ことの本質
ギリシアのデフォルトが現実味を帯びてきた。返済の目処がつかない債務が次から次へと返済期限を迎える。もっとも、デフォルトよりも、その次に来るギリシアのユーロ圏離脱がユーロ圏およびEUの今後の発展にとって、大きな試金石になる。これまでEUもユーロ圏も拡大を続けてきたが、その逆の動き、つまりEUやユーロ圏からの除名や離脱の経験をもたない。通貨発行権や金融債権債務の処理が複雑だから、EUからの離脱よりユーロ圏離脱の方が、比べものにならないほど難しい。だから、これまで何度もギリシア切り捨て論があっても、ギリシアのユーロ離脱が現実化することはなかった。
しかし、一つの共同体が永遠に同じ存在であり続けることはできないし、大きくすることだけを自己目的とする組織は内部に抱え込んだ矛盾を解決できない。共同体がその目的を維持しつつ、加盟メンバー国の最大限の公平性を維持しようとすれば、共同体の規範を守れないメンバーを除名するなり、離脱させる仕組みを持たなければならない。その仕組みを持たない組織は、常にその内部に問題を抱え込む。したがって、一つの共同体が政治経済の変動に柔軟に対応し存続できるためには、限度を超える行動をとり続けるメンバーを共同体から離脱させるシステムをもっていることが必要だ。ユーロ圏を拡大していくことがユーロの歴史的使命だとしても、その過程の中で、共同体基準を守れないメンバーを永遠に抱え込んだのでは、拡大を成功裏に実現することができない。離脱の仕組みをもち、変化に柔軟に対応できるシステムでなければ、システムの存続自体が危ぶまれる。
したがって、ギリシアのユーロ圏からの離脱は、ユーロ圏という共同体組織の柔軟性と存続性を試す大きなチャレンジである。もちろん、ユーロ圏離脱はギリシア経済に大きなショックを与え、通貨の大幅切り下げを伴い、国民生活を大幅に切り下げることになるが、ユーロ圏が相互扶助組織でない限り、どこかでその決断を下す以外に、問題の解決はない。
ゲーム戦術にはまり込んだギリシア財務相
今年1月に政権に就いたギリシアのチプラス政権は、緊縮政策にたいする国民の反対をバックに、対EUおよび対ユーロ加盟国にたいして強硬姿勢を貫いてきた。この強硬策にもかかわらず、新政権発足当初、欧州首脳は若い政治家の登場にある種の期待を示し、共通の解決策を見つけることができるのではないかと歓迎した。しかし、その後のチプラス政権首脳の発言は、ユーロ圏首脳の理解を得る努力を示すより、逆に彼らの善意を無にし、神経を逆なでするものだった。とくに、財務相に就いた経済学者のバルファキスは、イタリアの財政状況を批判し、ギリシアに借金を返済できる金はないなどとけんか腰の態度を貫き、挙げ句の果てにはドイツの戦後賠償問題まで絡ませてきた。この横柄な態度に、ユーロ各国首脳が呆れてしまい、ギリシアはバルファキス財務相を表舞台の交渉からから退かせることを余儀なくされた。借金していながら、謙虚に振る舞えない政治家は失格という烙印を押されてしまった。
さらに、ユーロ加盟国の中でも、ギリシアより年金受給額や賃金水準が低い国からは、ギリシアへの譲歩は資金を垂れ流すだけだから、到底受け入れられないという反発が強まっている。バルファキス財務相はもともとゲーム理論の専門家である。ゲーム理論に基づく交渉戦術で、ユーロ離脱をちらつかせれば、債務の返済の猶予や削減を得られるのではないかと考えた節がある。しかし、問題は交渉術で解決できるような性格のものではない。事はギリシア経済の持続可能性の問題である。一時の交渉術で解決できるほど単純な問題ではない。にもかかわらず、強硬な態度で出れば、相手は譲歩せざるを得ないと考えていた。ここに、現代経済学が持て囃すゲーム理論の絶対的限界を見ることができる。問題の本質をたんなるゲーム戦術と捉える浅はかな経済学者が、そのまま政治家として幼稚で未熟な対応をしてしまったために、総スカンを食ってしまったというのが事の顛末だ。
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