リハビリ日記Ⅲ ⑤⑥

⑤娘はひとり何役?
 3月。きょうは暖かい日だ。冬眠から覚めた気分だろうか。ぽかぽか陽気にさそわれてマクドナルドへ出かける。あまりの寒さに手足がかじかんで、徒歩の遠出はひかえてきた。途中2か所のバス停のベンチで休んだ。マックのおもいドアを開けようとすると、店員が駆けけてきた。あきたさんだ。〈きょうでここを辞めて、別の職場にいきます。これからも気をつけてね〉。彼女は、わたしがとぼとぼ、てくてく歩いている姿を車から見かけたといった。どこへ転職するのだろう。名残惜しい人だ。
 マックの近くにあるドン・キホーテによる。美容室でカットをしてから、100円ショップで原稿用紙と筆ペンを購入した。帰途も歩く。しかし、あと8分もしたら自宅というところで、わたしは歩けなくなったのだった。ほそい道路のはしにお尻をついた。どこにもつかまるものがない。立ちあがれないのだ。〈だれか、きてください〉。何回も呼んだ。アパートのドアは開いているのに。民家の住民は外出しているのか。15分くらい経っていたと思う。民家の玄関から中年の夫婦がでてきた。手で合図するわたしの姿をみとめたようだ。彼らの車で自宅までおくってもらう。2人の親切が身にしみた。
 このとき、わたしは、手提げ袋から道路にとびでたポーチのことには気づかなかった。
 尻もちの衝撃はかるかったが、こんなドジをかさねながら症状は回復していくのかもしれない。そのまえは、大腿部の筋肉痛になやまされている。 
 この日から5週間がすぎる。警察から電話がかかった。落とし物がとどいているので取りにくるようにという。落としたポーチのなかには、ドラッグストアクリエイトのポイントカードが入っていた。そこに記された名前を手がかりに、警察はわたしの電話番号をさがしあてたのだ。だれがとどけてくれたのだろう。
 S病院の、週1回のリハビリ教室にいく。
 ばったり、こばやしさんとすずきともこさんに会った。2人とも看護師だ。わたしは入院時、この2人のほかにやまもとさんとふじもりさんに信頼を感じていた。こばやしさんはベテランだ。〈ぜにをやると嫁はにたっとする〉。嫁の悪口をいう患者には、〈あなたのような姑がいるから女性は結婚したがらないのです〉と諭した。気のつよい患者がぴたり口をとじた。すずきさんは聡明で、気くばりのきく人だ。〈つめ、のびてない?〉と、声を
かけてくれた。2人におなじ時間に会えて、この日のリハビリは気分が弾んだ。

〈さちこ、置いてかないでよ。あの子はばかだね。ここにいたら、ころされるのに〉。小田さんの悲痛なさけびが、いまも耳に残っている。彼女は施設から精神科の病院に移った。それから9か月になる。
 わたしはS病院の1階で診察の順番を待っていた。そばに小田さんの娘のさちこさんの姿がみえる。夫の両親をつれている。姑が入院するようだ。施設に見舞いにきたときとお
なじように、さちこさんは、きょうも会社の制服のままだ。昼休みを利用してきたのか。
 〈法人のW会でも、今度の病院は、スタッフがみんなやさしいといって、母は落ちついてます〉。さちこさんは小田さんの近況を話すのだった。
 さちこさんは50代。からだがいくつあっても足りないほど、多忙な女性だ。ハンサムな夫がいる。その両親の面倒をみなければならない。実家の母親のせわもしなければならない。小田さんの息子は東京にいるが、親子関係は疎遠だという。すべて負担は娘にかかってくる。そのうえ彼女は、3人の息子の母親である。
 三男は短大卒業後、車の整備工になったが、転職する。いまは他県の病院で理学療法士をしている。
 小田さんは自分をつらぬき、くすりの服用を最後までボイコットした。〈ほっといてよ。うるさいわね。もっとやさしくしてもいいでしょ〉と、ヘルパーとナースに反抗した。かたくなな人なのかもしれない。娘の多忙は、これからもつづくのだろうか。

⑥桃子さんの書くこと
 4月中旬、財務省の事務次官、福田淳一が辞任した。「セクハラ疑惑」が理由だという。インターネットで検索すれば、福田は58歳だ。財務大臣の麻生太郎は77歳。まだ、男のセクハラ発言はつづいているのだ。
 わたしは、大学院に在学しているとき、1人の男のセクハラ発言に深刻に悩んだ。通学するのがいやになり、指導教授の平野謙に訴えた。〈女性も男性とおなじ授業料を納めているのに、男女差別は問題です〉と。あれから何十年もたった。その男は明大の専任講師になり、教授にまで昇格した。専任講師への就任をあとおししたのが女性教授なのだから、人間の眼はたかが知れている。
 昨夜からの強風で、庭の梅の実が古木から落ちた。車輪におしつぶされて、小道のあちこちにとんでいる。
 6月1日がくると、発病してから丸2年になる。いまわたしの脳裏には、1枚の写真が収まっている。車椅子からつえに変わった日の、だいじな写真だ。わたしの右にはT先生が写っている。発病以前には考えられない場面だ。理学療法士、T先生の存在を、わたし はふしぎに思う。自分の病気と入院についても。2年の間にあたらしい人間関係が生まれた。さまざまな職業を知った。自分の病気がやっかいなことも。
 通院のリハビリの先生は変わっている。が、わたしはT先生にずっと手紙を書いている。宿題をこなすつもりで。T先生は、数学と物理が得意だという。『土の中の子供』(新潮社)で芥川賞を受賞した中村文則さんの作品を好んで読んでいるとも。ときおり先生はナイーブなこころをのぞかせる。
 筆ペンをもちいて、文字は8割くらい回復した。土鍋や食器を洗ったあとの文字は、あばれる。歩行とおなじく、文字も、自分がラクに書けるようになったな、と思いたい。

 ブックライナーに『おらおらでひとりいぐも』(河出書房新社)を注文する。翌日の午前中にとどいた。手数料216円をとられるが、超特急だ。
 桃子さんは、この若竹千佐子さんの芥川賞受賞作の主人公だ。1人暮らしの74歳。図書館に行っては、関心のある情報を大学ノートに写しとる。子どものころから書くことが好きで、そうしていると有頂天になれたという。桃子さんのこの気分は、若竹さんのそれと重なるのだと思う。書くことで、桃子さんの老いの日々も、若竹さんの63歳の日々も充実しているにちがいない。
 専業主婦だった若竹さんは、55歳のとき夫をなくした。それを機に「八丁堀小説講座」に通っている。通学8年で芥川賞を獲得。それ以前の期間もふくめれば長い修業時代を経ているが、それにしても、非常にラッキーな歩みだ。「老いを生きるとはどういうことなのかを考えつつ、同時並行で小説を書いていきたい」と、若竹さんは受賞インタビューに応えている。
 小説講座に通えばだれでも作家になれるわけではない。しかし、書くことから遠ざかっているわたしたちは、書くことの意味とたのしさを再認識したい。人のこころはむなしい。ことばには血もなみだもない。さつばつとした世の中にさお差す意味でも。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔culture0647:180601〕