パリの巨大デモが示したムスリムとの連帯 ―「イスラム国」との戦いは国連中心で⑨

11日、パリでの巨大デモ。1989年11月の「ベルリンの壁崩壊」以来、最も感動した人々の行動だった。パリでは空前の160万人、フランス全土で370万人、各国首脳や代表がデモの先頭を歩いた。それ以上に感動したのは、人々が掲げたのが、言論の自由を意味する鉛筆と「シャルリー」の標語で、イスラム教やムスリム(イスラム教徒)を非難、敵視する言葉が見えなかったことだ。デモもメディアの報道も、この行動がイスラム教や、ムスリムが多い移民たちへの悪感情を煽ることなく、むしろ逆に、自由を脅かすテロとの戦いに、ムスリムを含めた「連帯」を呼びかける強い配慮と熱意がみなぎっていた。

ドイツでは12日夜、ドレスデンで反イスラム・反移民団体「西洋のイスラム化に反対する愛国的欧州人」(ペギーダ)が開催した集会に、黒いリボンや「シャルリー」の標語を身に着け、反イスラムのスローガンを掲げた市民2万5千人が(同団体としては最大)集まった。一方で首都ベルリンをはじめドイツ各地で開かれた「寛容な社会」を訴える集会には10万人以上が集まった。ベルリンの集会には、メルケル首相、ガウク大統領も参加。大統領は「我々はみなドイツ国民です。ドイツは移民を通じて、より宗教的、文化的、精神的に多様化しました。この多様性が、われわれの国を成功的な、興味深い、好ましい国にしたのです」と演説した。

「シャルリー」は言うまでもなく、襲撃され、編集者や風刺漫画作者ら12人が殺害された週刊風刺新聞の名前。パリでは、それとともに「アフメド」の名も掲げられていた。それは襲撃犯に射殺された警官アフメド・メラベの名前だ。メラベは、アルジェリア移民の子で、敬虔なムスリムだと、しっかり報道されていた。「シャルリー」とほぼ同時に攻撃されたユダヤ教徒のための食品を売るスーパーでは、客たちを隠れ場に誘導した店員は、アフリカのマリにルーツがあるムスリムだと報道された。

フランスでは、旧植民地のアルジェリアはじめムスリム移民が人口の約7%、450万人、ドイツではおもにトルコからのムスリム移民が約5%、400万人と推計されている。どちらの国でも、ムスリム移民を排斥する右翼政党、組織が少数派ながら勢力を伸ばしており、今回の事件が右翼勢力を助長することを、政府も国民多数もメディアも、強く懸念している。

▽横行する残虐な集団虐殺
パリ両襲撃事件の犯人たちは、多様な武器で武装しており、中東イエメンのイスラム聖戦主義過激派「アラビア半島のアルカイダ(AQAP)」との関係が有力視されている。AQAPは、国際テロ組織アルカイダに属し、最高指導者ビンラディンが米軍に殺された同組織の中で、最も有力な下部組織。イエメンはビンラディンの出身地で、彼はAQAPの育成に力を入れていた。米軍の無人機攻撃で、指導者たちが次々と殺されているが、イエメンでは依然根強く、むしろ支配地域を拡げている。欧州諸国のアルカイダ系組織とも関係があり、シャルリー・エブドを襲撃したクアシ兄弟は、AQAPから軍事訓練を受け、武器入手の支援を受けていたようだ。いまや国際的なイスラム過激派の主役に「イスラム国」がのし上がったが、アルカイダも中東、アフリカ、欧州で下部組織への影響力を温存している。「イスラム国」は中東での「カリフ(首長)国」の拡張に力を注ぎ、欧州は兵力源で、欧州での活動ではアルカイダの方が危険だ。両者は、対立しながらも、ともにイスラム聖戦主義過激派の仲間関係にある。

しかし、なぜ、いま、このような集団虐殺を実行したのか。まず想起したのは、昨年後半に「イスラム国」がイラクで重ねてきた、ヤジディ教徒の集団虐殺、新兵がほとんどのイラク政府軍のシーア派捕虜たちの集団斬首処刑、欧米人のジャーナリストや国際援助団体要員の見せしめ斬首だった。人間の生命を平然と残虐に奪う行為。
さらに昨年後半には、イスラエル軍によるガザでのパレスチナ人集団虐殺と壊滅的な破壊が行われた。子供一人が死亡したロケット弾攻撃への報復に、2か月にわたる砲爆撃や戦車による破壊で子供495人、女性253人を含む一般市民1462人以上を殺し、10万8千人の住居を破壊したイスラエル軍。

平然と行われたこれらの集団虐殺が、パリでの集団虐殺を平然と実行させた場を導いたのではないだろうか。

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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