リベラリズムとエジプト児童文学の世界 第二回『ジュハーとスルターン』

第二回『ジュハーとスルターン』
著者:アフマド・バハガット
挿絵画家:モスタファ・ホセイン

 エジプト児童文学の世界を語る時、アフマド・バハガットを抜きにすることはできません。アフマド・バハガットは1932年生まれ、カイロ大学法学部卒業後、多数の児童向けの文学作品だけでなく、一般紙においても名コラムを残し、1月25日革命で混迷する2011年に没しました。
代表作が『預言者物語』『コーランの動物物語』であることからもわかるように、伝統的教養から題材をとった児童書を得意としていました。教訓と機知に富む物語文化には、ほかにヌクタと呼ばれる小噺、滑稽話の類があります。庶民にとってはより身近な物語はむしろヌクタのほうでしょう。伝承された古典から、当世を風刺した即興までエジプト人は大人も子供もヌクタが大好きです。
伝承ヌクタに登場する代表格が中年男のジュハーです。語り手によって職業や性格にバリエーションはあるものの、概ね頓知がきいて飄々とし愚かなのか賢いのかわからない人物として語り継がれ、現代作家による新しい物語の主人公としてもジュハーはいまだ現役です。
アフマド・バハガット著のヌクタ『ジュハーとスルターン』においてもジュハーの機知は遺憾なく発揮されます。2004年発行のこの絵本はジュハーがスルターン・ティムールをやり込めると言う、古典中の古典のような筋をとりつつも、90年代後半にアラビア語圏で流行したアニメのタイトルロールを文中にさらりと書き込むなど現代っ子を引き込ませる表現や言葉遊びがふんだんに盛り込まれています。

作中でスルターン・ティムールは「余は正義か不義か」とジュハーに問いかけます。ジュハーは彼の首を賭けた問いに「貴方は正義でも不義でもない」とかわします。「なぜならば貴方は私共の不義を裁くために神が御する刀……貴方は神の手のうちにある刀……刀は正義でも不義でもございません」。ティムールはこの答えが大いに気に入ります。
「お前ができて余ができないことは何かね」と言う次の質問にジュハーは「豚の檻で眠ることでございます」と即答してこの暴君を大笑いさせます。中東では一般的に豚は不浄の生き物、イスラームでは豚肉を食べることは忌避されています。
「余は何者で、お前は何者かね」
「貴方方は大いなるもの、私共は小さきものでございます」
「余の価値をいくらに換算するか教えてくれるかね」
「金貨千枚以下相当とは考えられません」
これにも彼は大笑い。なぜなら彼の衣装一着がすでに金貨千枚相当であったからです。
ティムールの死後について、歴代の王のように扱われるとしてジュハーは諸王の尊称を並べて彼をおだてます。『神の加護を』のような神にちなんだ諸王の尊称の後、ティムールの尊称は『アルアイヤーズ・ビッラー(神の庇護を)』に疑いなしでございます!と述べて王を激怒させます。と言うのもこの言葉は、悪魔や醜悪な者から逃れるための決まり文句で、日本語だと「クワバラ」か「南無阿弥陀仏」とでも言うべき表現だからです。
首をはねようとするティムールにジュハーはライオンとねずみの昔話を持ち出し……ついには金貨千枚相当の衣装をまんまと巻き上げてしまうのです。

弱いはずの愚者ジュハーが暴君ティムールを翻弄する筋に庶民は溜飲を下げ、また自由な発言の難しい世の中を渡るコツを人々は感じ取るのでしょう。ジュハーは庶民の代弁者でありヌクタは渡世の知恵の集大成です。アフマド・バハガットは笑い話の中にも暴君に立ち向かうための知恵や機転、権力者が絶対でないことを子供達に示唆しているのです。
庶民には庶民の戦い方があります。
正論でぶつかるのでなく、腕力をもって抗うでもなく。そこには華々しい英雄はいないかもしれませんが、非暴力の抵抗と批判と自由の精神があります。
前回ふれました1月25日革命ではタハリール広場を始めとした街中では不謹慎とも取れるヌクタが溢れていました。政権が倒れ、大統領が首都カイロから去るやいなや、スローガンであった「イルハル・ヤームバーラク(ムバーラクよ去れ)」にひっかけた「イルガア・ヤームバーラク(ムバーラクよ帰ってこい)」と言うヌクタで茶化して締めくくったほどですから、エジプト人のヌクタの精神は念がいっています。
タハリール広場の若者達の中には、幼少時にアフマド・バハガットの『ジュハー』シリーズを楽しみ知恵を育てた者もいるのだろうかと想像すると、革命を見届けて旅立った著者はさぞかし本望であっただろうと、私もにやりとするのです。

ところでこの絵本の挿絵画家モスタファ・ホセインの本業は新聞の風刺画家でした。50年代半ば頃から風刺画を描きはじめ、長年にわたって権力と暴君を、時には蒙昧な世相さえ風刺し続けました。殊にリビアのカッダフィー大佐への批判は執拗で、大佐に便器を被らせ担がせ座らせて、便所の扉の前で悶える姿を描いておちょくり、ついには殺害予告リストに記載されてしまったほどでした。彼の周囲は肝を潰したでしょうが、モスタファ・ホセイン本人はいたって無邪気に飄々としていたのかもしれません。
まるで愚者ジュハーが暴君ティムールをやりこめた時のように。

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