こんな国で8月の国策オリンピックは大丈夫か?

著者: 加藤哲郎 かとうてつろう : 一橋大学名誉教授
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2019.8.15かと   猛暑に続いて、台風です。外国人観光客には、航空機の欠航も新幹線の運休も十分伝わっていないようです。大丈夫でしょうか? 来年の東京オリンピックは、7月24日から8月9日、パラリンピックは8月25日から9月6日なそうです。207か国・地域から12000人を越える選手団がやってきて、33競技339種目を競うとか。晴れても東京で30度以上、暑い日は40度になるでしょう。アスリートの健康をベストに保てるでしょうか? 外国人客は年間4000万人、オリンピック期間中は前回1964年東京が5万人でも、2012年ロンドンは59万人だったからと見積もり、来日80万人という皮算用とか。でも、多くは台風も地震も経験したことのない人々でしょう。母国語の旅行ガイドとホテル・民泊の英語・中国語・韓国語案内ぐらいが頼りで、いざ地震・台風となると、ほとんどパニックでしょう。早朝競技開始にしたうえで、暑さ対策が「打ち水」「傘かぶり」に「朝顔の鉢植え」では、「死のオリンピック」になりかねません。

かと この過酷な猛暑の季節の日程が、巨大NGOである国際オリンピック委員会IOCの主要な財源である、アメリカのテレビ局の放映権を優先させていることは、よく知られています。その商業主義の出発点は、1984年の米国ロスアンゼルス大会でした。だがそれ以前から、「世界平和の祭典」とはいえ、もともと都市単位のアスリート競技会であるオリンピックは、開催国の国威発揚・対外示威プロパガンダに利用されてきました。1936年、ヒトラー総統下のベルリン・オリンピックが知られています。1964年の第一回東京オリンピックや、80年モスクワ・オリンピック88年ソウル・オリンピック2008年北京オリンピックなどは「国策」としての性格が強いものでした。

かと 実は高度経済成長期の1964年の前に、1940年の「幻の東京オリンピック」が一度は決まっていました。ナチス・ドイツの「民族の祭典」にならって、1936年ベルリン・オリンピック開催時のIOC総会で決まったものです。大河ドラマは見ないので、「いだてん」でどう描かれたかは知りませんが、当時のライバル都市はローマとヘルシンキで、33年に国際連盟を脱退していた日本は、ヒトラーへのギフト攻勢と仲裁で、ムッソリーニのイタリアとの間で1940年東京、44年ローマの密約調停を受け、ヘルシンキ27票に対し36票を得て決まりました。後の日独伊三国枢軸の一つの原型ですが、日本側は、「初の有色人種国家開催」と共に、「1940年=神武天皇奉祝紀元2600年建国祭」の目玉とすることに、こだわりました。もっとも主催都市東京と財界・商工省には別の思惑もあり、もともと関東大震災からの「帝都復興」と世界恐慌・不況からの脱出を世界に示す勧業ビジネス「一等国化」、外国客誘致・外貨獲得の狙いがあって、博覧会国際事務局に申請して1940年「東京万博」も一緒に開催することになっていました。

かと 詳しくは、私自身が『近代日本博覧会資料集成 紀元2600年記念日本万国博覧会』(国書刊行会、2016)を監修し、解説「幻の紀元2600年万国博覧会ーー東京オリンピック、国際ペン大会と共に消えた『東西文化の融合』」を書いていますので、そちらを参照してもらいますが、1940年オリンピック・万博は、共に幻に終わりました。1938年7月近衛内閣の閣議で、東京オリンピックはIOCに「返上」、日本万博は「延期」と決定されました。理由は明らかです。37年盧溝橋事件による日中戦争の泥沼化が、国際社会からの批判と孤立、参加ボイコットを招きました。国内的には、戦争遂行・軍備拡張を最優先する軍部の反対に、オリンピックによる国威発揚・「国民体育」を狙った文部省も、勧業・観光ビジネスを狙った商工省も、さからえなかったのです。しかし、それよりも本質的なのは、国体明徴・国民精神総動員から八紘一宇・大東亜共栄圏へと神がかる内務省神社局・神道勢力主導の「紀元2600年祭」に、「平和の祭典」オリンピックや「東西文化の融合」を謳った万博を合体させる国策の構想自体に、国際社会で信頼される上での無理があったのです。「紀元2600年建国祭典」自体は開かれましたが、昭和天皇の神格化と「大東亜戦争」準備の動員イベントのみになりました。外国人10万人誘致・外貨獲得計画も、もちろん挫折しました。

かと 敗戦後74年の8・15にこんなことを書くのは、酷暑と台風のオリンピックを危惧するばかりではありません。「平和の祭典」オリンピックの開催には、国際社会の中での信頼と協調が不可欠です。ところが安倍内閣の「おもてなし」外交は、弱体化したトランプのアメリカへの貢ぎ物ばかりで、近隣諸国とは協調できません。隣国韓国への傲慢で「無礼」な態度は、かつての植民地時代・侵略戦争を世界に想起させるばかりです。新元号・即位での数々のイベント・神道儀式・国民動員は、「いつか来た道」を思わせます。ちなみにオリンピックの開会宣言は、開催国「国家元首」がつとめます。64年は昭和天皇でした。「失われた30年」からの脱出を狙った「復興オリンピック」は、激化する米中・日韓対立の中で、経済的効果も怪しくなりました。もともと財政的・政治的コストに比してのイベント効果は衰退し、世界の多くの大都市は立候補を敬遠・辞退しています。64年東京も88年ソウルも、翌年は大不況でした。すでに年間3000万人を越えた「外国人観光客」の過半は、韓国と中国からです。台湾・香港を加えると75%です。世界経済・通貨は不安定です。円高は輸出ばかりでなく観光客も減らします。中東や東アジアの情勢次第で、国際テロや犯罪もありえます。誘致のさいに「アンダーコントロール」と国際公約した3・11の後始末、原発廃炉も汚染水処理も深刻なままで先が見えません。本来被災者救援にまわさるべき復興財源と建設資材・人材が、東京オリンピックに集中され高騰しています。何よりも批判的言論・思想と文化の自由が衰退し、「ファシズムの初期症候」の重要な一部である「強情なナショナリズム」「人権の軽視」「団結のための敵国づくり」「メディア統制」が進行しています。「敵国づくり」「軍事の優先」が国際ボイコットにつながった「紀元2600年」の教訓とは、日本国憲法前文「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」を再確認し、政府が実行することです。もっとも「加害と反省」を認めない安倍首相は、お盆の先祖の墓前で「紀元2680年の改憲」のみを誓ったのでしょうが。

かと 昨年から毎日新聞朝日新聞で大きく報じられてきた、国会図書館憲政資料室太田耐造関係文書」のゾルゲ事件関係新資料を中心にした私の最新の編纂書『ゾルゲ事件史料集成――太田耐造関係文書』 全10巻(不二出版)が発売されました。すでにカタログが公開されています。個人では大変なセット価28万円の高価な図書館・公共機関向けの本ですので、出版社の許しを得て、ここに発売された第一巻所収の「解説ーーゾルゲ事件研究と『太田耐造文書』」を公開します。関心のある方は、これをご覧のうえ、大学図書館・公共図書館等に購入希望を出して頂けると幸いです。「15年戦争と日本の医学医療研究会(戦医研)」で行った私の記念講演はyou tube に入っていますが、その後の研究で厳密にした学術論文「731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後」が、同研究会誌19巻2号(2019年5月)に発表されました。著作権の関係ですぐにはアップロードできませんが、ご関心の向きは、戦医研の方にお問い合わせ下さい。

初出:加藤哲郎の「ネチズン・カレッジ』より許可を得て転載 http://netizen.html.xdomain.jp/home.html

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