新・管見中国(41)
注目を集めている「米中貿易戦争」は7月6日から双方が相手の輸出品目340億ドル分に追加関税25%の徴収を始めたのに続いて、8月1日、トランプ大統領が第2弾として新たに160億ドル分に同じく25%の追加関税を23日から徴収することを発表し、中國側も直ちに同様の措置を取ることを明らかにした。その23日が迫る中で16日、両国政府は22日と23日の両日、ワシントンで両国間の交渉を再開することを決めた。
しかし、今回は双方の主席代表ではなく次席級による交渉なので、大きな進展は望むべくもなく、むしろ、双方は11月にでも国際会議の場をとらえてトランプ・習近平の首脳会談を模索すると伝えられているので、そのための下交渉になるのではないかと見られている。
となると、米はさらに攻勢の第3弾として2000億ドル分の中国からの輸入品に25%の追加関税をかけることを明らかにしており、対抗して中国も米からの600億ドル分の輸入品への5~25%の追加関税を徴収する構えなので、首脳会談の実施のめどと並んでその第3弾が実施されるかどうかが当面の注目点である。
この大国どうしの応酬はそれぞれの国内に相応のインパクトを与えているはずであるが、前回も述べたように現代の貿易構造は複雑だから、こういう影響が現れたと一言で表現することはまだできない。今のところ目につくのは中国側で株安が続き、上海総合指数は先週末にかけて2年7か月振りの安値をつけ、人民元もまた下落の一途をたどっていることと、対照的に米経済は好調でNYダウも上げ潮に乗っていることであるが、いずれも複数の要因の集積されたものであるから、一概の貿易戦争の影響とは言い切れない。
ただ、中國国内で、あるいは米との貿易「戦争」と関係があるのではないかと見られる動きがいくつか目につくので、今回はそれを紹介したい。
ご存知の方も多いと思うが、中國では7月の下旬から8月中旬にかけて、党・政府の現役幹部と引退した長老たちが河北省の北戴河という海浜の保養地に集まる習慣がある。そこでは勿論、公式の会議などは開かれないが、現・元幹部たちが顔を合わせるわけだから、さまざまな問題についての意見交換が行われ、時には人事など機微に触れる問題での根回しなども行われると言われている。
さて、今年は?というと、この北戴河の季節の直前にちょっとした異変があった。それは共産党の最高幹部、7人の政治局常務委員中の序列第5位、王滬寧の活動が伝えられなくなり、同時にそれまでは毎日、判で押したように新華社も『人民日報』もトップ・ニュースは習近平モノであったのが、そうでない日も散見されるようになったのだ。
王滬寧という人は1955年10月生まれの62歳。上海の名門、復旦大学の国際政治学部教授から法学院長へと学者の道を歩んでいたところを、当時の江沢民主席に見出されて1995年に共産党の中央政策研究室政治組組長となり、党の中枢で理論面を担当するようになった。そして、江沢民引退後も後継の胡錦濤、習近平に重用されて、昨年の党大会で現在の高位に就いた。
現在の職務は中央書記処書記、中央政策研究室主任、中央全面深化改革指導小組事務室主任を兼務しており、共産党の頭脳と言っていい。今年春の全人代で憲法を改正し、国家主席の任期(2年)を廃止して、習近平に長期政権への道を開いたのも彼が主導したものと見られている。
その王滬寧が一時的にせよ表に出なくなったということは、このところの習近平政治に批判の声が上がり、その矢面に彼が立たされているという状況が想像される。さて、それにはどんな筋道が考えられるか。
じつはいずれも報道だけで未確認情報なのだが、6月12日に公安当局(警察)から「習近平同志の写真やポスターをすべて撤去せよ」という通知が出され、すぐにそれが取り消されたとか、7月初めには江沢民、胡錦濤、朱鎔基、温家宝といった長老たちが連名で「経済・外交政策の見直し」を求める書簡を党中央に出したとか、の話が流れた。
それから党の中枢部とのつながりはなさそうだが、6月4日には上海の女性が「独裁専制政治反対」と叫んで、習近平のポスターに墨をかけ、それを自ら撮影して、ユーチューブに投稿した事件があり、また6月末には陝西省の社会科学院が、文化大革命時代に同省の梁家河という村に習近平が下放して働いていた当時のことを研究して、新しい伝説を作ろうと「梁家河大学問」というプロジェクトを計画し、それが上層部から中止させられたという出来事もあった。
そうした中で注目されるのは、8月16日、本ブログに阿部治平氏が紹介された清華大学法学院の許章潤教授による「当面の怖れと期待」と題する堂々たる習近平批判の一文である。この文章が許教授のまったく個人的なものか、あるいはなにがしか政治的背景があるものなのか、まだ分からないが、いずれにしろこの一文を含めて様々な動きが出てきたということは、習近平だけを傑出した存在として際立たせる王滬寧の政治宣伝手法が当面の恰好の標的となったのではあるまいか。
それを裏付けるような動きとして、北戴河の集まりの前後から、各地の地方幹部が「世論による監督」という言葉を使うようになったのが目につく。
いずれも香港のメディアが伝えたものだが―
7月23日、山東省の党委員会の会議で書記(省のトップ)の劉家義が省内のニュース・メディアに対して「世論による監督」に力を入れるようにと発言した。
8月8日、浙江省党委の機関紙『浙江日報』一面下段の「一線調査」という世論による監督のコラムで初めてある地区の違法事象を取り上げたところ、それが直ちに是正された。
8月11日、海南省の沈暁明省長が省内の各メディアとの座談会で「世論による監督と成果を正面から宣伝することはコインの表裏の関係にあり、どちらも重要だ」と述べ、海南省政府に「世論監督促進小組」を設置し、メディアが監督しやすい雰囲気をつくり、メディアが真に政府の耳目となって、キツツキの役目を果たせるようにしたいという考えを表明した。
「世論による監督」という言葉をなぜそれほどまでに大げさに・・・といぶかる向きもあろうかと思うが、じつはこれは「党の喉舌」とならんで、中國のマスメディアにとっては極めて重要なキーワードなのである。
「党の喉舌」とは読んで字のごとく、メディアは党の喉であり、舌であって、党の意思を伝えることを最大の任務とするという意味である。それに対して「世論による監督」とは党の施策がきちんと実行されているかどうかなどを民衆の立場に立って監視するのも、メディアの任務であることを示す言葉である。
中國においては、権力の中央への集中が強調される時期には、メディアには「党の喉舌」としての任務が強調され、党の統制が緩んで、ある程度自由な言論が飛び交う時期には「世論による監督」が前面に出るという関係にあった。
習近平体制下では2016年2月に習自身が新華社や人民日報社を視察に訪れて以来、もっぱら「喉舌」が強調され、メディアは党中央と同一の立場に立って、その代弁を務めることが求められてきた。
したがって、ここへきて各地で思い出したように「世論による監督」が指導幹部から持ち出されるのは、なんらかの北京における風向きの変化を反映するものと見てよいのではないか、というのが、この一文の趣旨である。
前述したように、米との貿易「戦争」の行方はまだ不明だが、1970年代末に鄧小平が改革・開放政策に踏み切って以来、中國は米と協調関係を保つことを国策の優先課題としてきた。それは台湾との関係や南シナ海の問題での外国の態度、行動に対する中国政府の対応が米とその他の諸国では基準がまるで違うところに如実に現れている。他国がすれば目くじらを立てることでも、米なら見て見ぬふりをするか、形ばかりの抗議ですますことは傍目にも明らかであった。
したがって、米との関係が現在のように緊張したことは、そのよって来る所以はともかく、やはり「習近平の失点」と見る流れが表面化してきたのではないか。これまで「習一強体制」への流れの強さに、首を傾げながらも声を上げられなかった人たちが「禁!習批判」の呪縛から解放されたのではないか。そしてその矛先は、「一強」の雰囲気づくりに邁進した宣伝部門、そのトップである王滬寧への風圧となったのではないか。
いずれも、「・・・ではないか」の推測ばかりで、自分でも書きながら気が引けるが、これからの中米交渉、また秋には恒例の共産党中央委員会総会が開かれるはずだから、それらを見る上での下準備として、頭の片隅にとどめていただければ幸いと思う次第。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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