コロナ下ハンガリーでの入院体験記(上)

 息苦しさが続いたので、緊急の心肺検査を受けるために、ブダペストの拠点病院の一つに入院検査することになった。検査後に帰宅するつもりで、午後10時に病院へ入ったのだが、そこから10日間も病院に滞在することになった。検査は心電図、超音波、レントゲン撮影だけで、利尿剤と血圧降下剤で翌日には体調を戻した。カテーテル検査が予定されていたが、救急患者が優先されて3度も検査延期になり、コロナ感染や別の病気の副次感染のリスクが大きいと判断して、自主退院して家に戻った。以下はその記録である。

緊急戦略病院
 主要な戦略病院(私が出かけた聖ヤーノシュ病院)では、コロナの救急患者を受け入れる態勢(整形外科病棟をコロナ救急専用にする態勢)ができている。ここででは、救急車で搬送された患者だけでなく、地区の診療所の依頼で患者の検査を受け入れている。たんなるPCR検査所ではなく、胸部レントゲン撮影も行い、その結果にしたがってしかるべき病棟へ転送する。
 まず、PCR簡易検査が行われ、陰性が確認されてから次のステップに行くが、通常のPCR検査も同時に行われ、その結果は翌日に個人情報サイトに掲載される仕組みになっている。簡単な問診と血圧測定の後、胸部レントゲン撮影の順番を待つ。この救急病棟では診察を待つ患者は数名だけだが、摂氏1度の建物外で待機する。その間に、救急車で運ばれた患者のレントゲン撮影が行われており、防護服を着た看護士が忙しく立ち回っている。
 建物外で待つこと40分、体が冷え切った状態でようやく建物内へ案内され、簡易検査、PCR検査、血圧測定を受け、レントゲン撮影を待つ。胸部撮影の結果には時間がかかるということなので、検査結果をもらうために、1時間後に再訪するとしていったん病院を出た。胸部撮影結果によれば、片肺にわずかな浸潤が観察されるという。
 この結果をもって、夜に地区の診療所に出かけた。ところが、そこでの血液検査結果が良くないので、速やかに循環器科での受診を指示された。医師が病院と掛け合い、聖ヨハネ病院修道会病院の呼吸器科当直医師が検査する手はずとなった。
 すでに外出禁止時刻(午後8時)を過ぎていたが、警察車両による検問を受けることなく、車を飛ばして午後10時に病院へ入った。担当医師を探し、診察を受けた。
ここでもまずPCR簡易検査を受けた。陽性の場合には別棟に移ることになる。簡易検査は陰性だが、午後に受けたPCR検査が出るまで仮の病室が与えられた。最初の超音波検査では、両肺にわずかな浸潤がみられた。看護士にベッドを案内され、利尿剤が投与された。入院の準備はなく、その夜は服を着たまま就寝することになった。
 翌日の再度の超音波検査では、片肺の浸潤は消えたが、もう片方にはまだ浸潤がみられるということだった。翌週にカテーテル検査を行うということになったが、この担当医が翌週初めにコロナ感染が判明し、新しい医師が担当医となった。

病院の現状
聖ヤーノシュ病院と同様に、聖ヨハネ病院修道会病院の歴史も古く、19世紀初めに開設された総合病院である。産褥熱が医師や看護師の非衛生的な手術処理(器具や手の消毒)に起因することを突き止めたセンメルワイス、ビタミンCの発見でノーベル生理医学賞を受賞したセント=ジョルジィ・アルベルトなど、ハンガリーの医療には長い伝統がある。
ところが、戦後の社会主義のなかで、経済発展が遅れ、病院施設の近代化や整備にお金がつぎ込まれなかったために、病棟や設備は悲惨な状況にある。新規に建設された病院はそれなりの設備を備えているが、戦略的機能を担ってきた総合病院は、資金不足と人材不足で困窮している。
しかも、40年にわたる社会主義体制の中で、医師の医療行為が最優先され、患者への配慮がほとんど無視されてきた。このことは、拙著『体制転換の政治経済社会学』(第5章「体制転換の社会学」)で詳しく論じた。病院が医師中心に動くのは当然だとしても、患者への配慮を欠く医療行為は種々の問題を生み出している。患者を受け付けるシステムが欠けている点は現在もなお、大きな問題の一つだが、入院患者への食事やトイレの衛生管理の面で、旧社会主義時代から病院は大きな問題を抱えている。
社会主義時代の病院や学校のトイレには紙や石鹸を常備する習慣がなかった。もちろん、教師や医師・看護士には別のトイレが設置(トイレットペーパと石鹸は完備)されていて、そこへは鍵がないと入れない仕組みになっている。これは現在も変わらない。もっとも、これは習慣というより、学生(生徒)や一般患者用にトイレットペーパーや石鹸を購入する予算がないからである。したがって、患者(外来であれ入院患者であれ)はトイレットペーパーを持参することが常識になっている。しかし、学校生徒や外来患者すべてにその用意があるわけではない。だから、トイレは自然と汚される。ドアを蹴ったりするので立て付けが悪く、閉まらないものが多い。
コロナ禍の最中、厳しいマスク装着が義務付けられている状況にもかかわらず、やはり病棟のトイレにはトイレットペーパーも石鹸も用意されていなかった。廊下にはアルコール消毒液が用意され、病室に洗面台は用意されている。しかし、トイレから病室までの衛生状態を管理するものは何もない。すべての患者が石鹸まで持参するわけではない。そういう患者は手洗いの習慣もない。
さらに、聖ヨハネ病院修道会病院の循環器科階には3つの男子用便器が設置されているが、2つが故障で使用禁止(少なくとも5日以上放置されていた)となっていた。さらに、残りの一つは汚れがひどく、とても使える状態になかった。歳取った患者の中に、トイレットペーパーなしで用を足す人がいるらしく、便器だけでなく壁まで周りが汚れ放題なのだ。看護士にそのことを伝えたが、いずれ清掃員が清掃するという。しかし、清掃は朝1回のみである。看護士は考え直して、自分で清掃したようだが、とても使える気がしなかった。
あまりの状況に、病院の施設長宛にメイルを送り、修理費を負担するので至急修理して欲しい旨を訴えた。このメイルへの返答はなかったが、翌日には修理が始められた。廊下で会った看護師が私を見つけて、「便座がすぐに壊れて、月に何度も交換しなければならないが、お金がない」ということだった。担当医師も、「トイレの状況は改善したか」と聞いてきたが、たんに修理だけの問題ではない。トイレットペーパーや石鹸の設置などの基本的問題が解決されないとどうしようもない。
朝の清掃を観察してみたが、きわめておざなりの清掃で、便器や床、壁は汚れたままに放置されている。この問題は根が深い。もともと、日本のようにトイレの清潔さを保つためにあらゆる努力をしている国は欧州にはない。だから、日本の洗浄式トイレは欧州でなかなか普及しない。しかも、旧社会主義国は文明面で後れを取ってきたから、なおさらである。体制転換が始まった1989年から1990年にかけて、日本人駐在者の多くはウィーンまで出かけて、大量のトイレットペーパーをハンガリーまで運んでいた。それはどの体制転換諸国でも普遍的にみられた光景である。
コロナ・ウィルスが蔓延しているトイレで、便器や床がきちんと清掃されない現状は危機的である。これではいくらマスクの装着を強制しても、あまり効果がない。だから、コロナ感染者は人口比でみて、日本の10-20倍になるのも当然か。

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/

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〔opinion10362:201214〕