘、習近平周辺からのクレームか、あるいは地元幹部が習近平の胸の内を「忖度」した結果であろう。このシリーズの第1回に取り上げたように「くまのプーさん」に擬せられることを嫌う習近平は江沢民が「恋人」に唄いあげられるのも面白くないことは十分に考えられる。それにしても細かいところまでうるさいことである。
 以上2件はまあ小さなエピソードであるが、次は深刻である。中国政府がインターネットの規制に力を入れていることはかねて広く伝えられているが、その決定版ともいえるものが、この秋から実施されそうである。
 8月25日の北京の夕刊紙・「北京晩報」によれば、同日午前、国家インターネット情報事務室は「インターネット上への評論掲載サービス管理規定」なるものを10月1日から施行すると発表した。
 細かいことはいろいろあるが、一番の問題点は評論文を掲載したり、それにコメントしたりするには、実名でなければならない(ペンネームはご法度)としていることである。そんなことがインターネットの世界で可能なのかと首を傾げたくなるが、文面から察するにどこかに登録して、パスワードか何かお墨付きをもらった人間以外はどこのウェブサイトにも入れないようにすることを考えているようだ。
 次は発言内容に対する事前審査を実施することだ。「先審後発」制度といっているが、文字通り内容の事前審査を経て後にネットに上げることになる。ウェブサイトの管理者は「関所の門番」を立派に勤めなければならないとされている。なにを基準に審査するのか、「違法違規」(法令違反)の情報が流れないようにするためという。
 しかし、事前審査だけでは「違法違規」の内容が審査をすり抜けて、社会に流れ出ることもありうる。そういう場合には気が付いた読者がそれを告発する仕組みをウェブサイトは整えておかなければならないとされている。「スパイ防止法」に取り入れられた密告制度がネット世界にも登場するわけだ。
 中国には幅広く適用されることで悪名高い「政権転覆陰謀罪」や「政権転覆扇動罪」がある。たとえば政府による土地の収容に不満な庶民に仲間を組織したり、抗議の仕方で相談に乗る弁護士たち(中国では人権を守る「維権弁護士」という言葉が定着している)が大勢この罪名でつかまっている。ネット世界の審査もまずこれに目を光らせることになるのは間違いない。
 この「規定」で中国の言論空間はいよいよ狭くなるが、それについての当局者の発言がふるっている。「取り締まるのは違法違規の言論なのだから、言論の自由の妨害にはならない」というのだ。悪法にひっかかっても違法は違法、法を犯す人間は悪人、という独裁国家が昔から使ってきた論法が21世紀のネット空間にも幅をきかせるのだ。
 それにしても、どこかの国と同じく「一強」のはずの習近平が党大会を前になにに怯えてこんなことまでするのか。その焦燥感の根深さが恐ろしい。(170831)

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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