2月4日、カイロ中心部のタハリール(解放)広場を埋めた数万人の反政権デモ。民主化への行動を「いま」起こすようムバラク大統領に迫るオバマ米大統領はじめ、国際的圧力がかつてなく強まる中、ムバラクは、なお居直りを続けている。2日には、秘密警察と警察や与党に雇われた暴徒集団にデモ隊を襲わせ、デモ参加者を恐怖に陥れ、混乱沈静を口実にして軍隊にデモを鎮圧させる、これまで何回もムバラクが使ってきた常套手段は、多数の死傷者を出したが、失敗した。デモの規模が巨大だったことと、流血の弾圧をさせまいとする国際世論の圧力が強く、軍が動かなかったためだろう。ムバラクは、このまま新たな鎮圧行動に出るのか、国営テレビで演説だけして居座るのか、それとも、辞任するのか。エジプト情勢は、依然、予断を許さない。
いずれにせよ、反政権デモに積極的参加し、影響力を増しているムスリム同胞団が、今後のエジプト情勢の一つの重要な鍵となることは、いまや誰もが予想している。
エジプトのムスリム同胞団は、思想、道徳、社会、政治、経済すべてにわたるイスラム主義に基づく変革運動だ。手段は穏健だが、ムバラク独裁政権を非妥協的に批判し、イスラエルのパレスチナ支配を非難し、パレスチナ人を支援する立場を堅持している。
1928年に結成されたムスリム同胞団の歴史にここでは触れないが、1952年の反英・反王制軍事革命の軍人たちに大きな影響力を与えた。その後、ナセル、サダト、ムバラク政権の独裁的、非民主的政治に強く反対、政権から弾圧されても、弾圧されても生き残り、イスラム信仰が深いエジプト国民に影響力を持ち続けた。1979年にアラブ諸国で初めてイスラエルと平和条約を結んだサダト大統領を、同胞団から離脱した過激派の「ジハード(聖戦)団」が暗殺。後継のムバラク大統領は、現在に至る非常事態を宣言、独裁的な権力を握った。
ムスリム同胞団は、脱退した過激派と決別したが、ムバラク政権は、過激派の「ジハード団」「イスラム団」壊滅作戦を全国的に展開するとともに、95年には、過激派を支援しているとの口実でムスリム同胞団そのものを非合法化した。
これに対して、ムスリム同胞団は、貧しい人々への福祉活動や、経済自由化による格差拡大、家族と初等教育の崩壊に抵抗する運動、ムバラク政権批判の強化で、貧しい人々だけでなく、中間層の学生、医師、弁護士、エンジニアらの間で支持を拡げた。そして2005年の国民議会選挙に、本格的に参加。非合法下のためムスリム同胞団を名乗れないまま、「イスラムこそ解決」を掲げて無所属で大挙、立候補した。米国からの圧力もあり、ムバラク政権は、半数以上の立候補者を認めたが、ムスリム同胞団が有力な選挙区では、今回の反政府デモに出てきたと同じ武装暴力集団を投票所に動員して投票所を囲み、投票に来る選挙民を、今回も振り回したのと同じこん棒やナイフで脅し、追い返した。それでも、投票を防げなくなると、投票所を閉鎖してしまった。だが開票の結果、ムスリム同胞団候補者が議会の4分の1の88議席を占めた。一部の独立系新聞は、もし投票所での暴力と開票集計の不正がなければ、同胞団系が半数以上を占めただろうと指摘していた。
このためムバラク政権は、昨年の国民議会選挙では、選挙法を改悪、立候補者に難しい推薦条件などをつけ、大半の同胞団系候補者が立候補できなくしたため、同胞団は選挙をボイコット。ムバラク政権は国民議会でも独裁体制を取り戻したところに、今回の大規模な反政権・民主化要求の巨大デモが起こったのだ。
(写真説明)
ラマダン(断食月)の間、毎日、カイロのいたるところで貧しい人々へ無料の夕食が供される。ムスリム同胞団系の慈善団体が主催することが多い。写真は高架道路下で開かれた夕食会。2007年10月、筆者撮影。
▽NYタイムズの分析に注目
エジプトのムスリム同胞団の真意は民主的政治体制に加わることなのか、テロやイスラエルとの武力闘争を続けるイスラム過激派とは本当に違うのか。欧米でも日本でもメディアの報道がにぎやかだが、2月4日のNYタイムズ紙電子版の報道「イスラム主義グループが台頭しているのに、その意図は不明確」は最も注目に値すると思った。さすがに米国政府と研究機関は、エジプトを良く調査、研究している。以下に、その要点を紹介するー。
1.ムスリム同胞団は、現実的な改革者と扇動的な理論家の両面を持っている。
1.しかし、ブルッキングズ研究所の老練なムスリム世界専門家、ブルース・リーデルは、米国はムスリム同胞団の役割を受け入れる以外の選択肢はない、といっている。「もしわれわれがエジプトに民主主義を本当に望んでいるのなら、ムスリム同胞団は、その絵の大きな部分になるだろう」「彼らを悪魔のように見なすのではなく、われわれはいま、彼らとの関わり合いをスタートしなければならない」とリーデルは語った。リーデルは、サダト暗殺、ムバラクが後継者になった1981年にCIAのエジプト担当官だった。(私は09年6月に本ブログで、オバマ政権のパキスタン危機政策作成の責任者となったリーデルの警告について紹介している)
1.アルカイダのナンバー2の指導者、アルザワヒリはムスリム同胞団にルーツがある。しかし、アルカイダの指導者たちは、同胞団が暴力を非難し、選挙で競うのを選んだことを軽蔑している。
1.カタールのブルッキングズ研究所ドーハ・センターの研究部長、シャディ・ハミドは「同胞団はアルカイダを憎み、アルカイダは同胞団を憎んでいる」「だから、われわれがテロ対策を論じるのならば、同胞団との関わり合いは、この地域におけるわれわれの利益に役立つだろう」と述べた。さらにハミドは、エジプトの多数世論を反映している、イスラエルに対する同胞団の深い敵意について、米国の政策に困難をもたらすだろうと述べた。また、同胞団の女性の人権に対する保守的見解と宗教少数派に対する不寛容は西側の基準と対立する。しかし、同胞団も一枚岩ではなく、イスラエルの存在権を受け入れない者たちと、パレスチナとイスラエルが共存する2国家解決を受け入れる者たちに分かれている。「彼らは心からイスラエルを憎んでいる。しかし彼らはこの世界で生きなければならないことを知っており、地政学的現実を尊重している」とハミドは述べた。
1.ホワイトハウスのギブス報道官は1日、米国は「法を尊重し、非暴力を尊重し、民主的プロセスの一部となることを望み、自分たちが権力に加わるためだけに民主的プロセスを利用することを望まない」ことを示すいかなるグループにも働きかける、と述べた。一部のムスリム同胞団問題専門家は、同胞団は非暴力と選挙参加の必要基準を何十年にわたり満たしてきた、と述べている。
1.しかし、同胞団の将来の役割についての不確かさは、専門家の間でさえも見方の違いは驚くほどだ。この不確かさは、政権に参加することが同胞団を穏健化する効果をもたらすのか、また、もし現実に権力を握れば便宜的な嘘を捨てるのではないか、ということにあると、数人が認めている。(2月5日記)
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