◆2012.10.1 沖縄へのオスプレイ配備に始まる、憂鬱な新学期開始です。野田民主党内閣のこの二週間の「2030年代に原発ゼロ」の揺らぎぶりは、怖いもの見たさに一度パンドラの箱を開けてみたものの、その奥行きと闇にたじろぎ、ふたを閉め直して何も見なかったことにしようとする、こどもの心理に似ます。前日まで言われていた閣議決定はできず、財界とアメリカのクレームで「不断の検証と見直し」を要する「参考」の努力目標に後退したようです。それでも民主党は次の選挙の争点は原発ゼロをめざすか継続するかだと強弁して、何とか自民党と差異化し世論に顔を向けたようにとりつくろうとしていますが、もともと曖昧で矛盾だらけだった廃炉プロセス・再処理・最終廃棄物問題だけの問題ではありません。「新増設不可」といいながら、建設中だったからという理由で、青森県大間原発は早速工事再開なそうです。枝野経産相自身が明言です。この間の原発報道をリードするのは、やはり『中日新聞』『東京新聞』。9月16日付けで、「再稼働」の決定権を、政府は、新たに発足した、それも国会承認を経ていない原子力規制委員会に丸投げし、一方規制委員会の方は、安全基準作りは自分たちだが再稼働の判断は別問題と逃げて、グレイなままです。30日の記事「ぐらつく方針政府「原発ゼロ」 原子力団体 存続へ強気」は秀逸で、原子力村の中に群がる原子力関連団体20団体に質問状を送り政府方針の理解を聞くと、「原発ゼロは政府決定ではない」3団体を含め、ほとんどが存続・生き残りに自信を持っているそうです。つまり原子力村の内臓には、野田内閣の切れ味鈍いメスは、ちっとも届いていないようです。
◆もう一つのパンドラは、長期の外交・安全保障と関わり、より深刻。日本語でいう尖閣列島の国有化を、こちらはあっさりと閣議決定。すると中国から猛然たる抗議と反撃で、大使館へのデモから日系企業への焼き討ち・破壊暴動、日中国交回復40周年の経済文化交流まで中止・延期という深刻な事態です。もともと「領土問題は存在しない」「固有の日本の領土」は、北方領土や竹島もそうですが、国際社会では通用しない内向けの話です。日中国交回復そのものが、中ソ対立、ベトナム戦争、中国文化大革命という時代の産物でしたから、そこですべての問題が定まっていたはずもありません。日本側はサンフランシスコ講和と日米安保、沖縄返還で日本の領有権は明白といいますが、中国側は当然第二次世界大戦の戦後処理、カイロ宣言・ポツダム宣言を出してきます。無論、台湾問題、日台関係も関わります。それではと日清戦争時の1895年以来の実効支配を出すと、中国側は待ってましたとばかりに中国語釣魚島の古代以来の漢籍・地図と帝国主義・植民地問題を持ち出します。日本のテレビや新聞では日本圧倒的有利のような話になってますが、国連総会での日本の首相・外相演説の際の閑散とした議場、なぜか日本の報道では出てこない国際連合発足の事情(United Nationsの敵国としての日本、ドイツ、それ故の安全保障理事会常任理事国構成)を想起すれば、国際社会における日本政府の主張の弱さは歴然です。中国側がよく持ち出す日本側資料、故井上清京大教授の研究(「尖閣列島―釣魚諸島の史的解明」第三書館 1996年)さえ知らない第一線記者が多いようです。すでに国連から英字有力紙での意見広告まで、さしあたり実効支配ができない中国側の情報戦になっていますが、これもパンドラの箱の開け方の問題。名誉ある花道を目前にした胡錦濤主席の顔に泥をぬる立ち話二日後、9月半ばでの国有化閣議決定は、明らかに最悪のタイミング。中国の9月18日が何の日で、10月1日国慶節の時期まで、中国の人々の日本への関心がどこにあるかは、例えば8月6日前後にどこかの国が原爆実験をすれば日本でどんな反応がおこるか、こどもでも想像できることです。「国有化」が社会主義を建て前とする中国で何を意味するか、外務省にはわからなかったのでしょうか。1950−60年代に「国有化 Nationalization」といえば、それはマルクス主義で言う経済的社会構成体・所有論のレベルの大問題で、その国家的決定は、まさに劇的な政策変更なのです。
◆とはいえこんな領土問題での情報戦は、もちろん文化戦・言説戦で、中国のハードパワー(軍事力・経済力)が大きくなったからこそ効果的になった、ソフトパワー(言説力・文化力)です。日本のソフトパワーは、もともと弱かった上に、日中国交回復時なら誇ることができた経済的パワーが格段に弱くなっていますから、国連のような場での説得力は、比べるべくもありません。本サイトは、矢吹晋さんとの共著『劉暁波と中国民主化の行方』や私の矢吹『チャイメリカ』(花伝社)書評で、日中国交交渉時の田中角栄「迷惑」発言問題からの全体的流れをトレースしてきました。この「棚上げ」への歴史的理解を抜きに、つまり日本が米軍占領からサンフランシスコ講和、沖縄返還にいたるまでと同じ時間だけ激動した中国と中国民衆の歴史についての理解を抜きに、「日本史」という閉じられた空間での「領土」の自己理解を世界に対してつぶやいても、ほとんど伝わりません。「領土」という、かつての「国家の3要素=主権・領土・国民」の一つを持ち出してその絶対性を主張しても、「国民国家の相対化」は、20世紀後半にはグローバリズムと一対で常識化してきたものです。そのうえ「国家の3要素」というドイツ国法学的国家概念はとっくに賞味期限が切れて、1933年のモンテビデオ条約以降「他の国家の承認」を加えるのが当たり前でしょう。政治学でも国際法でもいろいろ議論はありますが、「主権」や「領土」の概念自体、世界史的展開があります。1945年の第二次世界大戦終結と国連等国際機関の増大、1989年の冷戦崩壊・ソ連解体とその後のグローバライゼーションが大きな節目で、中国側はその間幾度も「領土」紛争を抱え、主張し、時に武力を行使してきました。「領土問題は存在しない」という国内向け虚構の繰り返しは、世界史の流れに、乗り遅れている可能性があるのです。先日NHKテレビの尖閣報道を見ていてびっくりしました。中国側の主張のスポークスマンとして、北京大学国際関係学院の梁雲祥教授が登場してコメントしていました。どこかで見た顔だと思い出したら、何と本サイトの目玉の一つ「学術論文データベース」の第一論文『華人地域における市民社会の形成と民主化』日本語インターネット版の中国側代表者で、かつてアジアにおける「市民社会」概念の共同研究をしてきた、あの梁雲祥さんではありませんか。「学術論文データベース」の私の論文と梁雲祥論文を読んでいただけばわかりますが、西欧起源の「市民社会」概念がアジアに広がるに際して、同じ漢字の「市民社会」の理解そのものが、日本と中国では違っているのです。10年ほど前の共同研究でしたが、北京のホテルのそばの酒場で、日本語・英語・中国語チャンポンで4人で議論し、けっきょく無理に統一せず、私の「日本における『市民社会』概念の受容と展開」と梁雲祥(北京大学国際関係学院)さん「序章 市民社会と民主化の概念及び理論」を両論併記することにしたのを思い出しました。「国有化」や「領土」でも、ありうることです。
◆ですからパンドラの箱を開けてしまったからには、世界史の展開に即して、現時点で「原発」や「領土」を見直すことが必要です。毎日新聞社で発売中の10月8日号『エコノミスト増刊 戦後世界史』がお勧め。石見徹さんの総論、下斗米伸夫さんの「社会主義」の総括、川島真さんの中国論などが、2012年時点から「現代」を見直しています。実は私も、加藤哲郎「原爆と原発から見直す現代史」という、本サイトで3・11以降展開してきた視点からの「原子力の世界史・日本史」を寄稿しています。その目玉の一つが、1954年3月21日『読売新聞』夕刊トップです。ビキニ水爆実験で被爆した第5福竜丸乗組員のケロイド写真と「原子力を平和に、モルモットにはなりたくない」という見出しを掲げました。本文には「恐ろしいものは用いようで、すばらしいものの同義語になる。その方への道を開いて、われわれも原子力時代に踏み出すときが来たのだ」とあります。「死の灰」の恐怖が強まれば強まるほど、「原子力の平和利用」が希求されるというメッセージです。なお、つい最近本になった『朝日新聞』夕刊連載、上丸洋一『原発とメディアーー新聞ジャーナリズム2度目の敗北』(朝日新聞出版)にも、この『読売新聞』3月21日夕刊の写真・記事が出てきます(もともと佐野真一さん『巨怪伝』が写真抜きで注目しました)。すぐれた検証ですが、「第五福竜丸より『平和利用』に目を向けよーーそれが読売新聞の主張だった」「正力は『原子力』というシンボルと、本来、公器であるはずの読売新聞を、自らの利益(政治力)の増大のために最大限利用した」とコメントしているのは、感心しません。なぜなら「原爆反対、平和利用=原発歓迎」はこの頃『朝日』『毎日』『読売』に共通する論調であり、この写真の前日3月20日の『朝日新聞』こども欄には「ものすごい『原子力』の話、4発で日本中ヤケド、平和への利用こそ大切」とあります。『毎日新聞』も3月13日社説「原子力研究に期待する」で中曽根原子力予算を歓迎し、同日「日常生活に入った原子力、英で3年後に発電所、暖房装置も夢ではない、石炭が大量に節約」の記事、少年少女欄には「原子力機関車」の夢 で紙面を飾っていました。まだ正力CIAに私物化されていない、54年前半の『読売新聞』は、3大中央紙の原子力論調の中では、科学者の話をよく聞きむしろ控えめで、3月16日のビキニ水爆第5福竜丸「死の灰」被爆の『読売』報道は、この時期の画期的なスクープでした。
◆この1954年3月が、フクシマ原発事故後に振り返れば、日本の「原子力の平和利用」の分岐点でした。ヒロシマ、ナガサキに続き、ビキニ環礁で日本人は三度原爆被害を受けた。だからこそ、「原爆反対、平和利用を」という観念が、アメリカCIAの工作でも、読売新聞正力松太郎の宣伝によってでもなく、当時の学者・革新勢力を含む一般的反応としてすでに存在しました。ちょうど2週間ほど前に突如国会に上程された改進党中曽根康弘の原子力予算採択、日本学術会議内での「平和利用」3原則の条件付け承認を後押しすることになりました、つまり、占領期から広く存在した原子力の夢とあこがれは、1952年8月6日の『アサヒグラフ』被爆写真特集によっても、第5福竜丸被爆によってもくつがえされることはなく、むしろ「原水爆禁止」を強く叫べば叫ぶほど、「原子力の平和利用」「原子力発電実用化」へのあこがれが強まる心理的機制をうみました。ヒロシマ・ナガサキ体験の不徹底であり、日本近代化過程での原子力への両義性を象徴しています。54年3月におおむね方向性が定まり定着する「原爆反対・原発歓迎」は、1954−55年の学術会議・国会論議でも、その後の原子力基本法制定、原子力委員会発足の法的・制度的枠組み形成でも、杉並の主婦たちが始める原水禁運動でも、当時の社会党・共産党・総評の平和・産業政策の中でも、基本的に貫かれます。アメリカ諜報機関は、それを「日本人は平和利用に熱狂している」と本国に報告します。ですから原子力基本法の3原則には1978年改正まで「安全」は入らず、フクシマ後に手直しされて「安全保障」が入っても、「原子力利用を促進する」目的そのものは、1955年末正力・中曽根立法時と同じです。「原発ゼロ」のためには、アメリカの干渉を排除するだけでは十分でありません。日本国民の多数が、「経済成長のための原子力平和利用」という思考から決別し、脱原発基本法を制定する必要がある、ということです。
◆ちょうど野田内閣改造が決まりました。この陣容では、「領土」も「原発」も、歴史をしっかり踏まえて国際社会に発信していくのは難しいでしょう。かといって安倍晋三総裁・石破茂幹事長の自民党では、維新の会との共通政策「日本国憲法改正」の方向に、歴史を逆向き・内向きにすすめるのがオチでしょう。日本政治の停滞は深刻です。「ちかいうちに」民意を問う選挙は避けられないでしょうが、東アジアを前向きにまとめ、「原発ゼロ」を世界に広める方向での政党再編は、当面なさそうです。四半世紀前のバブル経済の頃に、自民党政治はアメリカ一辺倒で、アメリカ以外の国々から「経済一流、政治は三流」「国際機関でのアメリカのもう一票」と揶揄されました。それから20年、「政治も経済も一流」の大国になることはできず、「経済も政治も三流」とランクづけられそうです。孫崎亨さん『戦後史の正体』が読まれているようです。日本人の老若男女が、世界史のなかでの自国の来歴を、自分の頭で見直すべきでしょう。昨年10月早稲田大学20世紀メディア研究所公開研究会報告は、『東京新聞』10月25日「メディア観望」、『毎日新聞』11月2日「ことばの周辺」でもとりあげられ好評でしたが、本サイトでは「占領下日本の『原子力』イメージーーヒロシマからフクシマへの助走」のデータベースにしてあります。それをもとに書いた論文が、『インテリジェンス』誌第12号の加藤「占領下日本の情報宇宙と『原爆』『原子力』ーープランゲ文庫のもうひとつの読み方」(文生書院)に、その要約版が歴史学研究会編『震災・核災害の時代と歴史学』(青木書店)に「占領下日本の『原子力』イメージーー原爆と原発にあこがれた両義的心性」と題して、それぞれ公刊されています。そこで話題になった私の発見、占領期の広島「アトム製薬」の売り出した「ピカドン」という薬の秘密を、こうした問題解明をリードする『東京新聞』『中日新聞』特報部の皆さんが現地で追跡調査し、先日9月25日の特集「日米同盟と原発」に、「ピカドンで、頭痛忘れて玉の汗」という広告文と共に記事にしてくれました。これぞジャーナリストの仕事です。今年も9月29日(土)午後、早稲田大学20世紀メディア研究所第70回公開研究会で、「日本の原発導入と中曽根康弘の役割 1954-56――米軍監視記録Nakasone Fileから」と題して、1950年代についての私の研究の一端を、NPO法人インテリジェンス研究所設立記念講演を兼ねて公開報告しましたが、ぜひ真実を解明するジャーナリストの皆さんにしっかり裏付け取材をしていただき、歴史の見直しへの刺激になってほしいものです。図書館の書評欄に、『図書新聞』9月1日号掲載矢吹晋『チャイメリカ』(花伝社)と共に、「日本マルクス主義はなぜ『原子力』にあこがれたのか」DBと直接関係する武谷三男批判の名著、廣重徹『戦後日本の科学運動』(こぶし文庫)を論じた「『原子力村』生成の歴史的根拠を曝く」という短文を入れました。同書復刻版に挟み込まれた『場』43号(2012年9月)という栞への寄稿で、廣重夫人三木壽子さんと一緒です。「原発ゼロ」への歴史的検討では逸することのできない本ですので、ぜひご参照ください。
「加藤哲郎のネチズンカレッジ」から許可を得て転載 http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/