イラクの過激派からアッシャムの過激派へ変身 ―「イスラム国」との戦いは国連中心で②

  シリアの内戦に加わり、占領した北西部の町ラッカを本拠地にしたイラクのイスラム過激派「イラクとレバントのイスラム国」(ISIL)が、シリアからイラクに逆侵攻し、イラク第2の都市モスルを占領。最高指導者のバグダーディが「イスラム国」樹立と、自らを「カリフ」(イスラム国家の首長)と宣言、組織名も「イスラム国」(IS)と改称してから4か月余り。「イスラム国」は、両国のほぼ3分の一(日本の九州の約半分)を支配し、現在もイラクでは政府軍、クルド人民兵勢力と、シリアでは政府軍、自由シリア軍はじめ民主派反政府勢力と戦い続けている。なかでも、シリアのトルコ国境の要衝で、住民の大半が少数民族クルド人の町コバネの攻防戦が、ISとクルド人民兵部隊の間で1か月以上続いている。イラクのクルド人民兵部隊ペシュメルガがトルコ領を通って支援に加わり、米空軍機がIS部隊を空爆して国際的な戦場になっている。
 「イスラム国」をめぐる国際的報道が6月以来、急増し、そのすべてが相当に明らかになったが、なお不明なことも多い。本欄でも、「これがブッシュの戦争の産物だ」、「“イスラム国樹立宣言”が示す歴史と現実」、「イスラム国に迫害されるヤジディ教徒」、「イラク、イスラム国掃討に挙国体制へーカギ握るスンニ派武装勢力」(上)(下)、「ISに2か月間抵抗した町を解放―国連は残虐行為を最大限に非難」、「なぜアラブ諸国は、対IS包囲網で動かないのかーアハメド・ラシッドの分析」などを書いてきた。わたしはこれらの原稿を、国際報道のなかでは最も系統的で信頼できる英BBC放送とカタールの国際的衛星放送アルジャジーラの電子版、英語版wikipediaの情報を中心にしてまとめてきた。ここではまず「イスラム国」の足取りから、年表的に振り返ろうー

 ▼「イスラム国」の足取り
 2003年:3月、米軍中心の有志国がイラクで地上戦争開始。5月にブッシュ大統領が事実上の「勝利宣言」。7月から、離散したかに見えたフセイン政権下の軍と支配政党バース党の残党による反米武装抵抗が始まった。ヨルダン人ザルカウィが2009年に設立した過激なイスラム聖戦主義グループも、国際テロ組織アルカイダの支援を受けて、米軍と一般市民に対する爆弾テロと人質作戦を開始。
 2004年:ザルカウィはグループ名を「イラクのアルカイダ(AQI)」と改名。 :
 2006年:イラク総選挙でシーア派政党のマリキ首相率いる政権発足。2014年の退陣まで、シーア派優先の政治を進めて、スンニ派国民との対立・抗争が深まる。AQIは一部のスンニ派武装グループと協力関係を深め、とくに中部アンバル州と北部での組織と活動を強化。「イラク・イスラム国」(ISI)と改名。年末にザルカウィが米軍に殺された。二人の後継幹部の下で、一般市民への残虐なテロを強化、一般市民の恐怖と敵意が深まった。
2008年~09年:これに対して米軍は、中部アンバル州の地元部族勢力による「覚醒」グループを組織、その参加でISI駆逐作戦を有利に進め、ISIに大きな打撃を与えた。
 2010年:4月、ISIの2人の指導者が米軍によって殺害され、後継指導者に、組織内の宗教指導者として信頼を集めていたアブ・バクル・アルバグダーディ(現指導者)が選ばれた。バグダーディは、アンバル州の地元部族勢力との関係を修復。アンバル州を本拠地として、旧イラク軍将校たちを吸収して組織を強化していった。
 2011年:「アラブの春」で民主化に決起した反政府勢力と弾圧するアサド政権の間でシリア内戦が始まり、反政府勢力がシリア中部、北部での支配地域を拡大。アサド政権はロシアの支援を受けて、政権を維持し反撃を拡大。ISIは8月ごろからシリアに幹部や戦闘員を派遣し、シリア人の幹部とともに戦闘員を募集し、拠点づくりを開始。
 2012年:1月、シリアでアルカイダ直系の「ナスラ戦線」が、ISIの支援下に結成され、アサド政権との戦闘を開始。
 2013年:4月、ISIは「ナスラ戦線」と合併して「イラクとアッシャムのイスラム国」(ISIL)を設立したと発表。アッシャム(Al-sham)はシリア、レバノンから東はイラク、南はパレスチナ、北はトルコ南部を含む歴史豊かな地域のアラビア語名。英語名はレバント(Levant)。
バグダーディは、イラクにとどまらず、シリアそしてこの地域の支配まで目指していることを示したのだが、一方のナスラ戦線はアサド政権の打倒を目指すシリアの組織。アルカイダの指導者ザワヒリは合併に反対し、バグダーディにISILの解散まで要求する事態になったが、バグダーディは拒否し、独自の道を突き進むようになった。
 ISILはアラブ諸国や、ロシアのチェチェン、中央アジア諸国、欧州など世界各地から数千人の志願者を含む1万人を超える勢力に急増、アサド政権の軍・警察が手薄になった北西部の政府軍基地と町や村を次々と攻撃して占領し始めた。6月には都市部だけで人口22万のラッカ市を支配、ISILの本拠地とした。さらに政府軍、反政府軍の激しい攻防戦が2年以上続いているシリア第2の都市アレッポ攻防にも加わり、政府軍だけでなく反政府側主力の自由シリア軍も攻撃して支配地域を拡げた。
 2014年:1月、軽トラックに分乗したISIL部隊はラッカから国境を越えてイラクに逆侵攻。イラクの本拠地アンバル州と首都バグダッド周辺でも、政府軍と警察から支配を奪う攻勢を強化。
 6月にはイラク第2の都市モスルを占領。29日、「イラクとアッシャムのイスラム国」から「イラクとアッシャム」を外して組織名を単に「イスラム国」とし、支配地域全域を領土とする「イスラム国」の樹立と、カリフ(首長)にバグダーディが就任したことを宣言した。カリフは、預言者ムハンマドの死後、後継者たちが作った国家のイスラム教と政治体制の両方を兼ねた最高指導者の名称。「イスラム国」宣言後も、欧米の政府やメディアは、組織名をISILのまま呼んでいるところが多いが、本稿では、自称している「イスラム国(IS)」で呼ぶことにする。(続く)

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5040:141107〕