イスラム国(IS)に性奴隷にされ、ついに脱走し、闘い続ける女性の記録

著者: 坂井定雄 さかいさだお : 龍谷大学名誉教授
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新刊紹介
ナディア・ムラド、ジェナ・クラジェスキ著「私を最後にするために」
〈東洋館出版社、2018年11月初版、413ページ、1,800 円〉

 著者のナディア・ムラドさん(25)は、イラク人の少数宗派ヤジディ教徒。コンゴ民主共和国のデニ・ムクウエグ医師(63)とともに、2018年ノーベル平和賞を受賞した。二人の授賞理由は「戦争および紛争の武器としての性暴力を根絶するために尽力した」だった。それにさきだちムラドさんは2016年9月から、国連「人身取引に関する親善大使」に就任して、国際的な活動をしている。
 本書の原題は THE LAST GIRL (My Story of Captivity and My Fight against the Islamic State, 2017)

【英語版 The Last Girl のカバー写真】

 ムラドさんはイラク北部のシンジャル地方の村コジョで、ヤジディ教徒の一家に生まれ、育った。ヤジディ教はイラク北部からシリア、トルコの山間部に広がる、古代ペルシャの宗教の影響もあるといわれる一神教。七大天使とりわけ孔雀天使マラク・ターウースを神の化身として信じ、太陽に祈りをささげる。民族的にはイラクからトルコにかけての山間部に古代から住むクルド人と近く、クルド語を日常的には使用。総数50万人以下と推定されている。イラクのクルド人自治区議会では、少数の議席枠を得ている。
 シンジャル地方では、長年にわたり、クルド人自治区政府とイラク政府が治安維持を助けてきたが、2014年6月、イラクのイスラム過激派がシリア北東部のラッカを占領、「イスラム国」(IS)樹立を宣言。2016年6月にはISの大部隊がイラクに反攻。イラク政府軍はイラク第二の都市モスルから、ほとんど戦わずに撤退、「イスラム国」に支配を引き渡した。イスラム教スンニ派が大半を占める市政有力者たちは、シーア派の力が大きい中央政府への反感が強く、ISに好意的だったという。「イスラム国」の絶対的指導者バグダディもラッカから移り、事実上の首都宣言をした。
 モスルを占領したISは、8月、シンジャル地方の町々を襲撃、占領した。少しでも抵抗した多数市民のヤジディ教徒の男たち約5千人を「悪魔信仰者」として惨殺した。国連の確認情報によると、ISはヤジディ教徒の女性と子供5千人~7千人を捕まえ、うち女性は一部を戦闘員たちに配分し、残りをモスルで性奴隷(サビーヤ)として競売にした。子供たちは、戦闘員として訓練した。
 本書の著者のナディア・ムラドさんも、モスルで競売された女性のひとりだった。本書の中で彼女は詳述しているー「サビーヤは、所有者が自由に贈り物にしたり売り払ったりすることができる。なぜなら『それらは単なる所有物に過ぎないから』だと、イスラム国のパンフレットには記載されている」「サビーヤが妊娠した時は売ることはできない。所有者が死亡した場合、『所有者の財産の一部』として分配されるなどのルールがある。所有者は、奴隷が思春期に達していない年齢であっても、その奴隷が『性交に適して』おり、『それゆえその奴隷を楽しむのに性交なしでは不十分である』ならば、性交しても構わないとそのパンフレットには書かれていた。」「そこに記載される内容の多くには、ISの説明の裏付けとして、信奉者が言葉通りに信じてしまうことを期待して、コーランの詩文や中世のイスラム法の一部が抜粋して添えられている。それは身の毛もよだつ驚くべき文書だ」
 モスルに連れて行かれたナディア・ムラドさんも、大きな建物の中で競売にかけられた。最初は見るからに乱暴な大男が買った。しかし、あまりの怖さにムラドさんは、「別の大人しそうな痩せ男に『お願い、私を連れて行ってください』とすがりついた。その痩せ男は、私のほうを一目見ると、大男に向かってこう言った。『彼女は私のものだ』。大男は異議を唱えなかった。痩せたその男はモスルの判事で、彼にしたがわないものはいなかったのだ」「売買を記帳する戦闘員は『ナディア、ハッジ・サルマーン』と私たちの名前を声を出しつつ書とめたが、私の所有者の名前を口にしたときには、声が少し震えていた」。ハッジは、メッカ巡礼をすでに済ませたイスラム教徒への敬称。ムラドさんを買ってサビーヤにしたこのサルマーンは、単なる戦闘員ではなく、市の有力者、金持ちだったかもしれない。ナディアさんは、見張り役の部下とその家族が暮らす住宅に連れていかれ、毎日やってくるサルマーンに、女奴隷としてもてあそばれた。ナディアさんは、その有様を生々しく書いているが、残酷でとても転載をできない。
 何週間か後の深夜、ナディア・ムラドさんは、見張り役の3人が油断しているすきに2階の寝室から逃げ出したが、その夜のうちに捕まってしまった。サルマーンはムラドさんを見張り役たちに交代で犯させたうえ、サビーヤ市場で売り払った。新しい買主は、比較的おとなしい人物で、家にカギをかけて外出することもあった。数週間後、ナディアさんは、買主の外出中、モスルの多くの女性たちと同様、全身を覆い目だけを出すニカブで身を固め、家を脱出。ひたすら市外を目指して歩きつづけた。夕方、比較的に地味で、家族の声も聞こえる家にノックし、「キルクークに行くのですが、夕方でバスもタクシーもないので、一晩泊めてください」と頼んだ。若い息子と母親の女性が、暖かく承知してくれた。キルクークはクルド人部隊が安定支配する石油都市。無言でナディアさんの事情を察してくれた。翌日、息子に連れられて、妹としてニカブを被ったまま、ISの検問所3か所を通過、キルクークに無事脱出することができた、
 ムラドさんは、生き残った家族と携帯電話で連絡を取れた。その後、クルド人自治区内の国連の難民キャンプに入ることができた。ムラドさんは、そこから難民としてドイツに移住、2015年11月にスイスで開かれた国連少数者問題に関する大きなフォーラムに招かれた。そこで自らの生々しい体験を話した、それが新たなスタートとなり、
 3年後のノーベル平和賞受賞へとつながるナディア・ムラドさんの国際的な活動が展開することとなった。(了)

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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