なぜ20世紀の社会主義社会で市民社会の倫理規範や人権意識が育まれなかったのか(下)

プリミティヴでマニュアルな配給システム
 ソ連が崩壊するまで、モスクワ国際空港(シェレメチェヴォ空港)の乗換え客の扱いはひどかった。これがソ連の計画経済の実態かと思わされるようなプリミティヴな配分・配給システムで運営されていた。
 アエロフロートは安かったので多くの日本人が利用していたが、欧州便への乗り継ぎにはモスクワでのトランジット宿泊が必要だった。トランジット客は一定数集まるまで空港の片隅に待機させられる。いつホテルへ移動するかなど誰も分からないし、それを伝えようとする職員もいない。ただ、そこに待っていろと言われるだけである。集団が動き出すと、それに付いていきバスに乗り、空港近くのトランジットホテルに向かう。学生寮のような「ホテル」では、見ず知らずの旅行者同士が無差別に2名ずつ部屋に振り分けられる。非文明的な扱いだった。ホテルの部屋は広かったが、冬でもお湯がでないことが多く、無駄な湯を貯めないように、風呂栓を置いていなかった。
 ホテルは空港から数百メートルほどの距離だが、翌日午前の便に乗る客を起こすために、朝の5時前に、各階のフロアにいるおばさん(かの名高いジェジュールナヤ)がドアを叩いて回る。朝6時には入り口に集められ、バスが来るまで集団で待たされる。空港に着いても個人で朝食をとるシステムになっておらず、とりあえず食堂の席に座ると、係の人がテーブルにパンと紅茶を配っていく。規定時間外にレストランを営業することはない。もちろん、営業という観念そのものがなかったから、待合時間にコーヒーや紅茶を飲むこともできなかった。
 こういう体験を積み重ねると、20世紀社会主義の計画経済管理とは、きわめてマニュアルでプリミティヴな配分指令で動いていることが分かった。日常生活の至る所で、この種の馬鹿らしい体験をする。税関、警察、区役所、中央公証所などの公的システムでは、例外なく、役人主権の非効率な対応が支配していた。
 旧ソ連や東欧社会主義国に蔓延した「役人主権」体質と貧弱な設備が、体制転換による政治転換を経ても、今なお、多くのところに残存している。共産党独裁という政治システムは確かに変わったが、市場経済化の遅れが国民の所得水準(したがって国家財政)の低位停滞を招き、他方で社会を貫く社会的規範や倫理、価値観、腐敗に対する社会の感応性などは、依然として、旧体制時代の社会的慣性に支配されている。社会の変革には本当に長い時間が必要だということが実感させられる。

20世紀社会主義を総括する必要性
 社会主義国家として何十年もの時間を経過したロシアや中国では、個人の自立・自由や民主主義、人命重視や人権意識、個人や社会組織の不正や不公正を認識し質す市民的倫理や規範がまったく形成されてこなかった。それは今や誰の目にも明らかになっている。いったい社会主義体制を経験してきた国では、どのような社会的規範や倫理が形成されてきたのだろうか。市民社会的倫理や規範と区別される社会主義的規範・倫理が育まれてきたのだろうか。ソ連社会主義70年、東欧社会主義40年の歴史で、社会的意識や規範がどう変わってきたのだろうか。
 現在のロシアや中国を見る限り、共産党の主義主張がどうであれ、市民一人一人の命が大切にされているとは思われない。まるで権力者が自由に操れる駒のようにしか扱われていない。権力者の気に入らなければ、些細なことでも拘束され、長期にわたって獄中に閉じ込められる。まさに社会全体が一つの軍隊のように組織された国家なのだ。上からの命令に従わない者は、理由を問わず切り捨てられる。それが20世紀戦時社会主義のなれの果てだとすれば、いったい現存した社会主義社会のどこに原因があったのだろうか。この分析と反省なしに、社会主義の未来などを語ることはできないはずだ。
 旧社会主義独裁国家の軍事組織的性格は、20世紀社会主義がその生誕から保持していた戦時社会主義という歴史的性格からきている。この特質は国家を規定していただけでなく、社会主義あるいは共産主義を名乗る政治政党をも規定してきた。この20世紀社会主義の歴史的限界から脱却することなく、社会主義を唱える勢力が21世紀の歴史の主役になれるはずがない。

自律的に機能しない戦時社会主義社会
 私は『体制転換の政治経済社会学』(日本評論社、2020年)において、20世紀社会主義国家は「戦時社会主義として特徴づけられ、自律的に機能しない社会構成体」と規定し、「啓蒙君主制時代から共和政時代への歴史的長期の転換過程において、一時的に出現し短命(失敗)に終わった社会主義実験」(同上35頁)と記している。20世紀の帝国主義戦争やファシズムに対抗する国家としての歴史的役割はあったが、自らもまた帝国主義国として振舞うことを厭わない体制だった。ところが、全般的戦時状況が消滅した途端に、自らを発展させる自律的機能や社会的土台の欠如から、自己崩壊せざるを得なかった。社会を機能させる社会的土台を欠く社会とはいかなる存在か。20世紀社会主義の総括はこの歴史的限界を認識することから出発しなければならない。
 ロシア革命直後、ソ連は国民経済計画策定のための手段を開発する必要に迫られた。計画的な物流の需給関係を記す統計手法の開発がすすめられ、数理的処理手法も探求されたが、実際のところ現実の経済計画策定に役立つものを作り上げることはできなかった。
 コンピュータもない時代に、紙と鉛筆で描くことができる経済計画など、知れたものだった。社会主義計画経済と言いながら、それを支える計画理論や手法が最初から欠如していた。それに代わるものが、戦時生産を真似た一種の「傾斜生産」であり、戦時配給を真似た割当配分制度であった。この二つの「計画」手段は社会主義が崩壊するまで、形を変えながら存続した。管制高地としての共産党(政治局や幹部会)が号令をかける一種の戦時経済体制が、社会主義計画経済の実態であった。共産党政治局は無謬性の神話に守られ、あたかも国の経済と社会を指揮できるかのような「過信」と「錯覚」が社会を支配した。それを支えてきたのが、「社会発展を見通すことができる無謬の理論」として信奉されたマルクス主義イデオロギーだった。

裸の王様になった共産党
 ソ連や東欧社会主義国家では、マルクス主義イデオロギーで理論武装された「全能の救世主」という共産党神話を守るために、政敵は葬られ、異論者は異端として排除された。しかし、全能無謬の党(幹部)が指導するという虚構は世界戦争の危機が消滅するにつれて明々白々となり、時代を先取りしていたはずの共産党支配が、次第に「裸の王様」になった。
 戦時的経済体制がそれなりの歴史的時間にわたって継続できたのは、世界的戦時状況が経済管理体制の本質的欠陥を顕在化させなかったからである。他方、経済学者の間では、市場を組み込んだ社会主義経済モデルの探求が何度も試みられたが、それが「経済計画」に組み込まれ、機能することはなかった。1960年代の経済改革論争が、ソ連・東欧社会主義体制における最後の試みだったが、プラハの春とヴェトナム戦争がこの論争を強制終了させた。社会主義の方が資本主義より勝っているという錯誤が経済改革の機運を消滅させ、そこからソ連・東欧社会主義は長期停滞と崩壊への道をまっしぐらに進んだ。「一時の勝ちが、却って崩壊への道を速めた」という歴史のパラドックスである。
 他方、第二次大戦後、西欧諸国では市場経済をベースに、福祉国家を樹立する試みが普遍化した。市場を組み込んだ社会主義の西欧版だが、マルクス主義の「正統派」イデオロギーは、これを「修正主義」として糾弾してきた歴史がある。しかし、このイデオロギー論争はソ連・東欧社会主義の自己崩壊によって歴史的決着をみた。現実の経済発展と市民社会の樹立の両面で、ソ連・東欧社会主義は西欧型社会民主主義に太刀打ちできなかった。
 共産党政治局が全権支配する社会体制は崩壊し、市場経済をベースとする共和制にもとづく市民社会が社会経済システムを機能させる社会構成体であることを、歴史が証明したのである。

管制高地支配から市民社会は生まれない
 市場経済をベースにする市民社会と、共産党独裁にもとづく管制高地社会との本質的な違いは何か。
 市場関係の基礎は「交換」である。交換は当事者相互の対等平等な関係を前提する。市場の歪みによって力関係は変化するが、基本的に対等な関係を前提とする。これがgive and takeである。この関係におけるコミュニケーションは双方向であり、当事者関係には透明性と開放性が求められ、人間関係では非人格化と文明化が促進され、個人の自立と当事者個人の自己責任が貫徹する。交換主体の関係性は複雑化するという意味で自己発展的である。
 これにたいして、管制高地支配を基本とする社会的機能は、「上からの配分指令」を前提とする。give and takeにたいして、give but obey原理が支配的になる。この配分指令におけるコミュニケーションは片務的(一方通行)で、当事者の間には閉鎖性と秘密性が顕著で、権威への依存と特定個人への依存が強まる非文明性が支配的になり、配分関係は単純化しがちになる。総じて、この関係性は自己閉鎖的で、単純化への退化を内包している。
 このように分析すれば、交換型の制御システムに比べて、なにゆえに配分型の制御システムが、個人の創造性や発展を抑制し、個人的な自立や自己責任の確立を押しとどめることになるかが明らかになる。歴史的に存在してきた(今もなお存在している)独裁的社会で、なにゆえに市民的規範や倫理が育たないかを明らかにしている(盛田『体制転換の政治経済社会学』第2章「体制転換の社会哲学」を参照されたい)。
 もちろん、「上意下達」が支配する組織や結社は社会の中にいくらでも存在する。市民社会では個別の組織や結社が存続できる自由が保障されている。しかし、それが社会全体を支配する制御機構になると、社会は発展の契機を失ってしまう。小さな組織や結社においても、個人の創造的な寄与が求められる場合には、それなりの個人的自由や個人責任が行使できる幅がなければならない。それなしでは結社や組織の発展が制限される。
 共産党が一つの結社として、20世紀戦時社会主義の組織原則を堅持することに問題があるわけではない。それは結社の自由で保証されている。しかし、21世紀の社会でその原則を頑なに守ろうとすればするほど、組織の衰退は免れない。だから、ソ連・東欧社会主義崩壊後の21世紀社会においても、それなりの政治的地位を維持したいと考えるのであれば、戦時社会主義時代の党組織原則を変えなければならない。党組織の改革ができなければ、小さな政治思想サークルに衰退する以外に道は残されていない。

                     「ブダペスト通信」2023年3月3日

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〔study1250:230311〕