パレスチナの今を見た③ - 伸びる分離壁、負けずに通学する子供たち -

 イスラエル占領下の東エルサレムとそれに続く西岸地区では、占領支配を象徴する分離壁の建設が続いている。ラマラからエルサレムまでわずか15キロしかないのに、壁の下を右へ左へ迂回し、朝夕はエルサレムへの出勤車で混雑し1時間以上かかるとい う。
 高さ8メートルのコンクリートの厚い分離壁は、イスラエルが「テロ対策」として2002年に建設を始めた、予定ルートは総延長約700キロ。イスラエルとパレスチナ占領地の境界線を越え、パレスチナ側に食い込む形で建設されており、国連総会は2003年10月に厳しい非難決議を採択、国際司法裁判所は04年7月、国際法違法だとの判断を下した。
 2017年に約460kmまで完成し、さらに建設がつづいているが、当初計画以外の場所でも建設が行われている。主に、パレスチナ人の土地を奪って入植地を建設し、壁で囲うのだ。
 第2次大戦後、東ドイツが「ベルリンの壁」を建設したが、1990年に国民の民主化運動で東ドイツが崩壊し、「壁」も破壊された。歴史と自然の豊かなパレスチナに築かれた醜悪で威圧的な壁は、いつか崩壊するのだろうか。

▼負けない子供たち
分離壁でもっとも迷惑をしたのは学校に通う子供たちだ。壁はイスラエルとパレスチナの地図上の境界に建設するだけではない。イスラエル占領下の土地に、とくに新たに築いた入植地を防衛するために築く。このため、とくに67年戦争でイスラエルが占領し、併合宣言した東エルサレムの新入植地周辺が多い。9年制義務教育の通学が、30分以上も回り道になった子供たちも少なくない。それでも、子供たちは負けずに通学しているという。パレスチナでは、親も子も教育に熱心だ。先月、ガザの子供たちが学習に熱心だという英BBCのレポートを紹介したが、西岸地区の子供たちも学校に熱心で、分離壁に負けてはいない。


① 東エルサレム市街近くの分離壁に書かれた風刺画。世界中の画家たちが分離壁に怒りと抗議を込めて描いている。


② ラマラ―エルサレム間の主要道路に立ちふさがる分離壁。検問所まで大きく遠回りしなければならない。イスラエルの休日の土曜なので、車はすいていた。
2018.6,23.坂井撮影

▼イスラエルは第3次中東戦争(67年)、第4次戦争(73年)の占領地を併合。93年暫定自治宣言(オスロ合意)の自治区を浸食
 パレスチナの今を理解するために、必要な要点をまとめておこうー
 1947年:国連総会は英国が委任統治を放棄したパレスチナをユダヤ人とアラブ人の2国家に分け、歴史都市エルサレムを国際管理とするパレスチナ分割決議を採択。
 48年5月14日:イスラエルが建国宣言。その翌日アラブ側の攻撃開始で第1次戦争。
イスラエルが圧勝。エルサレム西部を含む支配地域を拡大、領土化。
 64年1月:アラブ首脳会議がパレスチナ解放機構(PLO)を結成。
 65年:パレスチナ武装勢力、反イスラエル闘争開始。
 67年6月:第3次戦争。6日間でイスラエル圧勝。エジプト領シナイ半島とガザ地区、ヨルダン領東エルサレムとヨルダン川西岸地区、シリア領ゴラン高原を占領。東エルサレムとゴラン高原の併合を宣言したが、国連は承認せず、占領地とみなした。
 93年9月;ラビン・イスラエル首相とアラファトPLO議長が、ワシントンでパレスチナ暫定自治宣言に調印。
 94年5月:PLOとイスラエルが先行自治協定に調印。ヨルダン川西岸地区をイスラエル軍はまずガザと西岸地区のエリコから撤退し、パレスチナ自治開始。西岸地区はA,B,C3エリアに分類。エリアAはパレスチナ自治政府の完全自治、エリアBは行政を自治政府、治安をイスラエルが担当、エリアCはイスラエルが行政も治安も支配する占領地の内容。当初はA2.0%、B26%だが、漸次拡大することも記していた。しかし現在でも依然A地区2,0%,B地区30%台、それ以外がC地区。イスラエルがB地区に   入植地を拡大。A地区でもイスラエル軍は夜間の作戦行動を随時おこなっている。
先行自治協定により、アラファト議長はチュニスから帰国し、自治政府を設立。
 95年9月:PLOとイスラエルは暫定自治拡大協定に合意。イ軍は年末までに西岸の3市から撤退。1年以内の最終地位交渉開始、前提自治政府の選挙実施を明記。
 96年1月:自治政府議長と自治評議会議員の選挙が国際監視下に行われ、アラファトと与党ファタハが勝利した。(国際監視団には日本政府も派遣、筆者も監視団に加わった)、
 2000年3月:西岸のパレスチナ自治区は4割に達した。9月にイスラエルで右派のリクードのシャロン党首がエルサレムの「丘」の岩のドームがあるイスラム地区に侵入し、第2次インティファーダ(反イスラエル抵抗闘争)を挑発。
 以後とくに2009年から現在まで:リクードのネタニヤフ政権下、自治区の拡大は進まず、逆に入植地建設が至る所に広がった。

▼パレスチナ人とイスラエル人の人口
 日本外務省が採用しているデータによると、2017年現在、パレスチナの人口は占領下東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区、ガザ地区合計で約495万人、面積は約6、020平方キロで三重県と同じくらい。他に、ヨルダン、シリア、レバノンに計344万人のパレスチナ人難民が暮らしている。おもにイスラエル建国とその後の戦争で土地と家を奪われた人々とその子供たちだ。両方で計839万人。
 一方、イスラエルの人口は868万人。ほぼ同じだが、イスラエル人口のうちユダヤ人は約75%、残りは主にアラブ系つまりパレスチナ人だ。国土面積は22,000平方キロ。
 中東全体でみれば、イスラム世界の中の一握りのユダヤ人国家。イスラエルの異常な反パレスチナ、入植地拡大、核武装を含む強大な軍事力などの政策と行動は、その孤立感の裏返しなのだろう。(続く)

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