電車の中吊り広告を眺めていたら、「それでも原発 動かすしかない」の大きな文字が飛び込んできた。JR東海系の雑誌「wedge」の特集である。この時期に勇気ある大胆な提言である。確かに電車は電気がなければ走れない。今さら蒸気機関車やディーゼルエンジンに戻す気はないだろうし、電力不足や価格上昇によって収益は悪化するからJR東海が非常に困るであろうことは容易に分かる。よくよく熟考した上での「それでも原発」の苦渋の選択というのなら拝聴に値しよう。しかし、やれ政府だけが悪い、原発地元は再開したい、電気がなければ経済は崩壊、といったものでは節電に貢献したいのか夏なのに随分とお寒い。このような動きは本書での井野博満さんの言葉を借りれば、「原発の存続を望む人たち・勢力と、原発の廃止を求める人たちとの間での社会的な闘争」の一例となる。
東日本大震災と福島原発事故から3ヶ月以上が経過したが、新たな現象が起こり続けていることが毎日報道されている。依然として事故は収束の糸口さえつかめていない。まだまだインチキをやりそうな政府と東電や脱原発など考えてみようともしない傲慢な財界、いまは分が悪いと蟻さんのように小さくなってじっと出番を待っている原子力村の面々を前にして、将来どのような悪影響がわれわれに日本人の身に降りかかるのか大きな不安だ。この間に世界各国では脱原発に関するいろいろな動きがある。これらに取り巻かれて私たちは日々を暮らしている。いくら時代、経済、社会はものすごいスピードで動いていようとも、迅速に解決できないことや、即断してはいけないことが世の中にはある。今回の事故以来、脱原発や原発推進といったことはウンウンと唸って一生懸命になって考えた末に初めて結論が出せることらしいと気付き始めている私たちにとって、「原発を動かすしかない」云々を新幹線なみのスピードで決められてはかなわない。
本書「福島原発事故はなぜ起きたか」は、4月16日に明治大学で開催された「ちきゅう座(https://chikyuza.net/)・現代史研究会」主催の研究会「いま原発で何が起こっているのか -東京電力福島第一原子力発電所事故と原発立国のこれから-」での報告を中心としてまとめられたものである。4月16日といえば東日本大震災と福島原発事故から1ヶ月が経過したところで、未だ炉心溶融の事実などは公表されていない時期であった。
この手の研究会の参加者はどこも比較的平均年齢層が高い男性が主体という。このときばかりはいろいろな世代の方々が詰め掛け特に数多くの女性の姿が目立ち、海外ケーブルテレビ局の参加者へのインタビューもあったそうだ。福島原発事故が日本だけの問題でないことを思い知らされ、それだけ原発事故と今後の放射能汚染についての心配が世界的にも大きいことがうかがい知れる。研究会では講演者の報告を聞くに止まらず会場との質疑応答も活発に行われた。本書では報告後の質疑応答の内容も詳細に記述されており、その場にいなくとも講演者と参加者が一緒になって考えた熱気がじかに伝わってくる。
講演者は、『柏崎刈羽原発の閉鎖を訴える科学者・技術者の会』代表で「まるで原発などないかのように」(現代書館 2008)などの著作もある東京大学名誉教授(金属材料学)の井野博満さん、事故を漏らさずわかりやすく解説することに徹している事故論が専門の元東芝、原子炉格納容器設計者の後藤政志さん、原発に警鐘を鳴らし続けた物理学者の故高木仁三郎さんが創設した「高木学校」(http://takasas.main.jp/)の放射線汚染の専門家である瀬川嘉之さんの3名。内容は、今回の事故にかかわる全体の動きの概要、福島第一原発の事故詳細、放射線の人体への影響、となっておりバランスのよい構成となっている。
井野さんが憤るように、産官学のもたれ合い構造の歴史が福島原発事故をここまで拡大させた温床であったことはようやく知らされたばかりだが、2007年に発生した柏崎刈羽原発被災の教訓が殆ど活かされず黙殺されたことは福島原発事故が人災であることを改めて印象付けるものだ。
また技術は完全ではなく、原子力の安全も完全ではないこと。最後に少し残った完全でないところを「ゴメンネ」で済まそうとする立場と、起こり得ないと思うのではなく想定し得る事故シナリオはいつか実現すると考える立場が技術者や研究者を隔てているという後藤さんの指摘は、「ゴメンネ」という逃げ道を想定することで知りたくない事実を見ないようして結果的にウソやごまかしへと繋がる道を歩む恐れがあることを示すもので、技術に携わる者の存在価値の根幹に関わる問題といえよう。そもそもウソやごまかしがあるとすればそのようなものを技術とは呼ばない。その辺りは井野さんや後藤さんらによる「徹底検証 21世紀の全技術」(藤原書店 2010)を参照されたい。
放射線に対する基本的な知識を得ることで、これからも続く放射能汚染への対応を政府からの情報だけに任せず、自身でもある程度判断できるようにしたいと考えている人は多い。特にこれからの世代への健康被害の恐れは「直ちに影響の出るものでない」だけに忘れずに注視し続けてゆくことが大切となる。瀬川さんの解説はこのときに有効である。
たとえ様々な事情があるにせよドイツやイタリアでの脱原発への舵切りの契機が、福島原発事故にあったことは見逃せないことで、公海を汚染させてしまい諸外国から非難された当事国の政治家が、これをヒステリー集団などと簡単に蔑むのは雇い主である国民として恥かしい。件の保守政党のフニャフニャした二世政治家からすれば日本全国で開催された「6・11脱原発100万人アクション」の数万人の参加者などは当然テロリストのような最悪のヒステリー集団ということになる。本書を一読すると無関心に落ち着いてはいられなくなるが、果たしてそれがヒステリーになるということだろうか。経済成長を声高に叫ぶのももちろん結構だが、われわれ国民が原発問題をもっと勉強することで成長するのを都合が悪いと言うのは不埒な話といえまいか。
本書はフェイストゥーフェイスで市民に向けて語りかけられた言葉で終始しており、専門的な内容が多いにもかかわらず、そんなに難しいといった印象をあまり持たない。「とりあえず知っておこう」と手に取ってみるところから「いったいどうなっているのかをもっと知りたい」といったレベルまで広く読者の要求をカバーできるものとなっている。給与カットされていても全然財布の負担にならない高コストパフォーマンスな一冊として東電社員の皆さんにも推奨できるものである。
(「福島原発事故はなぜ起きたか」(藤原書店刊 2011年6月) 税込み1,890円)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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