――八ヶ岳山麓から(536)――
7月7日は日本では七夕の祭りだが、中国では「七七(チーチ―)」つまり盧溝橋事件記念日である。1937(昭和12)年7月7日、北京郊外盧溝橋付近で対峙する日中両軍のいずれかの発砲事件を奇貨として日本軍は本格的な中国侵略戦争を開始した。12月には日本軍は首都南京を陥落させ、無抵抗の中国軍兵士と無辜の市民を多数殺害した。その戦火は東南アジアに拡大しやがて第二次世界大戦となった。
「七七」が近づくと中国メディア、特にテレビでは「抗日戦」や日本軍による中国人への虐待をドラマ化して放映する。新聞も抗日戦回顧記事を載せる。今年も南京事件の映画が上映され、多くの観客を動員したという。いま、中国社会に反日感情が高まっていることをメディアが伝えている。わたしはそれが日本人が想像する以上に深刻なものであることを強調したい。
日本では毎夏メディアがこのニュースを伝えるとき、解説者は意図的にか、「侵略」とか「南京大虐殺」といった言葉を避け、日本軍が無抵抗のものを大量に虐殺し、強姦し、略奪した具体的事実に触れないようにする。そして「中国では愛国・抗日が強調されるのは国内矛盾をそらす意図がある」といった趣旨の解説をする。
「日刊スポーツ・ネット」によると、右翼ジャーナリストの桜井よしこ氏が産経新聞のコラムで「『南京大虐殺』はわが国の研究者らによってなかったことが証明済みだ」などと主張したのに対して、今回の参院選で社民党から初当選したラサール石井氏は、22日までにX(旧ツイッター)で、桜井氏に「では、なかったことが証明された論文を示して欲しい」と求め、続けて「産経新聞もこの記事を校閲済みなら、同じ考えという事、同じく証明をお願いする」と発言したとのことである。
桜井よしこ氏だけではない。この季節になると毎年のように「南京大虐殺」は「まぼろしだ」とか、中国による「捏造だ」とかいった主張が登場する。日本以外の国でこんなことを言ったら、これは「国際的な恥さらし」である。その意味で、ラサール石井氏の桜井氏・産経に対する批判は、日本の名誉にとって「救い」だった。
付け加えると、南京事件をめぐる幾多の言説は、笠原十九司氏の『南京事件論争史――日本人は史実をどう認識してきたか』(平凡社新書2007年)にくわしい。南京事件否定論の横行に止めを刺したのはこの書である。
わたしは埼玉県教委から派遣されて、1988年4月から天津外語大学付属の外語学校(中高一貫校)で教師をしていた。88年の6月、「屠城血証(虐殺の町、血の証)」という映画が上映され、わたしも生徒と一緒にそれを見た。教科主任が「日本人のあなたにつらいものを見せて申し訳ない」と言った。わたしは「日本人だから見なければならない」と答えた。
そして、今年注目したのは、中国共産党準機関紙環球時報紙(8月21日)に掲載された常州大学の朱成山と李錦秀両氏の「中国人民抗日戦争大勝利の精神規範」と題する論評である。もちろん抗日戦勝利80周年を記念する内容だが、毛沢東の『持久戦論』が登場し、とりわけ抗日戦における中国人の精神力が強調されている。これは経済不振のなか、習近平主席の国民の離反を防ごうとする意向を忖度したものである。
この論評で特筆すべきは満洲国における抗日ゲリラ戦英雄の事蹟と1937年9月の平型関の勝利と並んで、38年3月の台児荘の戦いが登場していることである。平型関の戦いは40年8月から11月の「百団大戦」(百団は100個連隊の意)とともに中共八路軍の抗日戦のシンボルだが、台児荘(山東・江蘇省境)の戦いは中共と対立する蒋介石国民政府軍による勝利の戦闘である。
主力は国民政府軍第5戦区の兵で司令長官は李宗仁である。日本の北支那方面軍第2軍は台児荘の攻略を企て、李宗仁軍の大部隊に包囲されて撤退を余儀なくされ、中国軍の追撃がなかったために辛うじて殲滅は免れたという戦争である。この戦いは中国国内で大きく宣伝され、李宗仁は抗日英雄になった。
中共は抗日戦の主役を中共系部隊としてきたが、事実は15年戦争の主力は国民政府軍だった。歴史的事実をひっくり返しているのは、今日の中共一党独裁を正統化するためである。ところが環球時報の論評は、国民政府軍の台児荘の勝利を平型関の戦いと同等に高く評価している。これがどんな意味を持つか私にはよくわからない。
さて、アメリカによる広島・長崎への原爆投下は無差別大量殺人だが、中国では一般に日本軍はもっとひどいことをやってきたと受け止められている。だが中国人はわたしを陰では「鬼子(人殺し・畜生)」と呼んでいても、面と向かって日本批判を口にすることはなかった。しかし、親しみが深まると身近な戦争の悲劇を語るようになる。前にも紹介したが、一番ひどい例をあらためてここに記す。
彼の家は南京郊外にあった。日本軍が来て祖父を捕らえ、柳の木に縛り付けた。祖母は祖父をかばって殺さないでくれと頼んだが、かえって日本兵に輪姦され、祖父は初年兵の銃剣刺突の的にされ苦しがって絶叫し、死んだ。祖母はショックで目が見えなくなった。彼の父のきょうだいは5人いたが祖父と祖母2人の働き手を失い、4人は餓死した。ただ彼の父だけが生き延びた。
彼は、文化大革命後上海の一流大学に入学できたが、そこで強制的に日本語科に編入された。親戚の者は日本語をやるなら親戚の縁は切るといった。
「……というわけで、わたしがあなたの前にいるというわけです」と彼は流暢な日本語で言った。わたしは思わず「申し訳ない、お詫びのしようもない」と口走った。
さて、中国の抗日戦勝利記念日は昭和天皇のポツダム宣言受諾の公表8月15日ではない、9月3日である。9月2日に日本が降伏文書に調印し、国民政府が翌3日正式に勝利を確認したからである。
9月18日がくると外語学校でも「九一八(ジュイパ)」といって柳条湖事件を記念する集会があった。1931年9月18日夜半、日本関東軍は、奉天(現瀋陽)に近い柳条湖付近の南満州鉄道の線路を爆破し、張学良率いる中国東北軍への攻撃を開始し、32年1月には錦州を落して満洲全土を支配下に入れた。満州事変である。ロシアのウクライナ侵略が始まったとき、わたしは満洲事変と二重写しになる思いでニュースを読んだ。
そうして、日本は満洲に日本人30数万、朝鮮人70数万の開拓移民を送り込んで中国人の農地を奪い、移民が足りなくなると農家の次三男を少年義勇隊としてこれを補った。今日イスラエルはパレスチナのヨルダン川西岸地区にユダヤ人居住地を強制的に拡大している。似た歴史は繰り返されるものである。
わたしは一人で酒を飲み、酔うと軍歌を歌う。「ここはお国を何百里、離れて遠き満洲の……」とか、「見よ東海の空明けて、旭日高く輝けば……」などと歌うと涙が出る。従兄とその仲間たちはこれを歌って満洲の荒野で死んでいった。小説も詩歌も読まず恋愛もせず結婚もせず、そして安穏とした生活を望むべくもなく、満洲で土を耕すことが祖国に尽すことと信じて異国で死んでしまった。哀れだ。それがまったくの犬死だったと思うと泣かずにはいられない。(2025・08・23)
初出:「リベラル21」2025.08.29より許可を得て転載
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-6850.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion14399:250829〕