社会主義時代の遺物
ロシアのウクライナ侵攻が長引く中、ロシア軍の装備や指揮系統の不備や欠陥があからさまになり、他方で制圧した市民への残虐行為や略奪行為が次々と伝えられる。装備や兵器のレベルの低さや、装備の欠陥や量不足は今に始まったことではないし、兵士の行動規律が緩いのも昔からである。第二次世界大戦で東欧諸国を「解放」した赤軍兵士や、ハンガリー動乱後のソ連軍の市民への蛮行(略奪や凌辱)やソ連の労働キャンプへの連行は、当時から良く知られていた。当時も、兵士はどこへ進軍するのか知らされていなかったし、ハンガリーに到着した後ですら、そこが同じ社会主義国のハンガリーだと知らない者が多かった。だから、現在の状況はソ連崩壊を原因とするものではなく、ソ連時代から続く社会的特性に起因しているものだ。
確かに社会主義体制崩壊後の市場経済化で、旧社会主義国の消費財市場が一挙に活性化し、国民の消費生活は一変した。ところが、消費生活上の変化に比べて、国家機関や公的組織の設備や仕事ぶりには大きな変化が見られない。戦後ほどなく改築あるいは新築された病院や学校のメインテナンスが蔑ろにされ、老朽化が激しい。それは軍隊などの国家的組織についても言える。設備全般の老朽化が進んでいても、それを改築したり新設する財政的な余裕はないし、社会組織を立て直す原理やインセンティヴが著しく欠けている。
たとえば、地区の拠点病院の多くは、建物も設備も野戦病院並みの状態である。日本ではほとんどの中規模の病院にMRIやCTが設置されており、大学の獣医学部にすら人間用のMRIやCTが備えられている。しかし、ハンガリーでは全診療科を擁する大きな拠点病院でもMRIを備えておらず、古いCTが1台あるだけだ。CT検査ですら混雑して待機時間は長い。さらにMRI検査を受ける場合には、医師の依頼状をもらい予約をとって郊外にある特定病院へ出向く必要がある。
このように、社会主義時代の組織的経済的貧困が、現在まで尾を引いている。それはハンガリーだけでなく、すべての旧社会主義国について言える。これらの社会的組織の改編や設備更新には膨大な費用がかかるので、国民経済の発展レベルを超える公的資金を投入できない。だから、消費生活の表面的な変化は進んでも、病院や学校の設備更新がなかなか進まない。ソ連・東欧社会主義崩壊から30年も経過するが、どの国でも、国家機関や学校・病院などの公的機関の設備や組織の状況は、社会主義時代からあまり変わっていない。だから、軍や兵士の装備の状態が良くないことも容易に想像がつく
病院や学校にトイレットペーパーがない
今でも病院に入院するときはトイレットペーパーや石鹸などを持参する(もっとも、石鹸を持ってくるという衛生観念はなく、石鹸なしで済ませるのがふつう)。入院食があまりに貧弱なので、多くの患者の家族は毎日食事を届ける。監獄並みの食事は今も昔も変わりない。半世紀以上も同じメニューでないかと思われるほどである。社会主義時代から病院にはトイレットペーパーも石鹸も置いていない。少し前までは、廊下に設置されたテレビに鎖が付けられ、盗まれないようにされていた。もっとも、古いテレビでもう映らなくなっていて、鎖につながれたまま放置されていたが。今では費用節約から、テレビは設置されていない。
ハンガリーの病院の夕食。大根(生)の輪切りとリンゴ、レバーペーストが付いている。配送費を節約するために、昼食時に温かい食事と一緒に、この夕食が配られる。
150年以上も前に、ハンガリー人医師センメルワイスは産褥熱の原因が、医師の手洗いが不十分であることを発見した。医師からの細菌感染が産褥熱を惹き起こすことが明らかにしたのだ。それから1世紀半近く経つが、医師の手洗いは守られても、一般患者の衛生問題は蔑ろにされている。これが社会主義を経験したセンメルワイスを生んだ国の現状である。
トイレットペーパーがないのは病院予算を節約するためだけでなく、すぐに盗まれる(という社会主義時代の苦い経験)からだ。病院と同様に、トイレットペーパーを備えていない学校も多い(教員用のトイレには備えてあるが、生徒が利用しないように鍵がかかっている)が、こちらは予算がないからだ。購入の優先順位が低いのだ。入院患者が退院するときに、医師は「治療報告書」を患者に手渡す。少し前まで、病院のプリント用紙(購入費用)がなく、患者にA4用紙を持参することを要請するところもあった(学校ではコピー用紙の購入費用が、常に問題の一つになっている)。
今でも病院を風刺するビデオが出回っているのは、大きな改善が見られないからである(https://www.facebook.com/watch/?extid=NS-UNK-UNK-UNK-IOS_GK0T-GK1C&mibextid=2Rb1fB&v=913369449696119)。
このビデオは入院に際して、患者がトイレットペーパー、発電機、輸血用血液、A4用紙を持参したことを受付に伝える。「ノックをするな」という不愛想な受付嬢が、担当医はウガンダの病院のような状態に愛想をつかして、開業医になったことを伝える。担当医の代わりに、YouTubeで勉強した子供の医者を勧めるというパロディである。受付嬢の愛想のなさと、病院の悲惨な状況をパロディで描いたもの(実際、有能な医師の多くが民間クリニックに移っている)。
ところで、ハンガリーの名誉のために言っておけば、トイレットペーパーがないのは何もハンガリーに限ったことではない。ほとんどの社会主義国でもそうだった。それだけ貧しかったのだが、それを「おかしい」と主張する人もいなかった。今でもそれを不思議に思う人は少なく、病院にはトイレットペーパーがないのが当たり前という前提で入院の準備をするが、それが一因でほとんどの病院のトイレの状態はとても衛生的とは言えない。
コロナ禍で中国広州の隔離病院がテレビに映し出されたときに、やはりトイレにペーパーが備えられていないことが分かった。そして便座にビニールを巻き、ガムテープで止めてあった。経済発展が進む中国でさえそうなのかと思ったが、少なくとも便座を清掃しやすいようにしている工夫がみられた。東欧諸国では便座が汚れていても、この程度の工夫すら思いつくことはない。
外来患者の受付窓口がない
体制転換から30年も過ぎたが、病院の外来患者受付システムは旧体制時代のままのところが多い。ほとんどの病院では外来患者が担当医師の診療室前に待機し、看護師がドアを開けたときに、保険証を手渡すようになっている。しかし、多数の患者が我先に保険証を渡そうとするので、看護師に保険証を受け取ってもらうのは至難の業である。外国人がこの争いに勝つことは不可能だ。そうなると、いつまで経っても診療を受けることができない。ハンガリー人ですら、数時間待っても診療が受けられず、家に戻ったという話をたびたび聞かされる。こうした状況に憤慨して、大声を上げる人はたまにいるが、大概の人は文句を言わず、黙って家に帰る。社会主義体制40年の歴史は人々の批判的精神を奪い、体制崩壊から30年経っても委縮した精神に変化はない。ただし、医師とのコネがあれば、診療はスムーズに受けられる。こういう状況ではコネが蔓延しても仕方がない(コネ社会現象)。
だから、外資系企業は特定病院と契約を結び、駐在員が優先的に診療を受けるようにしているが、一般の外来患者が診療を受けるのは簡単ではない。病院側が受付体制を工夫すれば良いと思うのだが、社会主義時代から病院では医師が絶対的権威を持っており、すべてが医師の都合で動いている。だから、改善の余地があると思っても、誰も口に出さない。だから、自然に無関心になり、簡単に患者受付のシステムを変えることができない。私はこれを「医師主権」とか「役人主権」と呼んでいる。あらゆる公的機関の組織が官僚化していた社会主義時代の社会的慣行が、未だに多くのところで旧体制の官僚主義(役人主権)的対応として残存している。政治体制が変わるだけでは社会は変わらないと実感する毎日である。
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