これがブッシュの戦争の産物だ ―イラク、最悪の宗派間内戦(1)―

著者: 坂井定雄 さかいさだお : 龍谷大学名誉教授
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▽侵攻しなかったブッシュ(親)
1990年8月、フセイン政権下のイラク軍がクウェートに侵攻して始まった湾岸戦争。ブッシュ(親)大統領の下、米軍主導の多国籍軍は、イラクへの激しい爆撃のあと、91年2月24日からクウェート占領のイラク軍への地上攻撃を開始、わずか3日間で侵攻イラク軍を壊滅した。この時点で、米軍がイラク本土に逆侵攻すれば、短い期間で勝利し、フセイン政権を打倒することは確実だった。イラク南部では、米軍の支援を期待して、フセイン政権に差別・弾圧されてきたシーア派住民の決起が拡がっていた。しかし、ブッシュは、停戦実施を1日遅らせ、撤退するイラク軍を空爆で壊滅しただけで、イラク本土への侵攻を止めた。決起したシーア派住民も見捨てたため、数万人の住民がフセインの軍隊に虐殺された。
ブッシュ(親)がイラク本土への侵攻をしなかったのは、国際法違反とされることや、国際社会から非難されることを恐れたからではない。「石油のための米国の戦争」を非難する国際世論は根強い一方で、イラクの侵略に勝利した米国を支持する国際世論があり、とくにアラブ諸国の多くはフセイン政権の打倒を期待していた。その中でブッシュ大統領がイラク本土侵攻を止めた理由は、スンニ派のフセイン政権を打倒した後のイラク再建の責任を負う米国が、国内での大混乱、とくに人口の多数を占めるシーア派のスンニ派に対する報復、両宗派間の内戦が避けられず、それを解決することが困難だと予測したためだった。もちろん、ブッシュを支えていた補佐官たちや政府、軍の幹部たちが賢かったのだ。
しかし、2001年9月の同時多発テロ攻撃を受けたときのブッシュ(息子)大統領とその政権は逆だった。ネオ・コンという好戦的保守主義の影響を受けた大統領以下の政権は、まず国際テロ組織アルカイダの拠点となっていたアフガニスタンを攻撃し、タリバン政権を壊滅。続いてイラクと戦争してフセイン政権を打倒し、イラクを占領し、米国が構築する「新中東」の中枢にする戦略を固め、実行した。イラクに巨大軍事基地を建設し、米軍駐留経費をイラクの石油収入で賄うことはその戦略の重要部分だった。フセイン政権打倒後の宗派間対立の問題を警告する内外からの懸念には、ブッシュ(息子)政権とネオ・コンは関心をほとんど払わなかった。しかし、イラク国民の反米民族主義が高まり、「新中東」戦略は失敗し、オバマ政権は11年12月に米軍を全面撤退した。

▽象徴的なモスル陥落
この6月中旬、イラク北部の同国第2の都市モスル(人口200万人)を、わずか1千人ほどの過激なスンニ派聖戦主義の反政府武装勢力ISIS(「イラク・シリア・イスラム国」=次回に詳述)が攻撃。3万人の政府軍守備隊は2日間反撃しただけで、武器を放棄して逃走した。あっけないモスル陥落は、イラクの宗派間内戦を象徴する事態だった。
なぜこんなことが起こったのか。ISISに対する政府軍兵士の恐怖感もあるが、シーア派のマリキ政権へのスンニ派住民の反感が強く、武装した地元住民や他のスンニ派武装組織がISISに協力したことが大きかったという。ISISは、軍服を脱ぎ捨ててモスルに残っていた政府軍兵士数百人を捕まえて処刑した以外、一般市民たちには危害を加えず治安を維持、電気、水、食料供給の回復に努めた。一方、イラク中央銀行のモスル支店を襲撃して、現金約4億ドルを奪取した。すでに支配したイラクとシリア北部の油田から産出した原油をトルコ経由で密輸出して、資金が豊富なISISは、さらにリッチになった。
いまや最強力な反政府武装勢力となったISISは、さらに首都バグダッドに通じる国道1号線沿いのバイジ(首都の北約210km)にある国内最大の製油プラントを14日から攻撃。政府側守備隊と10日間の戦闘の末、守備隊を一掃して同プラントを占拠、地元の部族に引き渡し、管理・操業を委ねた。また、スンニ派住民が多い北部と西部のシリアやヨルダンとの国境の市や町を次々と占領している。中部でもすでに首都西方70kmの都市ファルージャなどの町は、保守的とされるスンニ派住民の支配下にあり、ISISとの協力関係が密接になっている。ISISは最近、バグダッド占領だけでなく、シーア派の最も重要な聖地であるカルバラとナジャフの占領も目標にしていることを公言した。パキスタンの著名なジャーナリスト、アハメド・ラシッド(邦訳「タリバン」の著者)は「そんな事態になれば、イラクでのスンニ・シーア宗派抗争が、全イスラム世界に広がりかねない」と深い恐れを警告した(フィナンシャル・タイムズ6月17日)。
もちろん、イラク政府は27万人の正規軍、他に53万人の警察や緊急即応部隊などの武装部隊を保有しており、マリキ首相は総反撃を宣言した。首相からの支援要請にオバマ米大統領は軍事顧問300人の派遣を決めた。米国は偵察情報の提供とごく限られた無人機爆撃もやるだろう。総人口約3,400万人のうちシーア派アラブ人が約60%、スンニ派アラブ人が約20%、スンニ派クルド人10-15%(クルド人については後述)のこの国で、2006年以来、シーア派のマリキ首相が独裁的に政権を支配、スンニ派の有力者を政権から外し、あるいは追放。石油利権と政府・軍・警察のポストをシーア派で固めてきた。これに対してスンニ派国民のマリキ政権への反感、敵意が強まり、それを土壌にして、ISISは、スンニ派住民が多い地域で、戦いを有利に展開している。
この国家の重大危機を解決するには、まずマリキ政権が総辞職し、スンニ派を最大限に含めた挙国政権を作り、ISISと戦う体制を築かなければならない。米オバマ大統領は6月23日から、ケリー国務長官をイラクに派遣して、マリキ首相に辞任と挙国政権づくりを強く説得したが、マリキは25日、辞任拒否を発表した。マリキ政権がこのままISISへの総反撃を開始すれば、70年代末以降、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、イラク戦争と3回の戦争で苦しめられてきたイラク国民は、さらに悲惨な内戦の犠牲を重ねなければならないのだ。(続く)

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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