ドイツ滞在日誌(7) ほんの少しドイツ語のお話など/Regensburgへの旅/KarlstadtとBambergへの旅/Ulmへの旅

1.ほんの少しドイツ語のお話など
今年のドイツの夏(少なくともここゲッティンゲンでは)は、「異常」なぐらい寒くて、雨が多くて、「夏らしくない夏」になっています。これは一人僕だけの感想ではなくて、この家の女主人ペトラも同様に「ノーマルではない」と言っています。

先日、再度カレーライスをつくってペトラと(今回は豚肉入りです。彼女は珍しく、魚介類が苦手なのでした)、我々夫婦と一緒に食べ、その後、日本茶をすすりながら、かなり長時間(4時間ぐらいか?)にわたって話をしました。彼女の子供たちの写真も見せてもらいました。また来年来た時には、トルコや地中海方面に一緒に旅行しないか、という嬉しい誘いも受けました。ひと月一緒に過ごすと、色々迷惑をかけているかもしれませんが、やはり親しみも増すものです。片言のドイツ語でも結構役に立つものですね。彼女に言わせれば、ドイツ語は話し言葉と書き言葉の間に、かなり違いがあるようです。これは、英語と同じで、一つのセンテンスとして喋るときには、ドイツ語といえどもやはり言葉と言葉の境目があいまいになる(前後の言葉がくっついてくることになる)ことは避けられないようです。また、方言もかなりあって、日本と同じように地方の人の言っていることが判らないことも多いそうです。特にバイアン(バイエルン)方言がひどいのは有名です。ゲッティンゲン辺のドイツ語は、幸運なことに標準ドイツ語になっている高地ドイツ語(Hochdeutsch)ですから、ドイツ語の勉強のためには絶好の環境の様です。もちろん勉強する人の話です。ビールとワインにしか興味のない人にとってはどこで生活しても同じですが…。

そういえばこんなことを思い出し、彼女に話して大笑いしました。去年のことですが、僕がユルゲンと一緒に「シュツルテン」にいた時のことです。二人の若い男たちが、もう賄い時間が過ぎてかなりたったころやってきました。彼らは最初アルバイトの女子学生に何やら喋りかけましたが、一向に通じませんでした。女子学生は厨房に声をかけ、厨房から出て来た人がスラブ語や英語で話しかけましたが、通じません。最後にシルビアが出てきました。彼女はポーランド語、スラブ語(ロシア語など)、ドイツ語、英語、それにギリシア語も少々ですが喋れます。彼女が話しかけましたが、やはり埒が明きません。やがてユルゲンがくすくす笑い始め、小さな声で僕に言いました「彼らはバイアンだよ」。実はユルゲンはバイエルン州の出身なのです(彼はあくまで、フランケン出身だと言い張りますが)。
ついにシルビアが叫びました。「あなたたち、どこの国の人なの?」彼らは憤然とこう答えます。「もちろんドイツ人だよ」と。
これって嘘のような本当の話ですよ。全く脚色はしていません。が、実際笑えますよね。

そういえば、面白いことに気がつきました。ドイツ語では方言のことをDialekt(ディアレクト)と言います。これって他に似た言葉があることに気がつきませんか?もちろん、言うまでもないことですが、Dialektik(ディアレクティーク)です。弁証法と訳されていますが、もともとはDialog(ディアローグ)=対話に由来している言葉だそうです。これからは僕の勝手な想像ですが、先ほどのバイアン人の方言と同じようにてんでんばらばらな意見の人が議論しながら共通な認識に達していく方法として、同じ語源の言葉が使われたのではないだろうか?と一人わかったような解釈をして悦に入っています。本当かどうか、正確なところは、専門家である明治大学の生方先生にお聞きください。

2.Regensburgへの旅
去年、レーゲンスブルクに行こうとして、ニュールンベルクから各駅停車に乗り、とことこと3時間ほど揺られて、終点まで行ったところが、かのワグナー音楽祭で有名なバイロイトでした。路線間違いです。引返して乗り換える気力も失せて、とぼとぼとゲッティンゲンに引き返し、「シュツルテン」でラルフやシルビアに話をしたところ腹を抱えて笑われてしまいました。

今年こそはそのリベンジをするぞ、決意も勇ましく住まいを出立しましたが、外は予想以上に寒く、その上小雨模様で、なんだか不安になってきました。ICEに乗ってヴュルツブルクを経由してニュールンベルクへ、去年はここで乗車すべき列車を間違えたところです、しかし今年は違う。何故なら、乗り換えなしの直行列車を選んだからです、まあ当然の話ですね。

同じドイツ国内でも、この辺まで来ると太陽はさんさんと輝いていて、当たり前のことだが「夏」なのです。ICEの乗客もそれまでの満席状態がこの駅で大勢が降りて、瞬く間に閑散たる状態になっていました。ところで、日本の新幹線にはこのところとんと御無沙汰ですのでよくわからないのですが、ドイツのICEで気をつけなければならないのは、予約席のことです。席の上の荷物棚の下にどこの駅からどこの駅までの予約席という電子表示がでることになっていますが、知らないでいると、突然「そこは私の席だから」と追い出されてしまいます。遠距離まで乗っていると特にそういうケースに出会います。途中駅までは予約席でないのが、ある駅からは予約ということになるからです。また、とりあえずは、誰でも座れるのにわざわざBahnhof Confort(実際には、後で予約が入った時はそこを使うから、という表示)と電子表示されているので、そのことを知らないと予約席と間違えて戸惑ってしまいます。

はじめて降りたレーゲンスブルクは、なるほどよさそうなところです。駅前にかつての領主の屋敷跡と庭園が広がっています。屋敷跡は残念ながら清掃中(草刈りや枝の伐採中)で入れませんでしたが、降りてすぐ駅員の小母さんに「町の中央部にはどう行けばいいんですか」と聞いたところ、この公園を突っ切れば5分で行けるよ、と教えられました。言われた通りに、ぶらぶらと旧市街地に入り、行き当たりばったりで歩き回る。さすがに古い町(この町の由来は「交流の広場」に投稿しましたのでご覧ください)だけあって、路地が多いのが僕の気に入るところです。インフォメーションは街の中央部の旧ラートハウス(古い市庁舎)にあり、夏休みのせいなのか、若い人たちが大勢その辺にいました。インフォで無料のガイド用パンフをもらい、近くの喫茶店(ウエイトレスは初老の小母さん二人。どうもドイツ郷土料理が名物だったようです)で一休みし、小母さんにホテルの場所を聞きました。旧市街地内のホテルを教えてもらい、そちらへ。外はかなり暑い。しかし一発でホテルが決まりホッと一息。改めて本格的な散策と飲み屋探しを始めることになりました。

先ず地図で少々下調べをし、近くをドナウ川が流れていること、そこにかかる石の橋がユネスコの世界遺産の中核であること、などを知りました。ドナウ川までは宿から徒歩で15分ぐらいです。涼風に吹かれながら、橋の上からドナウのさざ波を、また此岸の古い町並みを見つめていると、やはり幸せな気持ちになるものです。

街中のそぞろ歩きは、当然ながら居酒屋探しが目的ですが、ドナウ川沿いに建つ聖ペーター寺院のドームはさすがにすごい迫力でした。居酒屋は相当な数あるのですが、初めての町で探すときはこれまでの経験を生かして鼻でかぎ分けるしかありません。僕の好みは裏通りの少し寂しげなところです。そんなところに入りました。実は僕の記憶からはすっかり抜け落ちていたのですが、ゲーテがかの『イタリア紀行』の中で、イタリアに行く旅の途中でこの地に泊まっていたのです。町のパンフにそう書いていました。その宿は先ほどのドナウ川の橋の近くだったようです。後の祭り、今回は僕の鼻は利きませんでした。

(それやこれやを書き綴っていたら、いつまでたっても終わりません。それではバンベルク行きの列車に乗れませんので、端折ります。)ただ、翌朝早くのドナウの散歩は、夕べの散歩に匹敵するほど素晴らしいものだったことだけを付け加えておきます。

 

3.KarlstadtとBambergへの旅
翌朝も好天気でした。今度は逆方向で、ニュールンベルク経由でヴュルツブルクまで行き、そこで乗り換えて、友人のユルゲンの故郷Karlstadtを見物してからバンベルクへ行くことにしました。Karlstadtという名前は紛らわしくて、Karstadtという名前のデパートがゲッティンゲンやゴスラーなどにあります。そことは全く無関係です。ドイツではそういう発音を似せた名前をつけることはままあるように思います。卑近な例ですが、Goslarに対してGossler、Zackに対してZakなどです。

それはともかく、ここはユルゲンが自慢するだけあって小さな宝石と言ってもよいぐらい実に美しい町でした。マイン川が流れています。ヴュルツブルクに泊まるくらいならここの方が良さそうだと思います。ヴュルツブルクも大変美しい町(実際に僕の姪などは、この町に大感動しました)なのですよ。でも多分こちらの方が小さいために人情味がありそうに思われます。またよさそうな居酒屋も見つけました。多分、宿代も安いでしょう。

Bambergにはほとんど毎年来ています。それほどこの町が気に入っています。ヘーゲルが住んでいたこともその理由ですが、何と言ってもここでしか飲めないRauchbierを、1310年に作られたと銘文が残っている居酒屋(ここの写真は「広場」に貼りつけましたので拡大してご覧ください)で飲めること、また町のロケーションが素晴らしいのです。レグニッツ川とマイン川がそばを流れ、そのほか運河が掘られています。水は滔々と流れていて、まさに小ヴェネティアの名にふさわしいと思います。この豊かな水資源を利用して作られたのがラオホビール(Rauchbier)ではないかと推測しています。夕べの旧市街(Altestadt)の散策は勿論大変素晴らしいのですが、朝早く起きだして、近くの川べりを森の中に向かって散歩すると、えも言えぬ満足感に浸れます。川べりの朝の散歩はどこでも素晴らしいのですが、ここは格別です。ヘーゲルになったような気分というと大げさすぎますが、彼もそうしていたのではないかと思えてきます。

ユネスコの世界遺産都市であるバンベルクの観光案内はネットでお調べください。今回は有名なドーム(4つの立派な塔をもつ教会)などへの見物はしていません。ひたすら川、水辺の情景に惹かれました。

 

 

4.Ulmへの旅
かなり前のことですが、ある日本人の友人からウルムのドームはケルンのドーム以上に巨大だという話を聞いていました。一度そのドームだけでもみたいものだと長いこと思っていました。今回思いきってその思いを遂げたいと考え、ウルム行きを決意しました。

バンベルクからヴュルツブルクに戻り、そこから各駅停車(これ以外の便利な列車がありませんでしたので)に乗り、シュツットガルトまで出て、また乗り換えて(今度はICEですが)やっとウルムまで来ました。遠かったです。しかも帰りの時間を考えると滞在する時間がほとんどありません。雲行きまで怪しくなって、今にも降り出しそうな気配です。とにかくドーム(正確にはここではドームとは呼ばずにミュンスター寺院=ウルム大聖堂と言うようです)だけでも見なければ何のために来たのか分からなくなると思い、駅前の街路地図を頼りに大通りをまっすぐ歩きだしました。突然、目の前に異様に巨大なものが見えてきました。これがその寺院の尖塔なのです(写真は「広場」でご覧下さい)。あまりの異様さに一瞬「ゴジラが東京湾に来襲した」ようなイメージをもちました。それほど異様です。教会のすぐ近くまで行ってみました。これがゴジラなら、我々人間は豆粒だな、と思いました。福島原発事故でゴジラがよみがえったら、東京などひとたまりもないだろうな、とあらぬ方向のことまで考えてしまいました。しかし、僕らに残された時間はほとんどありません。仰天したという気持ちだけ残して、駅にとんぼ返りです。

この世界一高い161メートルの塔が完成したのは1890年だそうです。その間長い間の中断期間があったようです。またこの地は、アインシュタインの生誕地として知られ、ルネ・デカルトがここに若いころ住んで思索していたことでも知られています。町としての規模はかなり大きい感じです。駅前の商店街はかなりの人出でにぎわっていました。ここからミュンヘンまではそう遠くないはずですが、ここはバーデン=ヴュルテンベルク州に属し、川はドナウです。

次回は北東ドイツのハンザ都市(シュトラールズント、ヴィスマール)について書こうと思います。
(写真は、レーゲンスブルクのドナウ川に架かる橋、バンベルクの旧市街地への入り口の橋、カールシュタットの町)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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