2020.2.1 現代は危険社会です。多くは産業革命以来の人間の傲慢が、動植物や自然生態系とのバランスをくずし、地球的規模での危機管理を求めています。核戦争や気候変動が典型的ですが、新型ウィルスなど感染症もその一つです。世界保健機構(WHO)は、新型コロナウィルスの感染による肺炎の広がりを「緊急事態」と宣言しました。1月に中国の1100万大都市武漢市で見つかり、中国の旧正月春節の大移動で、中国全土に広がりました。ヒトとヒトの感染、潜伏期間中の感染、無症状感染も分かってきて、世界で20ヵ国以上、1万人に感染、死者も200人を越えました。受験シーズンの日本にも、武漢滞在者・旅行者から持ち込まれて、国内での二次・三次感染も疑われ、空港での水際検疫・封じ込め作戦は崩壊寸前です。予断は許しませんが、世界的大流行(パンデミック)にまで広がり、長期化する可能性があります。
今回の感染症は、2002-03年のSARS(重症急性呼吸器症候群)の流行と比較されています。いずれも中国発だからです。SARSは2002年11 月に中国広東省で見つかりましたが、中国政府はその症例・感染を隠蔽して初動対策が遅れ、本格的には2003年2月にWHOに報告されてから、世界的問題になりました。世界30ヵ国に広がり、8422人が感染、916人が死亡とされています。WHOが終息宣言を出したのは、2003年7月、発症から8か月かかりました。今回は、中国政府は数週間で対応し、武漢市の交通封鎖など思い切った封じ込め対策を実行しています。もちろん初動の感染源の特定と地方政府の混乱もあり、現地の感染者・住民の苦難、それに医師や看護師の苦労は大変なものです。感染規模は、すでにSARSを上回っています。武漢市以外の感染者が急激に増えていますから、世界的な問題です。
私は、今回の新型肺炎の問題を、2003年のSARS流行よりも、2009年のメキシコに発した新型インフルエンザ(H1N1、豚インフル)の流行と比較したいと思います。一つは、SARSの段階と比べ、中国の国際社会の中での意味が、リーマンショック後に飛躍的に大きくなっており、したがって、飛行機や鉄道・バスの交通、ビジネス・観光客を含む人的交流が、新しい段階に入っているからです。アメリカもヨーロッパも日本・韓国・東南アジアも、金融・物流・情報と共に、巨大市場でもある中国の人々とのつながりが不可避になっています。もう一つは、2009年4月12日にメキシコで見つかり、4月24日にはWHOの緊急事態宣言が出され、6月にWHOパンデミック宣言を出したケースと、現局面が似ているからです。214の国・地域で爆発的に流行し、2011年まで患者推計200万人・死者1万8097人に及びました。日本でも、当初はメキシコ帰国者封じ込め・検疫がありましたが、5月には関西の高校生から国内ヒトーヒト感染がわかり、文字通りの大流行で、200人以上が亡くなりました。
実は私自身、2009年は3月から5月までメキシコに滞在し、外務省・日本大使館の勧告で、客員講義途中で緊急帰国しました。空港で厳しい検疫を受け、以後10日間は、保健所監視付の自宅待機を体験しました。以後も、政治学者として、パンデミックを注視してきました。その詳しい経緯は、本トップで書き続けて、「2009年のリビングルーム」に収録しました。後に本サイト「メキシコ便り」中に「パンデミックの政治学」と名付けて時系列でまとめ、英語・スペイン語の論文も公表しています。それを読み直すと、ようやく空港での検疫から解放され、立派なマスクや、水銀式ではなく電子式の体温計を手に入れ、毎日検温していたのに、成田空港から厚生労働省・東京都経由、地元保健所へ連絡が入ったのは、帰国後4日間もかかっていました。保健所の電話検診もおざなりで、検温記録は心覚えに終わったいまいましい記憶など、時の麻生内閣の初動段階の不手際を想い出します。その詳細は「メキシコ便り」の2009年分を見て貰うことにして、ここでは、当時の参与観察から導き、2020年の世界と日本を考えるために役立つであろう、三つほどの教訓を記しておきます。
「パンデミックの政治」の第一は、国際機関WHOの役割と意味です。WHOの「緊急事態宣言」が世界に警鐘を鳴らし、フェーズが上がる毎に人々の衛生・安全意識を高めることは事実です。しかし、医学・医療専門家の国際提携はともかく、それは、世界の政治経済を動かすものではなく、むしろ国際関係によって動かされるものです。今回も「人の移動や貿易を制限するものではない」とわざわざ断っていますが、これは、世界政治経済における中国の役割、米中関係を考えてのものでしょう。2009年の場合も、米国とメキシコの自由市場協定(NAFTA) から、なかなか「緊急事態宣言」にいたらず、アメリカ人感染者から死者が出たためにようやくWHOが動いた、とメキシコではささやかれたものです。
第二は、ワクチンや特効薬がなく、流行地の住居や食糧、衛生環境が異なるもとでは、各国の政府と医療保健システムが、検疫・治療・防疫に決定的であり、感染・流行の程度を決めることです。先進国の場合は、自国人保護の特別機をチャーターしたり、高度な医療・防疫チームを組織することが相対的に容易ですが、それでも初動の対策は後手後手であることがほとんどで、容易に終熄しません。経済的・軍事的国力が弱い国ほど、多くの感染者・死亡者を出す傾向があります。2009年の新型インフルは、実は、メキシコでもアメリカ資本の養豚場が発生源とされ、ウィルスはアメリカから持ち込まれた可能性大ですが、アメリカはその風評被害を嫌って、当時「豚インフルエンザ(swine flu)」と言われていたものを、わざわざ「新型インフルエンザ」と呼称まで変えました。もっともそれに従ったのは、メキシコと日本だけなどとも言われました。今回安倍内閣は、邦人保護の緊急時政府専用機として、かつて日本軍が侵略した武漢まで、中国では軍用機扱いになる航空自衛隊を使おうとしたようです。
第三に、パンデミックは、世界的にも国内でも、貧困と格差の問題をくっきりと映し出します。2009年のメキシコでは、現地の白人、混血メスティーソ、原住民インディオのあいだで、感染率・死亡率が大きく異なったといいます。白人は早々とアメリカやスペインに逃げるか、豪邸に閉じこもり、マスクも買えない都市貧民インディオが、最大の犠牲者でした。今回は春節の武漢で、1100万人中500万人は爆発的感染前に北京や外国に抜けだしたといいます。どんな階層の人々でしょうか。規模が大きくなると、弱者への被害偏在が現れます。
もっとも、世界最大の観光支出国となった中国上層・中間層の人々が、欧米や日本へのウィルス運搬人になった可能性大です。パンデミックまで広がるかどうか、8か月や1年で終息するかどうかはわかりませんが、感染症リスクも、格差社会を映し出します。情報戦では、すでに反中ヘイトや差別言説がとびかっています。人間のいのちが、不平等に扱われているのです。 緊急事態名目での権力集中・人権制限は、パンデミック時の各国共通の特徴で、クローバル薬品ビジネスの便乗参入や、緊急事態対処の憲法改正までいいだす徒党も現れます。いのちより党利党略、私利私欲の輩たちが暗躍します。
こんな時に、「ワンヘルスOne Health」という言葉があります。「ヒトの健康を守るため動物や環境にも目を配って取り組もうという考え方です。人も動物も環境も同じように健康であることが大切だというわけです。公害や気候温暖化を思い起こせばわかりやすい」と説明されていますが、地球は一つという「ワンワールド」や、この国で流行る「ワンチーム」よりは、やや広く深いものです。すべてのいのちは、ヒトも動物も植物も、生態系のなかでつながり合っているという考え方です。東京大学の学術俯瞰講義の題目になり、厚生労働省もかかげています。ですが、気候変動の問題と同じです。スローガンよりも、いのちを守り救う実践が求められます。米国・イラン戦争の危機、イスラエル・パレスチナ問題、米国大統領予備選開始、イギリスのEU離脱、国内では桜を見る会、IRカジノ疑獄等国会審議が続きますが、「ワンヘルス」の時代に一番重要なのは、正確な事実と情報の公開です。3月まで新型肺炎が世界で広がっているようであれば、2020年は、本格的な「パンデミックの政治学」の出番となります。
[2020年2月のおすすめ] 名越健郎『秘密資金の戦後政党史ーー米露公文書に刻まれた「依存」の系譜』(新潮選書)は、戦後日本政治の深層に斬り込んだ力作です。自由民主党の創設時から始まる米国の反共工作資金供与、CIAの暗躍、日本共産党・日本社会党にルーマニア経由等で送られたソ連の秘密資金とKGBの役割ーー時事通信ワシントン支局長・モスクワ支局長から拓殖大学教授になった著者は、噂や憶測にもとづく類書とは違って、米国国立公文書館文書、旧ソ連秘密文書の資料ナンバーまで付して、東西冷戦時代の日本の政党政治が、米ソ代理戦争・情報戦でもあったことを説きます。インテリジェンスに関心のある方は、必読。you tube も1本。新聞・テレビではほとんど報じられないフランスの年金改革反対デモ。日本では、なぜ怒らないのか?
初出:加藤哲郎の「ネチズン・カレッジ』より許可を得て転載 http://netizen.html.xdomain.jp/home.html
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