――八ヶ岳山麓から(525)――
5月15日、中国の「環球時報」に田中和久という人の論評が現れた。表題は「日本は貿易摩擦を機に『対米従属』を見直すことができるか?」。環球時報は中共中央機関紙人民日報傘下の国際紙だが、ここに日本人の論評が載るのはまれである。わたしは田中和久氏を知らない。どなたかのペンネームかもしれない。以下その概略を記す。
田中氏は「最近の日米関係は、不安定な状態に陥る兆しを見せている」として、トランプ米大統領の対日貿易と日米安保体制批判を取り上げてこれに反論したのち、戦後80年を振り返り、日本は戦後一貫して対米従属状態にあったとする。
第一の時期は皇国解体、民主主義体制の確立期、第2期は高度経済成長期、この間にバブル崩壊を導く「ブラザ合意」があった。第3段階は1990年代初頭から今日までの停滞期。そしてソ連の瓦解と冷戦の崩壊によって、……日本の「手段としての対米従属」は次第に「対米従属を目的とする」ように変った。この傾向は小泉純一郎政権時代に現れ始め、第二次安倍晋三政権下の2012年末には、「目的としての対米従属」はほぼ不可逆的なものとなったと主張する。
そして田中氏は現状を概観してこういう。
「過去2、30年にわたり、日本が『対米従属』をことさらに強調してきた根源には、自信の喪失とアメリカへの消し難い不安がある。今日のワシントン(トランプ政権)はアメリカ社会の分断と国力衰退の結果だが、これを相手にするとき、日本のように衰退を前にして自らを救う手段を持たない国としては、ワラをもつかむがごとく弱体化しつつあるアメリカに不安を抱きつつも依存せざるを得ないという矛盾した心理に陥っている。
トランプ大統領の日米安保や『相互関税』発言は、アメリカのメンタリティの一端を反映したものだろう。その意味で、トランプ大統領の言動は、日本の対米不信をさらに刺激するだけでなく、日本が対米関係を見直す重要な契機になるかもしれない。もっと楽観的に言えば、日本が長年の『対米従属』路線を見直す千載一遇のチャンスかもしれない」
中共中央準機関紙の環球時報がこのような「まともな」論評を掲載した意図は何だろうか。いうまでもなくトランプ高関税攻勢を機に日韓のアメリカ離れと日中韓の連携をもとめているのである。
田中氏は、「日本が長年の『対米従属』路線を見直す千載一遇のチャンスかもしれない」という。わたしもチャンスだと思うが、見直しはかなり難しい。日本人の多くが国家主権に関する「ゆでガエル」状態にあり、長年の対米従属状態を異常だとも恥だとも思っていないからだ。たとえば首都の上空がアメリカ軍の事実上の管制下にあることを仕方のないもののように受け止めている。
自民党は対米従属を進めてきた政党だが、野党の立憲民主党もまた日米安保体制の維持を主張している。これに対して現状を変えようとする勢力は拡大の兆しがない。むしろ石破茂首相の日米地位協定の見直し論が世論から浮きあがって見えるのが実態である。
5月20日になると環球時報紙はまた「アジア太平洋に新たな変化の窓?」と題した3人の中国人専門家の対話記事を掲載した。その中で中国国際問題研究院アジア太平洋研究所特任研究員の項昊宇氏は「日韓は多様な外交空間を拡大する必要がある」と日中韓3国の連携を主張した。
以下、氏の主張のさわりと思われるところをとびとびに引く。
現在、アメリカの外交政策はアジア太平洋地域の地政学的地図を静かに塗り替えている。これに対し日本石破茂首相は関税問題で珍しくアメリカに強い姿勢を示し、自動車関税の撤廃を主張した。これは、アメリカの自動車関税政策によって日本経済が大きな打撃を受ける可能性があるためだけでなく、日本の対米態度が微妙に変化していることを示している。
ワシントン(トランプ政権)の同盟国に対する執拗な圧力は、前世紀の日本国内の日米貿易摩擦や「プラザ合意」の辛い記憶を呼び起こす。石破茂政権の対米政策は、「戦略的束縛」から「利害取引」に焦点を変えており、これは必然的選択でもある。
日韓の対米政策が「対米一辺倒」から「均衡ある自主性」へと変化したことは、東北アジアの地政学的景観に2つの次元で影響を及ぼしている。
第一に、日韓の対外認識と主体性が変化した。すなわちアメリカの単一の覇権はもはや存在しないということ。第二に、日韓の対外環境に対する関心が、いわゆる「チャイナリスク」から「アメリカリスク」へと変化し、中国市場の重要性を再検討し始めたことで、日中韓3カ国は日中韓自由貿易圏交渉を再開する見通しである。
ワシントンは同盟国がアメリカの安全保障を利用することを望まず、同盟国に軍事費を増やし、安全保障の責任を分担するよう要求している。「費用対効果」を比較判断すれば、各国は自国の防衛力を強化し、安全保障におけるアメリカへの依存度を下げることを選択するだろう。アメリカの同盟体制という「求心力」が弱まることで、多極的な地域パターンの形成が加速することは間違いない。
日本と韓国が多極秩序という物語の中で外交政策を方向転換し、戦略的自立と多様な配置を通じて、覇権争いやパワーシフトといった旧式思考を超越することができれば、アジア太平洋地域の安全保障構造を集団安全保障から共同の安全保障へと転換させることが期待できる。
さて、項昊宇氏は石破発言を意図的に自立へ傾いたものと受け取り、日韓両国に対して田中和久氏よりももっと強くアメリカ離れがあると見て、日韓両国は自国の防衛力を強化し、日韓の対外環境に対しては「チャイナリスク」から「アメリカリスク」へと変化するという。だが、これは項氏というより中共中央の石破政権への買い被りであり過剰な期待である。
軍事的には、中国による尖閣諸島への領海侵犯、南シナ海での沿海諸国との衝突と軍事基地建設、空母の建造、さらに海空での中露合同パトロールなどの拡張政策などがあるかぎり、日本では沖縄の先島諸島要塞化をやむなしという人が増えても、アメリカへの軍事依存度を下げるべしとする世論は起こりにくい。日本人にとっては依然として「チャイナリスク」は存在する。
韓国に至っては、北朝鮮と対峙している現状からすれば、今後親北朝鮮政権が成立したとしても、朝鮮戦争以来国連軍の名のもとにある米軍の韓国軍への支配を簡単には弱めることはできない。
いま、アメリカはみずから軍事的経済的さらには文化的領域での勢力圏を縮小している。トランプ政権は関税政策だけでなく、対外援助を担当する国際開発局を解体し、途上国支援プロジェクトを打ち切り、リベラル系大学への補助金凍結、外国人留学生の拒否、研究者に対する奨学金の停止、さらには言論弾圧に及ぶという孤立政策をとりはじめた。
アメリカによる地政学的バランスの崩壊を前に、中国は日韓両国に関係強化を求めている。田中・項両氏の論評掲載はこうした意図であることはあきらかだ。経済・貿易の面では日中韓3国の連携が生まれる可能性はある。だが、それには、中国が軍事・外交上の路線転換を図ることが必要で、少なくとも東シナ海・南シナ海での領土拡大とウクライナを侵略しているロシアへの経済援助をやめなければならない。
アメリカが退いた分、中国は途上国への援助を拡大し、AIやエネルギー、気候変動といった分野での重層的な影響力を拡大し、優秀な人材を獲得し、経済的文化的影響力を拡大しようとするだろう。だが、中国ばかりではない。日本にもチャンスが与えられている。
石破政権もメディアも、コメと自動車関税交渉にばかり集中している時ではない。政権基盤が脆弱だとはいえ、いま、やれることは少なくはないと私は考える。
(2025・05・26)
初出:「リベラル21」2025.5.31より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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