南米のベネズエラでは、現在は超(スーパー)インフレーションが惹起されていて国民大衆が生活苦に陥っていることは、2~3ヵ月前のメディア情報によって知っていた。5月2日のテレビの民間放送でも、その点が放映されていた。現在のベネズエラの大統領マドゥーロ氏側の治安部隊と反政権派のリーダーとして米国トランプ政権が送りこんでいるグァイド国会議長側にたつデモ隊側との対立がはげしく衝突し死者も出ている模様である。私はベネズエラ経済の構造や情勢については詳しくは知らないが、マドゥーロ氏がかつて社会主義者であったチャベス大統領の後継者であること、同国は石油生産量は豊富であって資源に恵まれた国であることだけは知っており、これによって多分に不可思議に思われる点も少なからずあるが、私は30~40年前にはインフレーションについて勉強していたので、私なりの見地からベネズエラ国民のために処方箋を提示してみたい。
まずベネズエラという国が資本主義国か社会主義国かという問題からいえば、まぎれもなく国有企業が多いとはいえ資本主義国であるといえよう。同国の前大統領であったチャベス氏が社会主義者であり、同氏は1917年のロシア革命でボルシェビキ党を率いて立ち上がったレーニンを尊敬しレーニンの著作をよく読んでいたとはいわれているが、しかしベネズエラを社会主義国にすることは出来なかったといえるだろう。後継者となったマドゥーロ大統領もさまざまに経済改革をなしとげようとしたが、同じく社会主義国にすることはできなかったといえるであろう。その証拠が今回における230万倍以上の超インフレーションの発生であろう。このように超インフレが発生した歴史上の事例があるのかといえば、その似たような事例は、第1次大戦後(1923年)にドイツで発生した物価が一兆倍になったといわれる超インフレーション(後にレンテン・マルクの発行・引きかえによって終息するのでレンテン・マルクの奇蹟と呼ばれた)があげられるであろう。このときは、敗戦後のドイツでの生産物の生産が円滑に行われず、物不足に陥っていたのでドイツの連邦銀行(=中央銀行)による不換紙幣の発行が大量に行われ、その結果一時的に大規模な物価高騰が生じたのである。その外に、近年アフリカのある国で超インフレが発生した事実は知っているが、詳しくは知らない。
マルクスの『資本論』では、貨幣流通の法則という問題が説かれているが、それは、金貨が流通する金本位制の社会では、金(貨幣)の流通は、実体経済を現わす、総商品の価格総額を貨幣の流通速度で割った額だけの分量によって制約されて商品流通に入っていくと指摘したものである。この数量を流通必要貨幣(金)量と呼ぶ。仮に金貨がこの流通必要貨幣量の水準よりも過剰に供給されるとすれば、金貨の価値が低下するので、金貨の一部は鋳潰されこの水準に照応するまで減少させられるのだが仮に政府によって発行される政府紙幣のような不換紙幣が流通必要貨幣量の水準よりも過剰に発行、供給されるとするなら紙幣数量説によって商品価格の上昇=インフレーションが発生すると捉えられるのである。
19世紀に金本位制が成立した資本主義国(イギリス)では、貨幣というのは中央銀行に金準備に基づいて発行される信用紙幣としての兌換銀行券とこれを基軸とする預金貨幣(商業銀行預金=総貨幣量の約7割)であった。だが20世紀30年代初頭からは管理通貨制が成立し中央銀行が発行する銀行券は金債務證券ではなく、外貨債務証券として不換銀行券となった。かつては日本でも信用理論の学会でこの不換銀行券は、古い時代に発行されていた政府紙幣と同一のものか否かという論争が行われていた時代もあった(不換銀行券論争)。だが私は同一のものではないと思う。それは中央銀行が発行する不換銀行券には、信用貨幣として還流の原理があるためである。それは、貸出によって発行されるかぎり返済によって還流するし、また流通必要金量以上に発行されれば預金(定期性)によって還流するし、また中央銀行が外貨と不換銀行券を兌換することによって銀行券発行をへらすこともありうる。したがって不換銀行券の過剰流通によってインフレが生ずることはありえないのである。
だが今日のベネズエラでは、-信用制度がどのような形態をとっているのか今ひとつ明らかではないが-、政府紙幣が過剰に発行されているのではなく、不換銀行券の過剰が生じているとしか考えられないのだが、物価が100万倍を超えているため人々は大量のお札をトランクに入れて買物にでかけている等といった馬鹿げたことがなぜ生ずるのだろうか。それは物価が上がっても、生産物の生産が増えないという一点にかかっていると感じられる。
ベネズエラ問題を考える度に、私は第2次世界大戦中に経験した物資の統制経済=配給制度を思いだす。物資の配給制度がいつ頃から生じたかは記憶に定かではない。だが確か米英仏との戦争=太平洋戦争を開始した昭和16年の暮れの前後にははじまったのではなかろうか。米、小麦粉、野菜、魚、酒、等々の食品や衣類、木炭、雑貨等々はお金だけでは買えなくなり、お金に配給券をそえて手渡さなければ、手に入らなくなった。当初の頃は、必ずしもこの点がスムーズに行われず世間の評判もそれ程よくなかったが、戦時体制が進展するにつれ、ぜいたくは言っていられなくなった。とくに昭和19年暮から米国の爆撃機B29が日本本土を空爆するようになるようになるにつれ、配給制度は強められていった気がする。当時私は中学校2年生ではあったが学徒の勤労動員体制によって、三鷹の中島飛行機工場に通い、日本の航空機の部品を生産していた(その後、三鷹工場は空襲で壊滅したため昭和20年春からは八王子工場に勤務先が移行した)。その後東京では3月10日の大空襲、5月25日の大空襲を受けることになるのであるが、当時から工場では昼には昼食として握りめしが1人2個ずつ無料で支給されるようになった。私達学徒は2個の握りめしの配給を受けながら一方では生産活動に従事し、他方では米軍の本土上陸に備える訓練を受けながら、それでも毎日生き生きと暮らしていた。不思議ではあるが友人との友情はきわめて厚く、戦後になってからの冷淡になった友人関係をはるかに凌ぐものであった。不思議ではあるが戦時中の実物経済のもとでの社会の方が社会主義に近い共同体主義に依存するものであったと、いえるのかもしれない。
こうした体験を経てきた私が、現在のベネズエラ政府当局者にいいたいことは、第1には生産物の生産、および石油等の輸出によって獲得した外貨によって輸入できる生産物をできるだけ増大させ、この生産物を国民に配給するようにすること、そのさい不換銀行券のような不換紙幣は廃止し、貨幣の代わりに労働時間をあらわす労働証券を発行し、労働者の労働に対する対価とすること、そして生産物の価格(商品の価格形態ではなく-一部の学者によって商品の価格は貨幣の価値尺度機能によって付与される金重量と考えられているが)については、これを生産した労働時間で表示するようにすること、等である。ここで後半に労働時間を重視したのは、古典派経済学からマルクス経済学にいたる所説の労働価値説から学んだものであるが、周知のようにマルクスの学説では資本主義社会のみを解明の対象としているため商品の交換によって商品価値の実体が労働であると論証したのみで社会主義については触れていないが、私は社会主義においても労働は重要であると考えているためである。(因みにソ連型社会主義体制では価格は、労働によって現わされたものではなかった。私はこの点はきわめて残念に思っている)。
また現在のベネズエラにおいては、世界的な石油価格の下落によって貿易収入が減退し、そのために外貨の取得が減少し国民生活の困難がもたらされているともいわれているが、日本ではそれ程石油価格の下落は問題とされていないようである。
ベネズエラの超インフレーションは単に国民生活を困難ならしめているだけではない。今日では、冒頭に述べたように深刻な政治問題化をひき起こし軍事的緊張も高まっている。米国が反体制派の政治家を支援し、反米色の強い現在のマドゥーロ大統領の政権を崩壊させようとしているのに対し、ロシア、中国の首脳は後者を支援し、米国と対決しようとしている。ここから世界的規模の戦争が発生することのないよう祈るばかりである。
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