イデオロギーに頼る欧州左翼の弱点
ギリシア政権のもう一つの誤解は、問題をイデオロギー対決へ持ち込めば、欧州ではなんとかなるという旧左翼的発想の誤りである。
欧州議会では政策対応を軸に、国を横断して、議会会派が形成されている。いわゆるキリスト教系保守(右派)と社会民主主義系(左派)が大きな会派として存在し、その間に小会派がいくつか存在する。欧州では第二次世界大戦時の反ファシズム運動から、伝統的に左派勢力が強く、冷戦終了後も「左翼」と「右翼」という政治的識別が根強く存続してきた。
しかし、体制転換以後、実際問題として「右」と「左」の区別がほとんど意味を失っている。旧社会主義国で政権政党にある社会民主主義系政党は、腐敗と汚職にまみれ、挙げ句の果てに社会主義とは縁もゆかりもない市場原理主義に身を任せるなど、昔の左翼の名残はない。逆に、ほとんどの体制転換国では、右派と称される反対派が旧社会主義時代の社会保障を存続させる力になっている。だから、「右」とか「左」という区別には何の現実的意味もなくなっている。
ドイツの社会民主党党首だったシュレーダーなどは、首相在任中にロシアに接近し、政治家を辞めた途端に、ガスプロムの顧問として法外な高給を得る職に就いた。この事例のように、ヨーロッパでは「右」も「左」も政治家は経済的権益に非常に弱いし、国民もそのような政治家の行動をことさら非難するわけでもなく、政治家は役得を得るものだと考えられている。要するに、右も左も、権力に就けば同じ穴の狢というわけだ。
ところが、左右の区別のような政治的な色分けがないと、欧州議会でのロビー活動を相互に行うことが難しい。だから、欧州議会議員は必ずどこかの会派に属し、自らの投票行動を決めるようにしている。ただ、欧州の伝統として、反ファシズムや人道支援は「左翼」の錦の御旗になっており、このテーマを掲げれば会派が結束するという習慣がある。ハンガリーでも、腐敗と汚職の社会党ジュルチャーニィ政権がじり貧に落ち込み、自らの延命を図るために、小さな「ユダヤ人」差別問題を取り上げ、欧州の左派に呼びかけ、ブダペストで「反ファシスト」大行進を組織したことがあった。「反ファシズム」を叫べば、欧州左派の政治家は動かざるを得ないからである。
ハンガリーの現在の「右派」政権にたいして、国内での支持がなくなったハンガリーの「左派」は国内でのキャンペーンを諦め、欧州議会やドイツを中心に反ファシズムや反独裁のキャンペーンを張って、国の外からハンガリー政権に圧力をかけている。実際、元社会党党首で首相を経験したジュルチャーニィが所有するコンサルティング会社が、「EU補助金の実施状況を考査する事業」の補助金を受けたことが暴露された。これなどは「左派」の欧州人脈を使った政治家への実質的な補助金提供であり、EUが原則的に禁止している政党補助金支出にあたる。ジュルチャーニィは旧共産党(ハンガリー社会主義労働者党)政治局員アプロー・アンタルの孫娘と再婚して立身出世の道を開き、首相在任当時には自らが設立した会社の事務所を事実上の第二党本部として機能させ、女帝アプロー・ピロシュカ(アプロー・アンタルの長女で、ジュルチャーニィの姑)が事務所を取り仕切っていた。こういう事情を知らない欧州の左派は、右の反対は左と考え、左派に政治的な支援をするのである。
今回のギリシア危機でも、「反緊縮」やドイツの戦後賠償を声高に叫べば、欧州議会の「左派」の支援を得られると踏んだのだろう。しかし、もはやイデオロギーで経済問題を解決する時代は終わった。旧ユーゴスラビアのように国が分裂した諸国や、貧しい旧社会主義国の年金受給月額は50ユーロに満たない端金程度のものである。だから、ユーロ圏に入っているというだけで、身の丈に合わない年金支給を続けるのは欧州内部で賛同を得られない。返済の見通しがきかない資金を垂れ流すことなど、もう欧州諸国にはその余裕がなくなっている。
ギリシアやイタリアへ上陸した難民が急増し、その一部がセルビア国境を越えてハンガリーに流入している。これにたいして、ハンガリー政府はイデオロギー的に難民排除を実行しようと、外国人排除とも受け取られる「スローガン」看板を設置したのにたいし、「左派」はそれを批判する募金を始め、対抗看板を設置している。しかし、難民問題はそのようなイデオロギーを争う問題ではない。大量難民の受入は経済的基盤が弱いハンガリーにとって大きな経済的負担を強いるだけでなく、かりにハンガリー国内に難民が留まった場合、どのように難民を同化させるのかという難しい問題である。それはギリシアやイタリアでも同じであり、さらに難民が目指す最終目的地となるEU先進国であるドイツやフランスの問題でもある。EU全体が問題解決を迫られているものである。無条件の人道支援というようなイデオロギーで解決できる問題ではない。
欧州共同体の矛盾
EUは国力の差を縮めることで欧州の一体化を図ろうとしている共同体だから、経済的格差の存在は前提されている。補助金を与えて格差を縮め、経済的先進国も経済的弱小国も基本的に同質の法制度におくことによって、社会の同質化を図るものだ。しかし、弱小国にも先進国と同様な労働規制や市場規制を導入すれば、経済的発展の原動力が抑制されてしまう。経済的弱小国の勤労者は、先進国の勤労者より勤勉に働くことによって初めて、経済格差を縮めることが出来るはずだが、EUの均一的な労働者保護政策によって、それぞれの勤労者の休暇制度や労働のあり方がかなりきつく制限されている。補助金で経済格差を埋めることには限りがあるから、それぞれの国の自助努力が必要なはずだが、その国ごとの自助努力に制限がかかれば、経済的格差は縮まりようがない。これが現在のEUが抱える基本的な矛盾である。
他方、ユーロ圏の矛盾は、ユーロ拡大を急ぐあまり、経済的発展度の違う国の参入をあまりに簡単に容認したところにある。通貨統合においては、経済的発展の均質性や経済運営の健全度が要求されるが、ギリシアはユーロ加盟にあたって、GDP数値の改ざんを行い、財政赤字の数値を小さく見せて、ユーロ圏加盟を実現した。その改ざんが発覚した後も、ユーロ圏はギリシアにたいして有効な措置を取らなかった。その付けが今になって回ってきている。
単一通貨ユーロはいまだ実験段階にあり、経済運営や経済発展度合いから見て、基準から恒常的に乖離している国をどのように処理するのか、大きな混乱なしに離脱という究極的な措置を取り得るのか。今まさに、それが試される時が来ている。離脱をだらだら引き延ばしても、最終的な解決が遅れるだけである。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye3033:150706〕