ミャンマー東北国境地帯は第二のクリミアか

――八ヶ岳山麓から(196)――

スー・チー女史の訪中と武装勢力
8月17〜21日、ミャンマーのスー・チー国家顧問兼外相が中国を初めて公式訪問した。一連のニュースの中に経済と外交のほか、ミャンマー内戦に関するものがあった。
「中国と国境を接するミャンマー北東部シャン州で国軍と戦闘を続けていた少数民族の3武装勢力が18日、共同声明を発表し停戦に応じる意向を明らかにした。3勢力は中国の影響下にあるとされ、アウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相の訪中に合わせ中国政府が停戦を働き掛けた可能性がある(共同2016・08・19)」
中国政府はミャンマー国内の武装勢力なるものに、どのようにして停戦を働きかけたのだろうか。事実ならばこれは内政干渉だが。

ミャンマーの少数民族
ミャンマーは長らく軍政が続いた。ようやく2015年末の総選挙でスー・チー女史率いる国民民主連盟 (NLD)が圧勝した。だが軍政時代の憲法の規定によってスー・チー女史は大統領になれず国家顧問兼外相となり、ティン・チョーが大統領となった。
この国は連邦制だが、それはビルマ人のほか多くの民族がいるからである。2014年センサスでは、総人口5142万人のうちビルマ族は68%、少数民族は3分の1近くもいる。シャン族が10%近く、それにカレン・ラカイン・華僑・モン・カチン・印僑などが続く。少数民族のなかには中央政府の権威を認めないものがあって、各地に武装割拠している。それも中央政府軍と戦うだけではなく、少数民族同士でも撃ち合うのである。
こうなった原因の一つは、植民地時代のイギリスの分割統治政策にある。イギリスはカレン、カチンなどの少数民族にキリスト教を布教して、ビルマ族を中心とする上座部仏教との対立を作り出し、カレン族を官吏、軍人、警官に採用してビルマ族の独立運動の弾圧に使った。このため民族間に不和が生じ、これが今日まで続いている。

東北国境の民族武装集団
冒頭の共同ニュースの「3武装勢力」とは、東北部シャン州・カヤ州・カレン州の、中国雲南との国境地帯の少数民族である。ここには国境の両側に同じ民族が生活している。カチン族は中国では景頻(チンポー)族、ワ族は佤族、コーカン族は果敢族と書き、これは漢族である。
彼らは1980年代までビルマ(赤旗)共産党の支配下にあった。1939年に結成されたビルマ共産党は、48年の独立後中央政府の弾圧を受け各地でゲリラ戦に入ったが、まもなく大河デルタ地帯の拠点を失ってシャン州に移り、少数民族を党に繰り込んで兵とし、ケシ栽培を財源として根拠地を築いた。
1960年代なかば中国に文化大革命が起ると、首都ラングーンでは華僑らが文革礼賛のデモを敢行した。ビルマ政府の文革派華僑への弾圧を見た中国は、共産ゲリラに対して武器・物資を援助し、紅衛兵を送り込んで中央政府をゆさぶった。これによってビルマ共産党ゲリラは中央政府軍よりも優秀な武器を持つようになった、文革が終わると同時に、中国から共産ゲリラへの援助はなくなった。
1987年の春、中央政府軍はシャン州の共産ゲリラに攻勢をかけ、中国国境に達して国境交易の重要拠点を奪った。資金源を失った共産ゲリラに内紛が生れた。コーカン族・ワ族などの少数民族の兵士と上層幹部の対立が激化し、1988年年1月指導部はすべて中国へ追放された。統一指揮部をなくしたゲリラは各地に割拠し現在に至っている。

中国色が濃い少数民族地域
現在、中国国境地域で中央政府軍と対峙しているのは、カレン族・カチン族・ワ族・コーカン族などの武装集団である。各民族地域に共通しているのは、第一に軍閥支配。1989年前後に共産党の漢人あるいは紅衛兵上がりの幹部がクーデターを起こして政権を得た。一応政府公認の「自治区」となっているが、中央に屈したわけではなく、独自の軍事力を持っている。
第二は漢文化の影響が濃いことで、公用語はほぼ漢語。簡体字を使用している。ミャンマー領漢人民衆は中国への帰属意識が強いうえに国境貿易をにぎっている。彼らは比較的自由に往来しており、雲南省地方政府との交流もある。
シャン州第一特区コーカン族自治区の場合を見てみよう。
同地区は中国歴代王朝が自治を認めたいわゆる土司支配地域であったが、1897年に清帝国から英印帝国ビルマ州に割譲されたという経緯をもつ。最近までの支配者は彭家声で、国民党軍の訓練を受けたのちに共産ゲリラに加わった人物である。共産党解体後は政府と和平交渉をして施政権を樹立した。
その後2009年にクーデターがおこるなど政権の異動があったらしいがはっきりしない。ネットで見るかぎり、現在の自治区主席は白所成である。コーカン族軍は2015年以来このたびのスー・チー女史の訪中まで、中央政府軍と激しく戦ってきた。
人口は13.1万人。84%を占める漢族と、その他8民族が居住する。ケシ栽培がさかんだったが、1989年中央政府と和平協定を結んでからは、国連と中央政府の尽力でサトウキビ・ゴム・茶などの換金作物へ転換しつつある。食料は米とトウモロコシが半々。食料の自給はできない(http://www.kokangnet.com/)。
(少数民族地域については顔伯鈞著『暗黒・中国からの脱出』(中公新書)に詳しい)

ミャンマーの中のクリミア
中国はこれまで、スー・チー女史を長い間軟禁した軍事政権と友好関係を結び、めざましい経済的進出を遂げてきた。かたやビルマの現スー・チー政権は、中国偏重だった軍事政権の経済・外交政策を見なおそうとしており、9月には国連とアメリカを訪問することになっている。
中国にとって最大の懸念は「ミッソン・ダム」建設の再開問題である。このダムは軍事政権が中国と合意したもので、イラワディ川上流の支流の合流地点、カチン族集中地に建設予定であった。すでに1万人が移住させられているが、2011年9月にテイン・セイン元大統領がカチン族住民の反対と環境保護を理由に計画を凍結した。完成すれば電力の9割は中国に送る予定だった。
李克強首相のダム建設再開の要求に、スー・チー女史はダム問題の調査委員会を設置したと意味深長な回答をした。両国は国境地帯を中心に経済協力強化を盛り込んだ文書に調印したが、内戦のゆくえ同様、ミッソン・ダム建設の是非は両国関係の将来を左右するだろう。
中国はこの20年間、ミャンマー経済に強い影響力を維持してきた。またミャンマーは「一帯一路」構想の「海上のシルクロード」の重要拠点だ。今年1月には中国のパイプラインが稼働し始めたばかりである。
ミャンマーにとっても中国は第一の貿易相手国で、国境貿易をやめることはできない。さらに中国国境地帯の少数民族との内戦を終結させるという重要課題を抱えている。
双方とも相手を敵に回したくはないから、ことは慎重に運ぶだろうが、中国はスー・チー政権の意向次第では、少数民族を道具として圧力を加えることができる。国境貿易を制限したり、少数民族軍に内密に援助をしたり、最悪の場合は、クリミアでロシアがやったように住民投票をやり独立宣言をさせるとか、あるいは民族紛争鎮圧のため軍事介入すると揺さぶることもできる。
スー・チー女史としては、中国との関係悪化を避けつつ、経済と外交の自立をはからなくてはならない。今まであまり報道されなかったが、ミャンマーの中国との国境地帯にはクリミア半島同様の危機が潜在しているのである。 (2016・08・31)

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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