――八ヶ岳山麓から(56)――
21世紀に入ってしばららくしてから、中国には儒教の徳目をもちだす評論や論文が多くなった。前稿でさる対日強硬論者が、「中国には『自由・民主・平等』を超越した価値観がある。『礼』は『自由』を超越し、『仁』『義』は『平等』にまさる」となどとわけのわからぬ主張をしたことに触れた。この人物に限ったことではない。いまや、儒教は社会主義と融合できるという毛沢東主義者や、儒教共和国を説くものまで現れた。
21世紀の現在、なぜ儒教なのか。答は簡単、中国共産党の指導部が孔子を担ぎ出したからである。
儒教の祖孔子は紀元前6世紀春秋時代末ごろの人らしい。戦国時代に至ってその言行録がまとまり、「論語」と呼ばれるようになった。漢帝国は諸子百家のうちから孔子を選んで儒教を国教とした。儒家は秩序を最も重視するからである。以後清帝国に至るまで2000年間、歴代支配者が権力を維持し秩序を保つため、儒教思想は国教とされてきた。
辛亥革命で清帝国が終わり中華民国をむかえると国是の哲学はなくなった。1919年の「五四運動(日本の対華21か条要求を機に生まれた大衆的な対日抗議運動、またそれに伴っておきた新文化運動)」の思想的指導者らは、儒教を中国人民を束縛してきたものとして、きびしく批判した。
1949中国共産党が中国大陸を制圧すると様子は一変し、マルクス・レーニン主義と毛沢東思想が新たな国教として登場し、それ以外の思想は禁圧された。とくに文化大革命期には孔子の思想は封建主義としてその「におい」すら糾弾された。
文革を否定した鄧小平時代に至って、「改革開放」政策が登場し市場経済が滲透するにともなって、党官僚の国有財産の私物化・汚職が広がり、既得権益層が生まれた。農村は都市に比べて依然として貧しく、工業化に伴う水・空気の汚染が深刻化し、経済改革による失業は常態化した。当然生活の不安と不満を感じる人々が現れる。
鄧小平は「(中国)社会主義の四つの原則(社会主義の道、プロレタリアート独裁、中国共産党の指導、マルクス・レーニン主義と毛沢東思想)」を提唱して社会主義への信頼が揺らぐのを防ごうとした。だが、動揺は1989年の天安門事件となってあらわれ、1991年のソ連東欧の崩壊によって一層深刻になった。それでも中共中央は民主化を断固拒んで自由な思想の発展を拒否し続けた。
学校ではもちろん国是の哲学を教える。だが私が中国で教えた学生たちの中でマルクス経済学や唯物弁証法、毛沢東の『矛盾論』などをよく知るものはわずかだった。彼らはそれを試験までの知識とし、さらに唯物史観を否定して「社会主義のあとには資本主義が来る、現実はそうなっているじゃないか」といった。
中国人の中から、マルクス・レーニン主義と毛沢東思想への信頼が消えかかり、さらにテレビで毎日放映される抗日ドラマに飽きたころ、キリスト教や仏教への信仰が広まった。無許可の教会が当局の手で壊されたり、地下教会が摘発される事件がしばしば起こった。チベット仏教を信仰する漢人が生まれた。イスラム教も熱を帯びた。
江沢民のすさまじい弾圧を受けた「法輪功」や、昨年末に世界終末論を広めたとして1000人以上が拘束された「全能神」などの新興宗教も信頼の危機の中で生まれた。2010年に民主党内閣が尖閣諸島問題の処理を誤り、さらに2012年これを国有化したことは、抗日戦争を建国神話とする中共が愛国を強調して民衆を引き付ける絶好の機会になった。
マルクス主義が衰えた典型例は中国の経済学界である。
ソ連流の社会主義経済学が無力以上に有害だったことがわかったうえに、改革開放の進展に伴い近代経済学者が政府顧問として採用されるようになったからである。1980年代の終りから90年代にかけては開発独裁論が導入され、現在では中国経済体制改革研究会などブレーントラストは、効率を重視する新自由主義経済学者が主流を占めている。
もちろん経済格差が拡大したいま、政府は市場至上主義にばかり傾いてはいられない。総書記習近平氏も、公平を重視する「新左派(毛沢東主義派)」の議論をある程度は聞かざるを得ないだろう。だが大方は土台が市場経済である以上、近代経済学が主流となりマルクス経済学が消えるのは必然だと見る。
私は国家独占資本主義が成立したいまこそ、マルクス経済学者による中国経済の分析が行われてしかるべきだと思う。だがそれらしいものは現れない。マルクスに頼れば現状を批判することになり、現状を肯定すればマルクスを敬遠せざるを得ないからだ。
ここに至って中共中央としては、従来のお題目にかわる国家イデオロギーがどうしても必要になった。探しあてたのが儒教である。胡錦濤政権になってから政治スローガンに徳目が目立つようになった。胡錦濤総書記は国民に「八栄八恥(八つの栄誉・八つの恥辱」を説教した。「和諧(調和ある)社会」が唱えられ「以徳治国」の宣伝が強まった。
2004年中国政府は孔子学院を設立した。漢語や中国文化を広めるとして外国の大学と提携して海外にも進出した。2010年現在、世界中に孔子学院は280、日本にも10数校ある。
2005年9月中国政府は孔子生誕祭を孔子の故郷山東省曲阜で行った。
2010年には政府肝いりの映画「孔子」が作られた。
2011年1月北京天安門広場に面する国家歴史博物館の北口に10メートル近い孔子像を建てた。これにはさすがに批判が多かったとみえて、像はまもなく目立たない博物館中庭に移された。
では中共中央はなぜ儒教をもちだしたのか。ねらいは2005年立命館大学の孔子学院における当時の駐日大使王毅氏の発言でわかる。以下とびとびに引く。
儒教学説は広くて、深く、内容も豊富で、国家、社会、家庭、自然および人間に対する基本的な見方や要求をカバーしています。
「和」の根底は「仁」がある。民を本位とし、仁政を施すことを強調しています。中国昔の政治家は「老者は之を安んじ、友は之を信じ、少者は之を懐(なつ)けん」を、国を治める理想的な形としています。
もっとも儒教が最終的に追い求める目標は「仁」を中核とし、「徳」を基礎とし、「礼」を規範とし、「調和」を目指す理想的境地であります。www.ritsumei.ac.jp/mng/gl/koho/headline/…/oukitaisi.htm
「仁」は「人を愛すること」だが、ここにいう「人」は貴人のことで、「仁」は強い身分意識の産物だ(重沢俊郎『論語の散歩道』日中出版)。だから王毅氏がいう「仁政を施す」とは聖人君子が人民を支配すること、国家の命運を聖人君子に託するということである。現体制ではエリート(漢語で「精英」)すなわち中共高層が人民を指導することにほかならない。
もっとわかりやすい話がある。
2007年ころ中国には「論語ブーム」があった。中央テレビCCTVで古典講座があり、なかでも于丹北京師範大学教授の講義がとくに人気があった。私も中国滞在中人に勧められて見たことがあるが、そのときはつまらないと思っただけだった。
ところが畏友(というよりは先生)高島俊男氏は、于丹女史の大変な人気を知って講義録『于丹が論語から学んだこと(「于丹<論語>心得」)』を取りよせて読んだのである。氏によれば于丹の講義は江戸時代の心学道話によく似ているという(『お言葉ですが・別巻2』連合出版)。そのさわりを私の理解でいうとこうだ。
論語は「幸せになる法」を書いてある本だ。
「では幸せになるにはどうすればよいか。国家にも、社会にも、他人にも、何も求めない。あるがままに承認し信頼する。不平不満を持たない。要は心の持ちよう一つだ」
「最も恐るべきは国民が国家に対する信頼を失ったあとの崩壊と○散(タガが緩むこと。○はサンズイに「換」のつくり)です。物質的幸福は指標にすぎません。本当の安定と政権に対する承認は信頼から来るのです」
「幸せになる法の第一は政権に対する信頼(原文信仰)だ」
日本でも「熱い寒いは気の持ちしだい、寒中ドジョウは泥のなか……」というが、役人の特権や大金持をうらやんだり怒ったりしてはいけない。貧乏暮らしも我慢して、万事政府を信じていれば心安らかに暮らしてゆけるというのだ。
『于丹<論語>心得』がとんでもないベストセラーになり、日本円にして2億4000万円ほどを稼いだことは、中国の大衆がこの手の話を大喜びで受入れたことを示している。かくして「仁者は憂えず、智者は惑わず、勇者は惧れず」である。まことに中央政府にしてみれば孔子さまにお出ましを願ったかいがある。万歳三唱である。
社会主義中国からマルクスが去り、孔子が百年ぶりに歓迎される理由は以上のとおりである。
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