◆2012.9.15 ようやく民主党政府が「原発ゼロ」の新エネルギー政策を掲げました。「革新的エネルギー・環境戦略」というのだそうです。ただし目標は「2030年代」ですから、国民に意見を求めた国家戦略室の3つのシナリオよりも、さらに10年先延ばしになりました。使用済み核燃料の再処理、核燃サイクル計画は継続です。もちろんフクシマ第一原発廃炉の展望も使用済み核燃料最終処理の見通しもありません。「あらゆる政策資源を投入」とはいいますが、再生エネルギー3倍への工程表は見えません。それでも財界は、さっそく経団連会長が首相に抗議の電話、電事連会長は記者会見で料金値上げの脅迫、アメリカからは核不拡散体制との関わりで、フランス・イギリスからは再処理後の高レベル放射性廃棄物の引き取りをめぐって、「横からの圧力」です。「原子力村」の末端にある立地自治体からは、六カ所村の青森県をはじめ、早くも原発継続の要請です。「原子力村」の中枢にいる経産官僚や原子力学者たちは、まだ地下で蠢いている局面ですが、「村」の出身者が多数の原子力規制委員会が、国会審議を経ずに法の例外規定によって首相任命のかたちで発足すれば、本格的な再稼働への軌道が敷かれます。しかも「近いうちに」総選挙があることになってます。選挙後に民主党政権が続く保証はまずありません。確かに政府の「原発ゼロ」決定には、すでに1年を越えた経産省前テント村、3月から持続する首相官邸前金曜デモ、その全国への広がり、そして7−8月の意見聴取会、討論型世論調査、パブリックコメントの結果が示した国民大多数の脱原発の声が反映しているでしょう。国民の声に耳を傾けて「原発ゼロ」をようやく明示したのは悪くはありません。ただし、昨年末の「冷温停止状態」宣言でも、今年春の大飯原発「再稼働」宣言でも、この政権には裏切られてきました。国民の信頼は全くありません。脱原子力基本法のような立法措置が必要です。国民投票のようなこのイシューでの民意の確定が望まれます。「近いうち」の最有力勝者、自民党総裁選の候補者は全員「原発ゼロ」反対です。脱原発の社会運動にとっては、試練の時です。
◆ 国民の方は、脱原発の覚悟ができています。しかし財界・原子力村からの圧力で、政府の動揺や裏切りは、まだまだ続くでしょう。円高不況、尖閣列島・竹島をめぐる中国・韓国との領土問題、沖縄普天間基地移転と連動しそうな米軍オスプレイ配備と、対外課題は山積で、国際環境も不安定です。「固有の領土」だから海上保安庁から自衛隊まで出して守れという威勢のいいナショナリズムは、国際社会では通用しません。国内で「領土問題は存在しない」といくら叫んでも、すでに国際的な情報戦は始まっています。第3国に対してどれだけ説得力ある歴史的証拠と実績を示すことができるかの問題になります。20世紀の国際連盟の事務次長新渡戸稲造は、フィンランドとスウェーデンの間のオーランド諸島の領有権紛争を、領土としてはフィンランド領とするが、言語はスウェーデン語とし、且つ非武装中立地帯とするという裁定を下して、紛争当事者双方から尊重されました。当事者同士の了解で凍結されている間はいいが、ひとたび火がつくと武力紛争までエスカレートしかねない重要な問題です。韓国との竹島、ロシアとの北方領土問題もそうですが、もともと日本が琉球・台湾・朝鮮半島・満州と帝国版図を広げていった時代に火種があります。日本自身の戦争の後始末の問題です。最近アーミテージと共に米国対日戦略の見直しを提言したヨゼフ・ナイでさえ、日本の「ソフト・パワー」について、「日本はアニメと人気テレビゲームの制作で世界一」だが、「日本は1930年代に海外を侵略した歴史を清算しきれていない。中国、韓国などにはいまだに日本への疑念が残っており、日本のソフト・パワーを制約している」と述べていました。どんなに韓流ブームやサッカーや卓球で相互理解を進めても、歴史認識に関わる問題は、侵略した側が忘れても、侵略された側は決して忘れず、次世代に受け継がれていきます。もちろん、国際社会のなかでの中国・韓国の台頭と日本のパワーの衰退という問題が、大きく作用しています。この側面は、矢吹晋さん『チャイメリカ』(花伝社)の書評として『図書新聞』9月1日号に書きました。日本政府がどんなにアメリカに忠犬ぶりを示しても、アメリカの世界戦略のなかでは、いまや日米関係は、米中関係の従属変数です。
◆ いや日本だってヒロシマ・ナガサキで大変な被害を受け、アメリカに占領され植民地になった、その「唯一の被爆体験」にもとづき、日本国憲法第9条を後ろ盾に、平和で豊かな社会を築いてきた、それなのになぜ中国や韓国は今頃になって、といぶかる人もいるでしょう。その「唯一の被爆体験」が、内向きのナショナルな結束力としてではなく、外にも通用する普遍的な論理として、どれだけ説得力を持ったのかが、フクシマ第一原発事故後に、日本における原子力の問題を歴史的に探求してきての疑問の一つです。日清・日露以来の日本の侵略戦争をたなあげにして日本の戦争被害、原爆や都市大空襲の話をしても、国際的には通用しません。長期の戦争において日本は侵略者・加害者の立場にあり、原爆のように、その一コマや敗戦局面での被害を述べても、加害の弁明と受け止められるのが普通です。ですから満州事変や南京大虐殺、重慶空爆の不当性を認め、国家の戦争において普通の民衆が加害者にも被害者にもなりうるのだという前提をおいて、はじめてヒロシマ・ナガサキを日本人が語る意味がでてきます。現場投下の不当性を理解してもらうには、さらに丁寧な説明が必要です。自分か自分に近い人がヒロシマ・ナガサキのヒバクシャであれば、とにかくその惨状を率直に訴え、被害者は民間人が圧倒的で数十万人に及び、一瞬にして都市が破壊されてしまった残虐性を写真や絵を交えて伝える必要があります。そうでない日本人は、自分で勉強して語り部にならなければなりません。しかしアメリカや中国や韓国の人々は、それだけでは納得しないでしょう。なぜならば、日本軍の残虐や捕虜虐待はよく知られていますし、原爆がなければ日本は降伏せずに戦争を続けただろう、と信じられています。天皇崇拝にとらわれた日本人は、パルチザンがムッソリーニを倒したイタリアとは違って、民衆自身の力で戦争をやめさせることができなかったことを、知っているからです。
◆ そこでなお「唯一の被爆国」という当事者原理にたって原爆投下の不当性を納得してもらうためには、ヒロシマ・ナガサキのヒバクシャや日本人であることを超えた、人類の一員としての普遍的倫理に訴えるしかありません。たんなる残虐性や大量犠牲の話、生物化学兵器・毒ガスの延長上で通常兵器としての原爆を語るだけでは、戦争はやめよう、原水爆は禁止しようという、ヒロシマ以後への一般的教訓になります。それはそれで大切ですが、1945年8月の原爆投下そのものが歴史的に誤りであり、人類と文明にとっての汚点であることまで訴えるには、原水爆の兵器としての残虐性のみならず、原子力というエネルギーを人類が使ったこと、それを人間は絶対的には統御できないこと、放射性核分裂生成物という自然界にはもともと存在しない危険な物質が大量に拡散され、生物体内部にもとりこまれ、長期に自然生態系と人類の身体系を破壊していくことまでを、語らなければなりません。ここまでくると、米国大統領トルーマンのヒロシマ原爆投下声明から出ていた弁明「原子力の平和利用・商業利用」「電力供給の新しい資源」の問題性まで行き着き、これに被爆労働の不可避性や使用済み燃料の最終廃棄の困難を加えて、原爆と原発は人類と文明に対する暴力の一種、共に生産力ならぬ破壊力になります。ところが「唯一の被爆国」日本の1945年以後の原爆・原発の扱いを歴史的に辿ると、後にヒバクシャであり倫理学者であった森瀧市郎が1970年頃に到達した境地、「核と人類は共存できない」は、湯川秀樹のような核物理学者を含めて、なかなか現れません。一般的には、原爆被害を徴兵・疎開や空襲被害にならべて民衆も被害者なんだという国内での戦争責任論の枠のなかで語られます。しかしこれは国内的には意味を持っても、中国や朝鮮半島の人たちには、全く説得力を持ちません。そればかりか、敗戦後の日本での原子力イメージを調べていくと、最新科学技術の産物としての原子力へのあこがれが圧倒的で、日本を敗戦に導いた原子爆弾の威力を電力や農業や経済復興に使いたい、いつかは原爆も作ってアメリカを見返したいといった気分がうかがわれます。逆に原子力の倫理的意味は、原爆使用国であり戦勝国であるアメリカで、ヒロシマ直後から問われていました。1946年にはジョン・ハーシーの「ヒロシマ」がベストセラーになり、「ノーモア・ヒロシマズ」運動が始まります。宗教者や平和主義者が中心です。アメリカ政府と軍部・産業界(アメリカの軍産学複合体=原子力村)は、これを「原爆ヒステリー」と非難して周辺化し、原爆開発・生産を継続します。世界の反核運動の始まりはアメリカでした。しかし占領下の日本には、ほとんど報じられませんでした。いまyou tube で見られる映像で言うと、1946年のアメリカでは、確かにThe Buchanan Brothers,”Atomic Power” という原爆礼賛の歌が歌われました。同時に、“Atomic Scare Film-“One World Or None”-1946″という、人類にとっての原爆の問題性を告発するフィルムも作られていました。
◆原爆のおかげで平和がもたらされた、原子力は科学技術発展の産物で「中立」だから資本主義にも社会主義にも使える、といった左派の言説も盛んで、どうもこれが、「唯一の被爆国だからこそ」日本人は「平和利用」の先頭に立つといった「原子力時代」礼賛の声をつくりだしたようです。ヒロシマ・ナガサキの放射能被害は「原子病」「ぶらぶら病」という名で、米軍により調査はされるが治療は行われず、長期の晩成被害・内部被曝が知られるようになるのは、占領終了後でした。「唯一の被爆国」の論理は、朝鮮戦争時に「原子戦争反対」「教え子を再び戦場に送るな」の革新勢力のバックボーンになりますが、これが1954年3月、日本で初めて原子力予算が国会を通過し、ビキニ水爆による被爆の第五福竜丸事件発覚の時に、「原水爆禁止、原子力は平和利用に」、やがて「原爆反対、原発歓迎」の世論を作り出します。アメリカの「アトムズ・フォー・ピース」政策と対日心理戦工作、それを受けた中曽根康弘と正力松太郎の暗躍は、たしかに労働運動・平和運動やヒバクシャ運動のなかにまで「原爆反対、原発歓迎」を定着させていきますが、2011年のフクシマの悲劇に帰着した社会科学・歴史学の問題として考えると、どうも日本の敗戦のあり方。ヒロシマ・ナガサキの民衆的受け止め方、第五福竜丸体験の思想的不徹底が、フクシマ16万人の故郷喪失を生み出したように思えてきます。この辺の問題は、9月29日(土)午後、早稲田大学20世紀メディア研究所第70回公開研究会で、「日本の原発導入と中曽根康弘の役割 1954-56――米軍監視記録Nakasone Fileから」と題して発表する予定です(早稲田大学 早稲田キャンパス 現代政治経済研究所 会議室1号館2階、3号館建て替え工事のため1号館の出入り口は大隈講堂側からの一ヶ所になっています)。NPO法人インテリジェンス研究所設立記念講演を兼ねるとのことで、私の報告は 午後5時~5時45分とのことです。公開ですので、関心のある方はどうぞ。
「加藤哲郎のネチズンカレッジ」から許可を得て転載 http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml
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