岸田新首相の所信表明演説(8日)を読んだ。翌日の新聞(『毎日新聞』)が1面トップに「分配重視の『新資本主義』」と大きな活字を並べたからだ。ここ何年も首相の演説などにはまったく興味はなかったが、今度の人はいくらかましかな、といううっすらではあるが期待もあった。
***「順番を間違えるな」***
ところが読んで驚いた、その無内容、かつ無知に。確かに文章では、3の部分の中見出しに「新しい資本主義の実現」とある。「新しい」と銘打つ以上、資本主義という生産様式についての従来の定義を改めるような、あるいはそこまでいかなくとも、現行の経済体制になにか新しい要素を付け加えるくらいの変化は考えているのだろうとつい期待したのが身の不明であった。
とにかく読んでみよう。最初の部分ではまず、こう問題を設定する。「最大の目標であるデフレからの脱却を成し遂げます」。そして「危機に対する必要な財政支出はちゅうちょなく行い、万全を期します。経済あっての財政であり、順番を間違えてはなりません」。
これには驚いた。こういうことを言う政治家は確かにいる。予算を取ってくる政治家はヤリ手として仲間内や選挙区では尊敬されるかもしれないが、一国を預かる首相が陣笠代議士と同じ発想とは!
「経済あっての財政であり、順番を間違えてはなりません」。これには開いた口がふさがらない。経済と財政が対抗あるいは並立関係にあると岸田首相は思っているらしい。だからどっちが大事か、という発想が出てくる。
しかし、考えてほしい。日本のGDPはざっと500兆円余である。つまり日本の1年間の経済活動の総量がその金額だということである。国家予算は最近、災害やコロナで大盤振る舞いが続き、膨らみが大きいが、通常なら当初予算は100~110兆円程度である。さらに補正予算が組まれることが習わしになっているから、最終的にはもっと増える。つまり財政は国の経済活動の総量の20%以上を担っている。20%という比重だけではない。国の基幹部分が動いているのはそれを支える財政があればこそである。
しかるに岸田首相の「順番を間違えてはいけません」という言い方は、財政よりも経済が大事という意味にしか受け取れない。財政が破綻しても経済は無事などということがあり得ると思っているのだろうか。この2つのどっちが大事という議論の立て方がそもそも無意味なのである。
もっとも先の引用に続けて、岸田首相はこう付け加える。「経済をしっかり立て直します。そして、財政健全化に向けて取り組みます」。まさにとってつけたように「財政健全化」が出てくる。しかし、そこには「しっかり」とか「全力で」とか、真剣さを感じさせようとする副詞はない。まさにとってつけたのであろう。
***矢野次官の直言***
じつは岸田首相の演説とほぼ時を同じくして財務省事務次官の矢野康治氏の一文を載せた『文芸春秋』11月号が出た。文章のタイトルは「財務次官、モノ申す『このままでは国家財政は破綻する』」。
珍しくもないだろうが、私も財務省という役所は好きではない。短期間、あの役所の記者クラブに所属したこともあったが、天下は自分たちが動かしているという気負いがなんとも鼻についた。それでいながら、安倍首相を守るために森友学園との関係についての公文書の改ざんが幹部の命令一下、大っぴらに行われたというのだから、何という人たちだろうと呆れるばかりであった。
しかし、それはそれとして、この矢野氏の文章は非常にいい。簡にして要を得た説明で日本財政の現状を説明してくれる。
「すでに国の長期債務は973兆円、地方の債務を合わせると1,166兆円に上ります。GDPの2,2倍であり、先進国でずば抜けて大きな債務を抱えている。それなのに、さらに財政赤字を膨らませる話ばかり飛び交っているのです」
矢野氏は「あえて日本の状況を喩えれば、タイタニック号が氷山に向かって突進しているようなものです」という。それなのに、政治家はなぜこうなのか。「日本は債務の山(氷山)の存在にはずいぶん前から気づいています。ただ、霧に包まれているせいで、いつ目の前に現れるかわからない。そのため衝突を回避しようとする緊張感が緩んでいるのです」と、矢野氏は言う。
はたしてそうだろうか。国会議員たるもの、日本の財政の現状は分かっているはずだと私は考える。しかし、多くの議員は「かりに大変なことになっても、それは自分の責任ではない」と思っているのだ。「そうなったら、そこを何とかするのが役人の仕事だ。今、その時のことを心配して、自分に有利になることを主張するのを遠慮する必要はない」と。
政治家にもいろいろあって、すくなくとも首相とか閣僚とか、国の運営に大きな責任を持つ人たちとその他大勢とは違うはずなのだが、自民党の場合、安倍、麻生、菅と失礼ながらその任に堪えられないような人たちが長期間、不似合いなポストについてやってきたために、上から下まで有権者に耳障りのいいことを言って、議席さえとれればいい、尻ぬぐいは官僚に、という風潮が蔓延してしまっている。
そこで矢野氏にお願いしたい。これから始まる来年度の予算編成では、誰が何と言おうと、政治からの身勝手な要求には断固たる姿勢で突っぱねてほしい。それでも相手が無理を言うなら、なるべく多くの幹部をまとめて、辞表の束を首相官邸に叩きつけてほしい。場合によっては貴方1人でも。それがあれだけの文章を世に出した貴方の責任であるし、またそうなれば世論は100%、貴方の味方をすると私は思う。
***なにを分配するのか***
岸田首相が所信表明でもう1つ強調していることは「分配」である。こう言う。
「今こそ、わが国も、新しい資本主義を起動し、表現していこうではありませんか、『成長と分配の好循環』と『コロナ後の新しい社会の開拓』、これがコンセプトです」
「コロナ後」のほうは当然として、「分配」を高く掲げたことは評価できる。日本の低成長の最大の原因は「分配の不公平」にあると 私は考えるので、岸田氏がどんな方策を持ち出すのか注目した。
しかし、これまた失望させられた。「分配戦略」の柱として第1から第4まで挙げられているのは、1・働く人への分配機能の強化、2・中間層の拡大と少子化対策、3・看護、介護、保育の現場の方がたの収入増、4・公的分配を担う財政の単年度主義の弊害是正、である。
この中で実現すれば効果がありそうなのは1と3である。2と4は私には「風が吹けば桶屋が儲かる」式の迂遠な話のように思えるのでひとまずわきに置く。
1も3も要するに働く人への分配を多くしようという単純なことである。問題はその増やす分をどこから調達するかである。将来、社会の所得が増えてからというのでは分配と違う。今あるもののうちどこかを減らして、足りないところへ回すのが「分配戦略」であろう。
ところが「分配戦略」と言いながら、増やす分をどこから調達するかに岸田首相は全く触れない。羊頭狗肉の典型である。私は今の日本では「分配」の問題の核心はすでに十分に明らかになっていると考える。
第1は労働賃金における正規労働者と非正規労働者の格差である。1990年代から急速に拡大した非正規労働者層の賃金の低さ、仕事の不安定さはすでに国民周知のところである。ここへの分配を厚くすることが社会の安定ひいては総需要の拡大につながることには説明の要はないだろう。
問題はその原資をどこに求めるか、であるが、これもまた答えは自明に近い。昨2020年10月30日に財務省が発表した法人企業統計によると、2019年度の内部留保(利益剰余金)は金融業・保険業を除く全産業ベースで前年度比2.6%増の475兆161億円となったという(20年10月30日『日本経済新聞』より)。矢野財務次官が紹介している国・地方合わせての債務総額1166兆円の40%にも達する巨額が企業の内部に積みあがっているのである。
矢野次官も先の文章で「家計も企業もかつてない“金余り”状況にあります。特に企業では、内部留保や自己資本が膨れ上がっており、現預金残高は259兆円(2020年度末)。コロナ禍にあっても、マクロ的には内部留保のうち現預金が減っていません」と書いている。
勿論、だからといって、「内部留保を吐き出せ」と企業に命じてすむ問題ではない。それをどういう形で財政再建に結び付けるか、政治家、官僚の頭の使いどころである。難題であるが、日本の財政の現状を改善する手立てを国全体として考えなければならない以上、企業の巨額の内部留保も討議の材料とすべきではないのか。その先頭に立つのが首相の仕事ではないのか。
しかし、岸田首相にはそういう発想はまったく見えない。適当に言葉を転がしているだけだ。そういえば「『新しい資本主義実現会議』を創設し、ビジョンの具体化を進めます」などという、思わず吹き出したくなるようなくだりもあった。
衆院選挙が近い。投票に行く前に岸田首相の所論を聞いてみることをお勧めする。
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