ヒマラヤを越えてネパールに向かう中国をどうみるか

―八ヶ岳山麓から(69)―

中国共産党「人民日報」の国際情報紙「環球時報」(2013・5・8)は、イギリスBBC(「英国広播公司」)の記事「インドが、中国のネパールへの影響力を心配するのはなぜか」を転載した。強硬な対外姿勢が持論の新聞がこんな見出しの外電を転載するのは、中国がみずからの急激なネパール進出を外国にどのように見られているか気にしているからである。

同記事は、この数年のあいだに、ネパールの学校に中国語学習が入り、町に中国語の私塾がいくつも生まれたことや、中国語を学習すれば仕事が得られるという教師のことばを伝えている。中国人は10億をこえるから、その1%がネパール観光に来るとしても、中国語をものにすれば観光ガイドなど、中国人相手の仕事のチャンスがあるというのだ。
同記事に登場したネパール人ジャーナリストは、「いままでだとネパールのエリート階層はインドへ行って勉強したものだが、間もなくネパールには北京・上海で教育をうけた指導者が生まれ、インドの大学から指導者が出ることはないだろう」という。
これはおおげさすぎる。ネパールは今日まで政治的経済的にインドの圧倒的な影響を受け、人的つながりも強固である。ネパールとインドとは人の行き来が自由で、国境両側の多くはヒンドゥー教徒である。インドがネパールにおける地位を急速に失うことは考えられない。

たしかに中国の影響力は強まっている。「日本ネパール協会」サイト(2012・1・14)によると、2012年1月ネパール政府は東部のラスワ郡(チベット国境)に物流ターミナルを建設するために土地取得を始めると発表した。完成すればラスワとチベット自治区のケルンは「シャフルベシ―ラスワガリ道路」で連結される。
すでに中国政府からの無償援助159億ルピーで16キロの道路は完成しているという。背景には現在カトマンズータトパニ(コダリ道路)線で、毎日300台の過積載の大型トラックが中国から物資を運んでいるという過密状態がある。新しくネパール東部とチベットを結ぶルートが完成すれば、中国からの物流は急増する。

中国の影響力は、ネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)が優勢になってから強まった。マオイストは貧農出身の教師P.K.ダハール議長(内戦時プラチャンダと呼ばれた。前稿でプラチャンドとしたのはまちがい)を指導者として、2006年まで11年王政打倒の内戦を戦った。人口3000万のネパールで1万3000の犠牲を出す悲惨な戦争であった。
彼らが農民の支持を得て政治的に優位に立つまで、中国共産党は彼らが毛沢東主義を名乗るのを迷惑がったが、王政が打倒され共和制発足の段取りが明らかになるとマオイストに急接近した。
2007年に公布された暫定憲法のもとで行われた2008年の制憲議会選挙でマオイストが第一党になり、P.K.ダハールは共和制発足とともに首相に選出された。魚心あれば水心で、彼の最初の外国訪問はインドではなく中国だった。
にもかかわらず、マオイストは安定した政治勢力となれず、政権は3度交代した。マオイストは国会で安定多数を得られなかったうえ、武装勢力のネパール国軍への統合問題や、幹部の身びいきその他の問題で軍上層と他党から十分な信頼をかちとれないのである。2013年3月主な4政党は、混迷状態から抜け出すため、6月21日までに制憲議会再選挙を実施することで合意した。それまでは最高裁判所長官を首班とする選挙管理内閣でいくという。

そうはいっても、P.K.ダハール率いるマオイスト集団が強い影響力を持っていることにまちがいない。そしてP.K.ダハールを通して中国の影響力が示されたのはルンビニの開発である。
ルンビニは、シャカ生誕の地とされるところで、仏教の八大聖地のひとつである(シャカの他の七つの聖地はすべてインドにある)。もともとは、インドとの国境に近いタライ平野の小さな村であった。ルンビニ開発は1960年代国連のウ・タント事務総長の発案にはじまり、シャカ生誕地の周囲を聖地公園として整備する「ルンビニ釈尊生誕地聖域計画」が立案され、1978年には丹下健三がマスタープランを設計した。国連はルンビニ開発委員会を発足させ、ネパール政府は広大な土地をムスリム農民から収用し開発にそなえた。

1997年ルンビニはユネスコの世界文化遺産に登録された。主なものはネパール政府が建てたマーヤー・デヴィー(シャカの母マヤ夫人)寺院やアショーカ王関連の遺跡である。いま、日本、仏教徒の多い東南アジア諸国、フランス、ドイツなどなどの仏教寺院や研究機関の施設がある。
21世紀に入ってネパール政府が国際平和都市ルンビニを宣言するに及んで、韓国は空港建設などに200万ドルを提供した。のち香港の中国系NGO「アジア太平洋相互協力基金」が多額の資金を支出して、観光施設などルンビニ開発をおこなうことを表明した。
2011年、P.K.ダハール議長はニューヨークに赴き、国連のパン・ギムン事務総長に国際平和センターにするためとしてルンビニ開発への支援を要請した。このときの彼の談話は「ゴータマ・ブッダは、平和のシンボルとして世界中で尊敬されている。我々は、地球上のあらゆる紛争を解決するためのセンターとして、ルンビニを開発したいと願っている」というものである。

ところがユネスコ世界遺産センターは、中国系NGOによるルンビニ開発計画に懸念を示した。ネパール国内でも中国の影響が強まるのを警戒する親インド派の人々の反発があり、貧困家庭の出身とはいえヒンドゥ・ハイカーストのP.K.ダハール議長主導のルンビニ開発に反対する人々のデモが起きているし、仏教の政治利用を懸念するネパール仏教界からは、強い警戒の念をもって見られている(ネパールの仏教徒はカトマンドゥ盆地のネワール人やヒマラヤ山岳部族、さらに亡命チベット人など)。
だが、すでにP.K.ダハール議長は中国政府とルンビニ周辺の開発投資について協定を結んだという。ダハール議長主導・中国の援助によるルンビニ開発事業の目玉は、ラサからの鉄道、国際空港、115メートルという巨大な仏像、五つ星ホテル、国際仏教大学である。

中国からの期待にこたえる形で、あるいは援助を引出す目的で、マオイストは、「ネパールは中国の国家主権、国民統一と領域統合への努力を強く支持し、いかなる勢力にもネパールの領内を反中国活動や分離運動のために利用させることはない」と言明している。これはネパールにいる亡命チベット人を従前よりも厳しく取締ることを意味する。中国の援助による国土開発と、亡命チベット人の監視・逮捕とは関連しているという見方が有力である。

先の「環球時報」が転載したイギリス・メディアの記事に戻ろう。
これによると、現在中国のネパールに対する投資総額はインドにはるかに及ばないが、インド政府筋は中国はまもなくインドに追いつくと見ている。中国はネパールと2012年16億米ドル(約98.46億人民元)の水力発電所建設に関する開発プロジェクトを締結した。このほか、中国の企業は別な水力発電所の建設にも参加している。
また同記事は、中国はネパールを南アジア向け物流の中心にしたがっていると判断している。そうならばチベット鉄道をラサからカトマンドゥ、カトマンドゥからルンビニまで延長することなどは当然計画に入るが、とりあえずは道路建設である。中国はヒマラヤをめぐる自動車道路網を建設しているし、ネパール国内の高速道路の建設も援助している。同記事は、ヒマラヤはもはや中国とネパールの障壁ではなくなった、とみている。

こうした中国のネパールに対する政治的経済的影響は、インド・ネパールの関係に微妙な影を落としつつある。とりわけルンビニ開発は、国境近くということもあってインドが神経質になるのは当然である。
もちろん、ネパールの国土開発競争で、インドは「善」で中国は「悪」のように受け取るのは適切ではない。中国の投資と援助は、インドの従来のそれよりもネパールにとって適切で受入れやすいものなのかもしれないし、インドからのネパールの経済的自立をもたらすかもしれないのだから。
(ネパール国内事情は、広島大学別所裕介助教のご教示による)

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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