――八ヶ岳山麓から(227)――
7月1日、経済学者張維迎氏は、北京大学国家発展研究院の卒業式で、教授陣を代表して「自由とは責任にほかならない」という表題の講演をおこなった。彼は自由を推進することの歴史的意義を強調して、これは祖国の命運に関心をもつ「北京大学人」の責任であり使命であると語った。
張氏は1959年生。中国経済の徹底した市場化、国営資本の民営化を提唱して新自由主義経済学者の旗手といわれた。だが、企業家精神を擁護するあまり、その不当行為を容認するような議論に及んだため、資本家の代弁者といった批判を受けた人物でもある。
講演は政府筋を恐慌に陥れたらしく、北京大学国家発展研究院の公式サイトから速やかに削除された。苛烈な思想弾圧がつづく今日、彼が当局からどんな扱いを受けるか懸念される。以下はこの講演の私なりの要約である。
「自由とは責任にほかならない」
張維迎
1500年以降中国人は何も創造しなかった
イギリスの科学博物館の研究者Jack Challonerの統計によると、旧石器時代(250万年前)から2008年のあいだに世界を変えるような重要な発明は1001件あった。そのうち中国は30件で3%を占めるという。この30件はすべて1500年以前にうまれ、1500年以前の時代の全世界163件の重大発明の18.4%を占めるという。
最後の一件は1493年発明の歯ブラシである。これは明代たったひとつの重大発明である。1500年以後500年余り全世界の838件の重要発明中、中国がものしたものは一件もない。
技術開発と急速な拡大
1500年以後世界は一体化した。技術の発明が速いばかりか、その拡散速度はさらに早くなった。新技術がある地方に現れると、たちまちほかの地方が引入れるから、人類全体の進歩には重大な影響を及ぼすこととなった。経済成長のみなもとは、新製品・新技術・新産業の絶えざる創出である。
自動車を例に取ろう。自動車産業は1880年中期にドイツ人のKarl BenzやGottlieb Daimler、それにWilhelm Maybachなどが作り出したものである。ドイツ人が自動車を発明するや、15年後にはフランスが世界第一の自動車生産国になり、さらにその15年後にはフランスに代わってアメリカが第一となり、1930年アメリカの自動車普及率は60%に達した。
自動車産業の技術史をみると、有名な発明者は千をもって数えることがわかる。中国はいま第一の自動車大国だが、技術革新はドイツ・フランス・イギリス・イタリア・ベルギー・スウェーデン・スイス・日本などで行われ、中国人はだれ一人いないのだ!
人口規模と独創の関係
理論上は、ある国家の人口規模が大きいほど創造は多く、技術進歩も早いといえる。しかし創造と人口の比は指数関係であり、単純な等比関係ではない。
10数年前、アメリカの物理学者Geoffrey Westらは、都市生活中、人類の発明創造と人口の関係には「4分の5乗」の法則があることを発見した。もしある都市の人口が他の都市の10倍であるとすれば、発明創造の総量は後者の10を「4分の5乗」して得られる数値すなわち17.8倍となるという。
これからすると中国の世界発明創造に対する貢献は、中国の人口規模とはまったく比例しないことになる。中国人口はアメリカの4倍、日本の10倍、イギリスの20倍、スイスの165倍である。知識創造の指数累乗法則に従えば、中国の発明発見はアメリカの5.6倍、日本の17・8倍、イギリスの42.3倍、スイスに至っては591倍となるはずである。
そのスイス人は、手術用の鉗子、電子補聴器・安全ベルト・整形技術・液晶パネルなどを発明した。中国人民銀行発行の人民元紙幣に使われているニセ札防止インキはスイスの技術であり、国産の小麦粉の60~70%はスイス・ブロン社製の機械で製粉したものである。
中国にもかつて自由な時代があった
中国人の遺伝子に問題があるわけではあるまい。我々は古代中国の輝かしいものと理解される方法を、現代というこの時期に失っているのだ。明らかに我々の体制と制度に問題があることがわかる。独創力は自由にささえられたものである!思想と行動の自由だ。中国体制の基本的特徴は人の自由を制限し、個人の独創性と企業家精神を扼殺するものである。
中国人がもっとも創造力を発揮したのは、春秋戦国と宋代である。これは偶然ではない。この二つの時代は中国人が最も自由な時代だった。1500年以前、ヨーロッパもアジアも昏迷の中にあった。1500年以後、ヨーロッパに宗教改革とルネッサンスがおこり、だんだんに自由と法治に向かって歩み出した。いま我々はその逆を行っている。
私は強調したい。自由は不可分の総体である。心の不自由なとき、行動の自由はありえない。言論が不自由なとき、思想は自由ではありえない。自由があってこそ創造があるのだ。例をあげる。
手洗いと活字印刷、顕微鏡の関係
今日、食事の前とトイレのあと手を洗うのは習慣となった。だがハンガリーの内科医Ignaz Semmelweisが、医者と看護師は産婦に接触する前に手を洗う必要があるといいだしたのは、1847年のことである。これは当時の習慣と異なっていたから、彼は同僚のご機嫌をそこね、仕事を失い、精神病院で死んだ。享年47。
では人類の衛生習慣はどのように変化したのか。
これは印刷機の発明と関係がある。1440年代、ドイツの企業家Johannes Gutenbergが活字印刷を発明した。印刷機によって書籍と読書が普及した。そこで眼鏡の必要が生れ爆発的に増加した。印刷機の発明から100年後、ヨーロッパには数千のメガネ屋が生まれた。これが光学技術の革命を引きおこした。
1590年、オランダの眼鏡製造商Janssen父子は、いくつかのレンズを円筒の中に重ねておくと、ガラスを通してみたものが大きくなるのに気がついた。これが顕微鏡の発明につながった。イギリスの科学者Robert Hookは顕微鏡をつかって細胞を発見し、科学と医学の革命を引き起こした。初期の顕微鏡は解像度がたいへんに低く、1870年代に至ってドイツのレンズ製造商Carl Zeissが新しい顕微鏡を生産したが、それは精密な数学公式を基礎とした構造であった。
ドイツの医者Robert Kochなどは、まさにこの顕微鏡を使って微生物・細菌を発見し、かのIgnaz Semmelweisの見方が正しかったことを証明した。これによって微生物理論と細菌学が創設され、これによって人類の衛生習慣が改善され、人類の余命が大幅に延長されることになったのである。
発明・独創は自由あってこそ
過去30余年、中国経済はまれにみる発展を遂げた。この成果は西側世界300年の発明と創造が蓄積した技術を基礎として実現したものである。ところが中国経済の高度成長を支えた重要な技術と製品はすべて他人の発明したもので、自分の発明はひとつもない。我々はただの利ざや稼ぎをやったのであって、独創者ではない。我々は他人が作った大建築の上に小さな楼閣をつくったにすぎない。我々には自らを誇る理由がないのだ!
これから50年、100年と世界の発明発見は歴史を重ねるだろうが、中国は過去500年の歴史上の空白を変えることができるだろうか?答えは中国人が享有する自由を持続し向上させることができるか否かにかかっている。なぜなら自由があって、はじめて中国人はその企業家精神と独創力を十分に発揮でき、中国を新しい形の国家に変えることができるからである。
ここにおいて自由を推進し、またそれを擁護することは、中国の命運に関心をもつ一人一人の責任である。さらにいえば、これは「北京大学人」の使命である! 自由を守らずして「北京大学人」を自称するなかれ!
(2017・7・12記)
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