これほどの強制立ち退きとは―北京火災現場のその後

著者: 田畑光永 たばたみつなが : ジャーナリスト
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新・管見中国(34)

 今月16日の本欄に私は「人権に国情ありや!南南人権論壇の茶番」(新・管見中国33)という一文を載せ、その中で先月18日に北京で違法建築アパートから出た火災の火元周辺が市当局によって取り壊され、住民が強制退去させられた事件に触れたが、その後、北京を短期間訪れる機会があり、実際を見ることができたので、それを報告したい。
 現場は北京市大興区新建村。市内の中心部から車で小一時間ほど南へ走ったあたりで(正確なキロ数は分からなかった)、名前が示すようにいかにも最近、人が集まってきた場所という印象の土地で、そこここに服飾関係の工場が目についた。火元を目指して進むと道路わきに延々と青いトタンの塀が現れた。それの切れ目から中を覗いてみてあっと驚いた。
 塀の内側全部の建物が取り壊され、瓦礫がそのまま積み上げられていた。取り壊し・強制立ち退きといっても、私は火元の周り数10メートルからせいぜい100メートル四方くらい(それでも相当な広さだが)と予想していたのだが、なんと塀で囲まれた地域は何本もの道路を呑み込んで、反対側の塀は見えなかったから、少なくとも1キロ四方くらいはある広大なものであった。
 塀に沿って進みながら、切れ目から中を覗いていくと、民家のほかに工場あり、商店街あり、学校あり、幼稚園あり・・・、なのだが、見たところ、ちょっとがっちりした建物は窓や入口、室内は壊されていても骨組みはそのままというのが多い。瓦礫の山といっても見通しは悪く、それだけになんとも生々しく、そこここから壊されるところを見ていた住民たちの悲鳴や怨念が立ち上ってくるような、息苦しい光景が続く。
 なぜこんなことになったのか。報道によれば、先月18日の火事の後、北京市のトップ、蔡奇・共産党北京市委書記から違法建築に対する「大調査、大整頓、大整理」という号令が発せられ、住民は数日のうちに立ち退くよう命じられたという。
 確かに違法建築が野放図に増え、火事となれば多くの犠牲者が出るのを放っておくことはできないだろうが、それなら号令が言うように「大調査」をまず実行して、違法建築を見つけ次第、改善させるなり、だめなら壊せばいい。違法建築のほとんどは建物の地下に避難路の不十分な多くの小部屋を作って、出稼ぎ労働者などに安価で貸すということだから、しらみつぶしに調べるほうが、地区まるごとを廃墟にするよりよほどコストもかからず、住みかを追われる人間の数も比較にならないほど少ないはずだ。
 にもかかわらず、こんな強硬手段に出たのには、それなりの理由があるはずだ。思い当たるのは、きっかけになった火事の発生時期だ。習近平が総書記に再選されて「習近平新時代」の到来と国中が「喜びに湧いた!」共産党第19回大会が終わってまだ1か月も経たないうちに、首都の北京で、貧しい出稼ぎ労働者、地下の違法住居、焼死者多数・・・というウソ寒い現実を突きつけられて、習近平自身が激怒したのではないか。
 北京のトップ・蔡奇は習近平の学友として知られ、大学人から最近急に抜擢されて政治の世界へ入り、あれよあれよという間に今の地位についた人間だ。習近平も怒りをぶつけやすかったろうし、蔡奇のほうはなんとか汚名を挽回せねばと焦ったであろう。禍を転じて福となすとばかりに、ほとんど街(村だが)全体を新しく作り直すという藪から棒の大計画がそこから出てきたのではあるまいか。違法建築とは関係ない何万人という住民は降って沸いた立ち退き命令にさぞ驚愕したことであろう。
 それにしても、突然、立ち退きを命じられた人々はどこへどのように収まったのだろうか。補償はあるのか。あるという話だが、あんなに慌ただしく、しかも大量の取り壊し、立ち退きの後始末がスピーディにきちんと行われるものだろうか。
 青い塀沿いの道を走っている時、目の前の車が塀に寄って止まったと思ったら、まず女性2人が降りてきて、大きな荷物を抱えて反対側の路地に走りこんでいった。次に運転席の男性が飛び出して、明らかに布団袋と思われる大きな布包みを担いで、2人を追って路地へ駈け込んでいった。なんだろうと、こちらも飛び降りて彼らの姿を目で追ったが、あっという間にそれは建物の影に消えた。
 その時、気が付いたのだが塀の外の住宅地もすでに住人は立ち退かされて、すべて空き家となっていたのだった。そこへ飛び込んで行った3人はおそらく自宅を追われ、どこかへ身を寄せたものの、やはり居心地が悪く、とりあえず身の回りの物を持って家に戻ってきたものであろう。お上の目を盗んで自宅に入っても、この寒空におそらく電気も水も止まっている家でどうして暮らすのか、他人事にしても考えると目の前が暗くなる。
 ところで、冬の北京の名物(と言っては不謹慎だが)はPM2.5に汚染された空気のはずである。ところがこの15日から18日までの4日間はすくなくとも北京は青空だった。不思議に思って知人に聞いてみると、習近平はことのほか空の色を気にするそうで、しきりと燃料を石炭から天然ガスに切り替えるよう関係部局の尻を叩いているのだそうである。その結果、天然ガスが来ないうちに石炭の使用をやめた学校で子供たちが寒さにふるえて、そこでやむなく外の日向に机を持ち出して授業をしているといった話が伝わっていた。
 これらの話を通じて見えて来ることは、習近平という人は現代風の行政組織を通じて合理的に国を運営するというより、昔の皇帝のように、可能性や合理性を無視して、自分の見たくない現実を目の届かないところに押しのけ、見たい夢を無理にでも実行させる、といったタイプの権力者のようである。
 そういえば、彼の発する政治的号令は二言目には「党に従え」である。「党に従え」の「党」とはその核心である習近平その人にほかならない。毛沢東、鄧小平、江沢民、胡錦涛と続いてきた中国共産党治下の中国では、5人目の権力者にいたって清朝以来の皇帝が降臨して来たのであろうか。                       (171221)

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〔opinion7209:171222〕