エピソードと「美談」で難民問題を理解することはできない(下)

著者: 盛田常夫 もりたつねお : 在ブダペスト、経済学者
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なぜハンガリーだけが非難されるのか
 ハンガリーがことさら非難の対象になる理由は二つである。一つはまさに難民が到着するシェンゲン条約国として矢面に立っているからである。本来は、難民のEU到着国であるギリシアで難民登録されなければならないが、ギリシアがその仕事を事実上、放棄しているので、その仕事がまるまるハンガリーに押しつけられている。二つは、ハンガリーの現政権は、周辺国のみならず、西欧諸国との関係が良くないことである。
 長い国境線を共有するセルビアは、残虐な国内戦争を終結して、それほどの時間が経っていない。内戦後には、コソボ独立問題で、首都に爆撃を受けた国である。ヨーロッパ大陸にありながら、いまだEUに加盟できない理由は数え切れないほどある。ハンガリー国境に近いセルビア領内には、ハンガリー人が多数居住しており、セルビアはハンガリー人少数民族問題を抱えている。したがって、セルビアとハンガリーの外交関係はとても良好とはいえない。
 セルビアはクロアチアとの内戦やコソボ紛争に、ハンガリー人少数民族から徴兵して、一石二鳥で民族問題を解決しようとした経緯もある。今回の難民問題でも、セルビアは国家として難民対処を一切おこなわず、マケドニア国境からハンガリー国境へ難民を輸送するだけである。しかも、それは人道支援としてではなく、難民からバス料金を徴収する政府公認の有料ビジネスとして展開している。口ではハンガリーの国境フェンス設置を、19世紀の暗黒時代に引き戻すものと批判しているが、難民を厄介払いするかのように、ハンガリー国境に集結させるだけの仕事を行っている。
 クロアチアの現政府とハンガリー政府は、ハンガリーのガス石油会社(MOL)のクロアチア企業民営化にあたって、MOL社役員とクロアチア前政府要人との間で贈収賄があったとして、MOL社幹部の引き渡しを求めるなど、ぎくしゃくした関係にある。そのため、ハンガリーがセルビア国境にフェンスを構築した際も、セルビアと同調してハンガリーを非難し、クロアチアが難民を受け入れることに何の問題もないと見栄を張ってきた。しかし、実際に難民がクロアチアに迂回し始めた途端、1日半でその姿勢が崩れてしまったことは周知の事実である。
 現在のところ、ルーマニア国境からの難民流入は見られないが、ルーマニアのハンガリー人少数民族問題は、チャウシェスク独裁時代から続く深刻な問題であり、両国の関係はお世辞にも良いとは言えない。
 ハンガリーと国境を接するオーストリアの東の地域(ブルゲンランド)には第一次大戦や第二次大戦で母国から切り離されたハンガリー人が多く住んでいる。1956年動乱でオーストリアに亡命し、ウィーンのメディア界の重鎮になったポール・レンドヴァイは、ハンガリー社会党政権(ジュルチャーニィ)時代に、補助金を受けて書籍を出版するなど、社会党の政治家と親密な関係を築いてきた。だから、社会党に代わって政権を担っている現在のハンガリーの右派民族主義的政権を、事ある度に激しく批判している。レンドヴァイの入れ知恵で、オーストリア社会民主党政権もまた、ことある度に、ハンガリー首相オルバンを批判するのが恒例行事になっている。だから、大量難民が押し寄せた9月に、オーストリア行きの最初の列車を出発させたハンガリーが列車を途中で止め、難民を収容所に誘導したことを、ナチスの収容所行きに例えて批判した。だが、オーストリアも同じことをせざるを得ない羽目に陥ったことは、すでに記した通りである。
 ハンガリーに国境を接しない国のメディアからもハンガリー批判が行われるのは、ハンガリーの右派民族政権は、社会民主主義の西欧の伝統に反するものだという「常識」によるものである。ハンガリーを訪問したこともないジャーナリストが、「恐怖と無知におびえる中東欧」などと知ったかぶりに批判するのは、それこそ噴飯物である。

「難民に催涙弾」の作り話
 ハンガリーがセルビアとの国境検問所(リュスケ-ホルゴシュ国境)を閉鎖した9月15日の翌日、国境開放を求める数十名の難民集団が、投石を始めて国境の門扉と鉄条網を破壊し始めた。門扉が壊され、ハンガリー側は装甲車から断続的な放水を行い対抗したが、破壊行動が収まらないので催涙弾が発射された。国境線から10m~15mの地帯での出来事である。
 ところが、国際メディアは国境線の狭い地帯で起きている出来事を配信するのではなく、催涙弾の影響で涙を流す少女を撮影し、「ハンガリーは放水と催涙弾で難民を攻撃・排斥している」というニュースを流した。また、難民を厄介払いしたいセルビア政府は、ハンガリーの対応はセルビアへの野蛮な攻撃であり、国際的に批判されるべき行動だとハンガリーを批判した。足蹴りのハンガリー人女性撮影者の報道からそれほど間もない出来事で、「無慈悲なハンガリーなら然もありなん」という難民への同情とハンガリー批判を増幅させることになった。
 ハンガリーのテレビはこの事件の様子を、セルビア側から撮影した映像で見せている。この国境地帯の狭い地帯で生じた衝突のビデオのなかに、婦女子はいない。数十名の男子が、入れ替わり立ち替わり、投石を繰り返し、門扉を足蹴にする状況が見えるだけである。催涙弾のガスが流れて、遠くでこの出来事を見守っていた人々が涙腺を冒される被害を受けた可能性はあるが、衝突そのものは非常に狭い地帯の攻防に過ぎなかった。しかし、国際メディアは難民を狙った無慈悲で残酷な仕打ちとして、世界に配信したのである。
 この検問所襲撃にあたっては、ハンドスピーカーをもった男が2名、繰り返しハンガリーを批判し、検問所襲撃を煽っている。このハンドスピーカーはどうやって入手したのだろうか。まさか、シリアやイラク、あるいはアフガニスタンから持ち込んだはずはないだろう。だとすれば、どこから入手したのか。セルビアの警官から借りたと考えるしかない。
 この検問所襲撃にあたって、セルビア側の警察は何の措置もとらず、傍観するのみだった。厄介払いするように、難民は早くハンガリー側に送り出すのが一番と考えているから、難民が暴徒化して、検問所を突破しても、セルビアには何の痛みもない。
 「EUに加盟していないから、俺たちは知らないよ」というのが、セルビアの態度だ。難民をマケドニア国境からハンガリー国境へ運ぶことだけをせっせとやっている。とにかく、可能な限り短期間で、難民を他国に押し出すのが、セルビアの仕事になっている。
 この国境での出来事の後、ハンガリー政府は検問所襲撃を煽った人物の顔写真を公開し、国際的なテロリスト組織との関係がないかどうか、関係国に問い合わせている。その後、首謀者2名を含む検問所襲撃に加わった人物9名が、ハンガリー国内を移動中に拘束されたと報道されているが、その詳細は公表されていない。

クロアチアの混乱
 9月15日のセルビア-ハンガリー国境閉鎖に伴って、難民は隣国クロアチアへ移動した。当初、クロアチアはダブリン条約のもとづく難民登録を実施するために、難民の収容を始めたが、次から次へとセルビアから送り込まれてくる万を超える難民に対応できず、受入れから2日も経たないうちに国境管理と難民登録を放棄してしまった。セルビアに難民を留める措置を要請したが、セルビアは一切聞く耳を持たなかった。残虐な殺し合いを終えて、それほど時間が経ってない二つの国である。セルビアにとって、クロアチアの窮状を喜ぶことはあっても、助けるなど論外である。
クロアチアの混乱から、メルケル首相がクロアチア首相と電話会談したと報道されている。メルケル首相はクロアチアに2万人の難民を引き受けることを要請したようだが、収容能力がないという理由で、クロアチアはメルケル首相の要請を断った。
 この後、クロアチアは難民をハンガリー国境とスロベニア国境に、バスと列車で送り出すことを決めた。この輸送すら待ちきれない難民たちが、タクシーで国境に向かうことも容認することになり、セルビアのような難民輸送ビジネスが始まった。政府が運行するバスは無料のようだが、タクシーは無料ではない。
 ハンガリー国境ではハンガリー政府がバスを用意し、クロアチア国内からバスで次々と到着する難民の乗換え作業を行っている。ハンガリーでは難民をいったん収容所に運ぶが、難民審査することなく、登録だけ済ませてオーストリア国境に送り出している。なにしろ、1日5千人もの難民が押し寄せているから、飲料や食料の支給や登録処理だけでもたいへんで、難民審査ができる状況にない。
 現在、ハンガリーでの登録を済ませた難民はオーストリアとの国境(ヘジェシュハーロム-ニッケルスドルフ)に送られているが、オーストリアは数千人の難民を、いったん昔の国境検問地帯にある貨物トラックの広大な駐車場に留め置き、そこからオーストリア各地の難民収容所に運んでいる。しかし、1日数千人単位で到着する「難民」をいつまで受け入れることができるのか、ドイツへの出国をスムーズに行えるのか、収容能力と時間との競争になっている。
 こうして、ハンガリーが一手に引き受けていた難民問題は、周辺国すべてが当事者になることで、負担が拡散されている。関係国の処理能力を遙かに超える移民者の流入をどうやって食い止めることができるのか。その根本的な政策措置が急がれる。当事者の国々にとって、「難民」をめぐるエピソードや「美談」に一喜一憂している余裕などない。         (2015年9月21日)

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