2016.10.15 アメリカ大統領選は、11月8日の投票を目前にして、 共和党ドナルド・トランプ候補のセックス・スキャンダルを高級紙が暴く異様な展開。有利になった民主党ヒラリー・クリントン候補も、Wikileaksにゴールドマン・サックスなどWall StreetとのつながりやTPP発言の過去など新自由主義エスタブリッシュメントとしての 嘘と奢りを暴露され、どっちが勝っても、前途多難な罰ゲーム。「パクス・アメリカーナの終焉」、「長い20世紀」の終わりを確認するものとなるでしょう。 いや、どっこいアメリカは生きている。
ボブ・ディラン のノーベル文学賞受賞を見よ、という向きもあるでしょう。 これが実は、アメリカのソフトパワーの光と影です。
ソフトパワーとは、ご存じの方も多いでしょうが、アメリカ民主党の外交ブレーン、ハーバード大学
ヨゼフ・ナイ教授の提唱したイメージと文化を重視した国際関係論です。モーゲンソー、キッシンジャーらのパワー・ポリティクス、ナイの言葉で言えば軍事力と経済力のハード・パワーの外交が行き詰まったところで提唱されたのが、ソフトパワー論でした。
ナイのソフトパワーとは、「文化や政治的価値観、政策の魅力などに対する支持や理解、共感を得ることにより、国際社会からの信頼や、発言力を獲得し得る力」で、ソ連の崩壊は軍事力や経済力ではなくソフトパワーの衰退によると説明し、アメリカもヘゲモニーが弱まっているから、自由と民主主義のアメリカ的価値観を、デイズニーやコカコーラ、ジーンズのようなソフトパワーを駆使して再建すべきだ、とするものでした。これに飛びついたのが、一期目
オバマ政権で、オバマの「核なき世界」でノーベル平和賞を受賞し、国務長官に就任した現大統領候補
ヒラリー・クリントンは、ソフトパワーとハードパワーを組み合わせる
「スマート・パワー」での 外交を公約しました。ただし、ナイのソフトパワーは、あくまでアメリカの国益とヘゲモニー(覇権)を守るためであり、例えば
ジョン・レノンの「Imagine」や
ボブ・ディランの「風に吹かれて」、
PPMの「花はどこにいった」は、ナイやヒラリーの視野には入っていませんでした。そして実際にも、
ハードパワーに依拠せざるをえないアフガニスタン政策や、ナイも関わった
沖縄基地政策が続きました。
私の『20世紀を超えて』の情報戦論、アントニオ・グラムシのヘゲモニー論における「19世紀型機動戦から20世紀陣地戦へ」の論理の延長線上での21世紀型情報戦政治論は、ちょうど石堂清倫さんの『20世紀の意味』への返歌で、ナイの「ハードパワーからソフトパワーへ」の提唱と同時期 だったものですから、意識的にナイのソフトパワー論との重なりと差異を、明示しなければなりませんでした。端的に言って、ナイの議論は、ソフトパワーの行使主体を国家に限定しがちで、国境を超えるソフトパワーや非国家的主体(NGO・NPO、多国籍企業、社会運動や市民)を軽視している、パワー(権力)概念が一面的・不十分で、受容する側との相互性や、ミシェール・フーコー風規律・訓練権力、ネットワーク権力論にまで貫かれていない、と批判してきました。今回のアメリカ大統領選は、ロッカールーム劇場型の情報戦にはなりましたが、ソフトパワーとしては、明らかに失敗作です。
初出:加藤哲郎の「ネチズン・カレッジ』より許可を得て転載 http://members.jcom.home.ne.jp/tekato/home.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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