2024. 3.1 ●東京証券取引所の日経平均株価は、1989年12月29日以来34年ぶりの高値で、4万円台の大台も間近とのこと、バブル景気の再来です。確かに1989年、東欧革命・冷戦崩壊の頃は、「24時間たたかえますか」の世界で、株価と地上げの不動産地価が高騰、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれた余韻が残っていました。世界企業時価総額ランキングで、NTT以下日本企業・銀行がトップテンのトップファイブを独占したほか(NTT、日本興業銀行、住友銀行、富士銀行、第一勧業銀行、IBM、三菱銀行、エクソン、東京電力、ロイヤルダッチシェル)、半導体の世界市場では50%のシェアでした。半導体売り上げ企業ランキングでも,1986-1991年まではNEC・日立・ 東芝が上位3位を独占したほか,10位以内に富士通・三菱電機・松下電子がランキングされ、6社が10位以内に入るという「電子立国」日本でした。日本株の外国人保有比率は、5%以下でした。国内市場の景気に熱気があり、労働組合のナショナルセンター「連合」が生まれたばかりでしたが、賃上げも1988年23%、消費が過熱していました。今日の「政治とカネ」問題の土台となったリクルート汚職事件が起きたのも1988年、冷戦崩壊後のグローバルな世界への対処が議論され、バブル経済に寄生し腐敗した政治の改革論議も熱気がありました。
●2024年の4万円株価は、世界の半導体景気が主導しているそうです。超高層タワーマンションの売れ行きも好調で、1989−90年に似ています。ただし、日本企業や高級不動産への投資の中心は、海外投資家です。日本株の30%は外国人が保有し、それが売買額の3分の2を占めます。当然株高の恩恵も、そうなります。1ドル=150円の円安と、米国ウォールストリートの市況、中国不動産市場のリスクヘッジに動かされています。円安輸出企業以外の国内製造業は、技術革新が遅れ内部留保の取り崩しと物価へのしわ寄せ、中小零細企業に至っては価格転嫁もできずに悲鳴をあげていて、とても「好景気」「賃上げ」どころではありません。いわば庶民の生活感から大きく離れた、「バブルな好況イメージ」のバブルです。他力本願で、いつはじけてもおかしくありません。日本に投資している海外マネーは投機ですから、あっという間に逃げ出すこともありうるでしょう。インテルやサムソンのリードする世界の半導体市場での日本の製造装置のシェアは3割程度ですが、製品市場では6%まで落ち込み、台湾のTSMCのような専業ファウンドリーメーカーはありません。日本政府は、そこで1兆2千億円の補助金を出して、熊本にTSMCの工場を誘致しました。40年前に、どこかで見た光景です。勢いのあった日本の自動車企業等を誘致しようと、アジアはもとより、アメリカの州政府やイギリス、オーストラリア政府なども税や立地の優遇措置を準備して日系企業を誘致し、「国内産業空洞化」が言われていました。現在の立場は、真逆です。日没する国の庶民は、かつて日本車をハンマーで壊した米国労働者のようなエネルギーはありません。株価や不動産に浮かれる余裕はないのです。
● ロシアのウクライナ侵略戦争は、3年目に入りました。思えばこれも、34年前の東欧革命・冷戦崩壊・ソ連解体によるグローバルな世界再編の一つの帰結でした。冷戦崩壊の主役は、ソ連共産党のエリート官僚であったミハイル・ゴルバチョフと、アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンでした。ソ連共産主義の中で育ったゴルバチョフが、経済的停滞・政治的閉塞からペレストロイカ、グラースノスチ、新思考外交で脱出しようとしたところで、イギリスのサッチャーがレールを敷いたグローバルな新自由主義市場圏に組み込まれ、ハリウッド俳優上がりのレーガン主導で飲み込まれました。21世紀になると、そのグローバルな世界資本主義に、中国が共産党独裁を残したまま本格的に参入し、アジアの周辺国をも巻き込んで「世界の工場地帯」になりました。かつて技術力で欧米資本主義とドッキングできた日本資本主義は、G7に代表される欧米日同盟に残ったまま、中国経済圏の周辺にも組み込まれました。GDPは、中国ばかりでなくドイツにも抜かれ、やがてインドにも追い越されようとしています。そんな折りに、俳優上がりのゼレンスキー大統領の国ウクライナが、共産党官僚制の一部であったKGBを引き継いだプーチン首相のロシア帝国主義に攻め込まれ、NATOから武器を供与されて長期戦になりました。しかし、先は見えません。そのNATOの有力国を後ろ盾に、かつてのホロコースト被害を看板にアラブの地に立国したイスラエルは、パレスチナ人へのジェノサイドで世界史的加害者になっています。フィンランド、スウェーデンのNATO加入で、欧州の国際秩序が変わりました。秋のアメリカ大統領戦挙で、トランプが勝利したらどうなるか、兜町の株価水準は同じでも、1989年の民主化で浮遊し始めた希望ある世界とは、全然ちがいます。2024年の、再編を繰り返して多元化し権威主義的国家が勢いを増す世界は、1989年とは大きく環境が違い、方向性が見えてきません。不気味なのは、能登半島地震・津波でも株価が低落しなかったように、金融市場の暴走状態が続くことです。台湾の半導体ばかりでなく、総じて戦争や危機に関わる銘柄が、海外からの投機の対象になっています。
● リクルート事件の後始末であった1994年の政治改革の抜け穴から、政治とカネの問題が再び吹き出し、2024年自民党裏金騒動になっています。折からの確定申告期に、SNSでは「#確定申告ボイコット」が10万件以上、内閣支持率・自民党支持率史上最低の政界再編クライマックスを迎えようとしています。しかしこれが1990年代と異なるのは、自民党内での権力闘争と野党再編が結びつかず、どん底の自公・岸田内閣に代わる、新たな政治像・政党編成が見えてこないことです。30年前の細川内閣・村山内閣を生み出したような、政治家たちのエネルギーは、小選挙区制と世襲議員が増えたためでしょうか、与野党を問わず、出てきません。「失なわれた30年」の経済と同じように、政治の時代閉塞です。権力の味に溺れた自民党・公明党はともかく、かつて日本社会党が果たした役割を果たすべき、立憲民主党・日本共産党に、元気がありません。立憲民主党の前身民主党は、まがりなりにも2009年に政権交代を実現しましたが、共産党の方は、34年間ひたすら衰退の一途です。欧米では、1989年東欧革命をきっかけに、共産党はプロレタリア独裁、生産手段国有化・集権的計画経済、前衛党・民主集中制といったレーニン・コミンテルン以降の伝統ときっぱりと訣別して、多くは名前を変えて、社会民主主義や協同組合主義・アナーキズム・コモンズ等へと転身していきました。それに対して、日本の共産党は、アジアの中国共産党・朝鮮労働党などと共に、コミンテルンの伝統を守り続けてきました。博物館的意味で、希少価値のある政党です。それが、自力更生もできず、存亡の危機にあります。
● おそらく1989年の東欧革命・ソ連崩壊期に日本共産党が生き残ったのには、共産党自身の宣伝する自主独立や議会政党としての定着ばかりでなく、中国・ベトナムなどアジア共産主義へのかすかな希望、日本の高度成長と近代化の遺産への寄生があったからでしょう。日本資本主義そのものに勢いがあったので、資本主義批判にも理論的・政策的活性化があり、再分配を組み込む余裕があったのです。まだ「アメリカ帝国主義」が学界のテーマであり、非正規労働・外国人労働者が少なく、一国「階級分析」が通用する時代でした。ソ連を模範国にしていた過去を捨て、「生成期」といった弁明を経て、ソ連共産党解体を「もろてをあげて歓迎」する根拠を強引に合理化する、マルクス・レーニン主義の理論政策幹部も残されていました。それが、党員数・機関紙読者数、国会・地方議会得票数・議員数、何よりも活動家層の高齢化と若者への影響力喪失が続いて、2024年1月の第29回党大会では、矛盾が吹き出した様相です。2024年は、SNS情報の常態化で中国共産党の横暴・自由抑圧が露わになり、「革命政党」と名乗ってもだれも現実性を見いだせず、解党的出直しか自然死かの瀬戸際です。1989年頃は、私は政治学者として『東欧革命と社会主義』(花伝社、1990年3月)をリアルタイムで書き、かつ、東欧の「フォーラムによる革命」「テレビ時代の革命」に刺激されて、新たな社会主義組織のあり方をフランス革命期まで遡って、『社会主義と組織原理』(窓社、1989年11月)と題して歴史的に探求していました。
● いま、日本共産党の中央幹部は、せっかく1年前に善意の党改革を訴えた古参党員を「反共攻撃」「分派」として「除名」し、ハリネズミ風に自己防衛しています。これに異議を唱える地方議員や地方幹部を、パワハラや専従解雇の生活権剥奪で抑え込もうとしています。滅多にとりあげてもらえない日本共産党史を、この間学術的書物にして書き下ろし、丁寧に助言してきた理解ある政治学者に対してさえ、空虚な名指しの中傷を新聞発表する仕打ちです。19世紀前半からの社会主義を志向する運動には、もともと出入り自由な自発的共同体を目指すロバート・オーウェン「ニューハーモニー」型から協同組合・友愛互助組織をめざす動きと、アウグスト・ブランキ「四季協会」型の、現存国家権力の暴力的転覆やテロを狙う秘密結社・少数精鋭革命党の志向の分岐がありました。19世紀後半から20世紀初めは、その二つの流れが合従連衡の中で合流し、ドイツ社会民主党やイギリス労働党のような社会民主主義政党として、選挙と議会を通じた社会改革・民主化を可能にしてきました。ブランキ型秘密結社の「裏切り者は死刑」の伝統にはマルクスが介入し、①異論者は公開指名手配で追放するが生命は奪わない「除名」制度を共産主義者同盟に導入し、②将来の再加入を可能にする「除籍」ももうけられました。③秘密結社の陥りやすい中央集権・個人独裁を制御するため、組織内に選挙制ばかりでなく複数指導者制・任期制など権力分立の制度を導入し、④機関紙編集権の独立、⑤地方組織の独自規約制定権、⑥党財政・専従職員給与の透明性・公開制、⑦異論者処分への多段階の党内第3者による仲裁裁判制度等が設けられ、実際に機能してきました。
● 20世紀に入って最大の問題が、専従活動家が増殖した党中央官僚制と、選挙で有権者の支持で選ばれた国会議員団との関係でした。多様な社会主義政党や労働組合を基盤にした第二インターナショナルの中心であったドイツ社会民主党は、第一次世界大戦の戦時公債への態度をめぐって、党官僚・議員団を横断する分裂が決定的になり、独立社会民主党やローザ・ルクセンブルグらの最左派スパルタクス団を生み出しました。そこに、ロシアで秘密結社の系譜から暴力やテロをも用いた革命を成功させたレーニンらのボリシェヴィキが、「第二インターナショナルの崩壊」をうたって、第三インタナショナル=コミンテルンを作り、その暴力革命を可能にする前衛党を世界に広めようとしました。それがコミンテルン加入条件21箇条(1920年)、コミンテルン模範規約(1925年)に書き込まれた、ロシア起源の組織原理=「民主集中制」でした。それを受容して、世界共産党=コミンテルン日本支部として創立されたのが、日本共産党です。ですから共産党の党内コミュニケーションには、軍事用語があふれていました。「プロレタリア独裁」や「労働者階級」とは言わなくなりましたが、すでに世界は冷戦さなかの1961年でも冷戦崩壊の1989年でもなく、「もしトラ」でトランプ再登場のアメリカの可能性も出てきました。こうした21世紀世界の本格的構造分析と変革条件の探求・政策対応を求められています。しかし日本共産党には、戦略・戦術・陣地・前衛・戦闘的等々の軍事用語がジャルゴンとして残され、党中央官僚に異論を表明するSNSをひそかに監視し摘発する、憲兵隊風秘密組織もできているようです。ただしそのジャルゴンを使ってでも世界を分析できる理論枠組と理論活動家は、消え去ろうとしています。
● 私の「民主集中制」理解は、すでに1989年の著書以来公開し、百科事典の辞書的な定義のほか、19世紀社会主義や「民主主義」一般に比しての歴史的特徴として、①厳格な「鉄の軍事的規律」、②上級の決定の下部の無条件実行、③厳しいイ デオロギー的・世界観的統一と異論・離反者の犯罪視、④ 党員の水平的交通および「分派」禁止、⑤党財政の中央管理と秘密主義、⑥党外大衆組織さらには国家組織への党内「伝導ベルト」を通じての指導と支配の確保、としてきました。それらは、1989年の東欧革命時に、ほとんどの国で共産党が独裁国家・指導者崇拝を産んだ重要因として廃棄され、わざわざ「集中制」を主語にしなくても、十分な情報と平等な熟議の上での決定の実行を意味する「民主主義」だけでよいことになりました。何よりも、一人一人の党員個人の個性・自発性・人権と入退会・言論の自由に立脚する「党員主権」という考え方が、民主化を推進した後継の社会党・左翼党・民主党等々の原理になりました。日本で1989年に新語・流行語大賞で普及した「セクハラ」、2000年から一般化した「パワハラ」の排除が、一般企業や官庁組織と同様に、ポスト共産主義政党の重要な組織規範となりました。日本共産党が、2024年のバブルのなかで政治改革・政党再編に参与しようとするなら、まずは軍事革命政党・集権制・指導者崇拝・人権侵害のイメージを払拭し、主権者たる国民に開かれた、党員主権と民主主義の政党へと脱皮することが必要でしょう。コミンテルン起源のいわゆる「二段階革命」をなお唱え、「社会主義革命」に先行する「民主主義革命」に固執するのならば、なおさらです。丸山真男風に言えば、主権者である国民を主人公とした、日本政治全体の「永続民主主義革命」の可能性の探求が必要なのです。
初出:加藤哲郎の「ネチズン・カレッジ』より許可を得て転載 http://netizen.html.xdomain.jp/home.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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