――八ヶ岳山麓から(389)――
最近、チベット語テキストによる短編小説集を読む機会があった。
ラシャムジャ著・星泉訳『路上の陽光』(書肆侃侃房 2022・03)と、星泉・三浦順子・海老原志穂3氏の翻訳編集による『チベット幻想奇譚』(春陽堂 2022・04)である。
わたしは文学がほとんどわからない朴念仁なので、以下はこの2書の紹介にとどめる。
『路上の陽光』の原著者ラシャムジャは1977年中国青海省生れ、少数民族向けとしては最高学府の中央民族大学でチベット学をおさめ、現在中国蔵学研究中心研究員である。
この短編集には8篇がおさめられており、うち書名になった「路上の陽光」と、つぎの「眠れる川」の2篇は続きもので、現在のラサの風景と、その中で暮らすチベット人青年の姿が描かれている。
この2編に登場する主人公ブンナムはラサ近郊の村から出てきた若者で、ほかの出稼ぎ農民と一緒に橋の上で日雇い仕事を求めてたむろしている。ここで知り合った女の子との淡い恋が描かれる。切ない失恋ののち、ガソリンスタンドで出会った娘ベルヤンに惹かれるが、その彼女を四輪駆動車を乗りまわすナイトクラブの経営者にさらわれてしまう。
ここまでは、どこにでもある若者の恋物語だが、わたしは小説の中身よりも、舞台となったラサの変貌ぶりにあきれてしまった。いまのラサは私の知るチベット人の町ではない。まるで漢人の町である。
私が初めてチベットのラサに行ったのは1988年である。何十年ぶりかに反中国暴動が起きた年の夏であった。あのころはまだタクシーというものがなかったと思う。往来を行来するのは、暴動鎮圧のための兵隊を満載したトラックが主なものであった。わたしは四川から出稼ぎにきた漢人青年の人力三輪車に乗ってセラ大僧院まで行ったのを覚えている。寺院近くには乞食がごろごろしていた。ジョカン大聖殿の前では五体投地をする人がいっぱいいたし、赤いターバンを巻いたカムパのお兄さんが人民元と「外幣」の交換(闇ドル売買)をやっていた。ああ、チベットは変わった、ラサも変わったのだとしみじみ思った。
3篇目の 「風に託す」は、ロブサン翁なる年寄りが「スルツァの行者さま」という高僧のことを「ぼく」に語るはなしだが、1958年の全チベット人地域の「蜂起(叛乱)」と、1966年から10年の文化大革命にまたがる話である。
「ロブサン翁の記憶によれば、スルツァの行者は、1958年にツァイダム盆地の収容所に連行されて十年もの間収容された。その後釈放されたものの、文化大革命が始まったばかりだったので、再び批判闘争に巻き込まれ、階級の敵と見なされて、(罪状が書かれた、先のとんがった)紙の帽子をかぶせられ、ひどく打ちのめされたという」
だがこうあっさり書いているのは、意識的に当局との面倒を避けているからである。なぜなら58年叛乱と66年からの文革このふたつは、チベット人社会を徹底的に破壊した事件だからだ。叛乱では全チベット人の10~15%が投獄され、その半数が死んだ。 文革ではチベット人同士でも殺人と吊し上げ、拷問をやった。作家と名が付いたら書きたくなるにきまっている。
この調子で書いていては、きりがないので残りの5篇については省略。
2冊目の『チベット幻想奇譚』は合計13の短編が3節に分れ、節ごとに訳者の解説があり、チベットになじみのない読者の理解を助ける工夫が施されている。星泉氏の「おわりに」によると、「1960年代生まれから90年代生まれまでの、今まさにチベット文学界で活躍している十人の作家による短編小説を集めた日本オリジナル・アンソロジー」である。
「幻想奇譚」となっているが、全部が全部幻想でも奇譚でもない。奇想天外の話のなかで面白かったのは、ペマ・ツェテンの「屍鬼物語・銃」であった。「解説」によると、インドの説話集「ヴェーターラ・パンチャヴィンシャティカー」がチベットに伝来し、さまざまな話に変化した。それをペマ・ツェテンが新しい物語に作り替えたのが、この「屍鬼物語・銃」である。柳田国男の『遠野物語』が井上ひさしの『新遠野物語』や『水木しげる版』になったようなものだ。
もとの話は、ある王が聖者と約束を交わし、墓場の木にぶら下がっている屍を聖者のもとへ届けることになった。途中一切口をきいてはならないとされるが、屍にとりついた屍鬼が面白い話をするものだから、王は思わず屍鬼に話しかける。すると屍はあっという間に墓場に戻ってしまう。王は仕方なく墓場に戻り、また屍を担ぎ出す。そこでまた物語が続くというものである。
あまり妖怪変化色がなくて、様々な場面にチベット人の生活が活写されたのがツェワン・ナムジャの「ごみ」である。
中国では、ゴミなら生もの、プラスチック、ガラス、せともの、鉄くず何でもござれである。それを谷間に埋めれば平地になり、平地に積重ねると山になる。ラサではゴミの山に登ると街が一望できるというくらいの高さである。最下層のチベット人は、このごみの山から資源物を探して、それを漢人の仲買人に売るのである。
主人公タブンもごみと格闘する一人である。ある日彼はごみの中から赤ん坊を拾ってしまった。赤ん坊をどうするかをめぐって、話はいよいよ佳境に至る。と思ったところでタブンが赤ん坊を抱いたままごみにつんのめって倒れ、この小説は突然終わる。
このような奇妙な終り方をする話は、先のラシャムジャの短編集にもある。「最後の羊飼い」は、チベット牧民の多くが羊やヤクを手放すなか、牧畜にこだわる青年の話だ。家畜泥棒を監視するだの、崖に立往生したヤギを救おうとするなど、興味深い話が続くのに、この牧人青年は突然崖からずり落ちて命を終える。話もこれで終わる。
このような終わり方は、チベット人の思考過程では不自然ではないのかもしれない。あえて訳出したのは、訳者がこうした作品にも芸術性を見出されたからであろう。しかし少なくとも私にとっては拍子抜け、いかにも不親切であった。
読み終わって、チベット文学という日本ではマイナーな分野の研究に情熱を傾け、翻訳を続ける訳者の皆さんには心から感動した。また、読者を多く期待できるわけではない本の出版に協力する人々にもお礼を言いたい。ぜひこの仕事を続けていただきたい。
そして思うのは、この2冊の短編集のように、チベット語による文芸活動の将来である。あるチベット人作家は漢語でも十分高度の芸術性をもった作品が書けるのに、あえてチベット語で書くという。そのこころざしは尊い。だが、わたしはチベット人作家が母語では書けなくなる日が来るのを恐れている。
いま中国のほとんどの少数民族地域の幼稚園・小学校・中高校では、民族学校であってもすべての教育が漢語(中国語)に変りつつある。よりましな場合でも少数民族語は教科の一科目として存在しているに過ぎない。子供たちは学校内で母語を話すことを禁じられ、子供同士の会話は漢語になっている。
このままでは、チベット語は辺鄙な農牧村と寺院、大学・研究所に残るのみとなる。10年後にはチベット人青少年の多くは、漢語は読めても、母語のより高度な概念を理解する知識・教養は持てなくなるだろう。いや内モンゴルでは、すでにそうした若者が生まれている。やがてチベット語文学の読み手も極端に少なくなる日が来る。わたしはこれを悲しむ。
(2022・08・16)
初出 :「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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